えんげい・寿亭娘義太夫
 
石川 啄木
 
 
 
 
 花のお江戸で名を売つた竹本越寿一座の顔揃ひ毎晩大入の上景気と噂を聞いてグツとなり、評判だけで済されぬ男の意地と云つた訳でもなけれど、一昨夜八時頃社帰りの足を曲げて寿亭の木戸を潜る。半分過まで語りかけた其清が箱根権現天神堤の段、語り慣れた喉なれど何処やら俗気ありて品に乏しく、六助が白石話新吉原は元気/\と賛めて置くべし。差代つて忠臣蔵八ツ目は竹本要太夫、共清の三味癖のない語口なれば上達請合、難なくやつてのけたり。次は前座の竹本管太郎、三味線駒太郎、三勝半七酒屋の段、年齢は十四か五で売つ児(うれつこ)の名に耻ぢぬ管ちやんの腕前確かに十四五段も揚げたり、感心/\。表情の巧い事はあまり類のない程で聴衆に拍手を惜ませぬ処、後世恐るべし。切前は小六太夫の一の谷三段目(三味線六助)、量のある声の朗かさ少し渋味が足らねど其処が却つて俗耳に入り易く、何処へ出しても耻かしからぬ語り振りは確かに一人前と合点せらる。サテ大切(おほぎり)は一座の女将軍越寿太夫、昔お江戸で小豊後と云つた頃からの評判物、駒太郎の三味線で三十三間堂平太郎住家の段は手に入つたものなり。簾(みす)が揚つて高座に平伏した頭の白リボン、大向では仏蘭西(フランス)義太夫と呼ぶ者あり、ハイカラーと呼ぶ者あり、今迄数へきれぬ程の艶聞も無理ならぬ事と頷(うなづ)かる。品があり重みがあり渋味も艶もある声に、満場鳴を鎮(しづ)めて、手にせる巻煙草吸口まで燃えつくすをも知らぬ人多かりし。これでは成程毎晩の大入も当然の事。余興の忠臣蔵総掛合は残念ながら聴かずして帰りぬ。尚同亭今晩の語物は左の如しと。
 ▲御祝儀宝の入舟(入登)▲加賀見山ツ目(駒子)▲双巴釜入の段(其沽)▲朝顔日記(六助)▲中将姫雪責の段(要)▲三十三所沢市内より壷坂寺まで(管太郎)▲玉藻前三段目(小六)▲お俊伝兵衛堀川の段(越寿)
 
 
(小樽日報 明治四十年十月二十六日・第四号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年12月5日公開