老狒(らうひ)嫉炎(しつえん)
 
石川 啄木
 
 
 
 
 磁石の針が狂つて南を指した例は聞いた事なけれど世は様々なもの。老子が生れながらにして白髪を被つて居たと云へば、皺クチヤの八十爺が急に若返つて伜の嫁を狙ふといふも或は珍らしき事にもあらざるべし。秋の紅葉二月の花よりも紅なれば、冬枯の樫の大木に桜の花が咲いたとて可笑い事なき道埋かも知れず。茲(ここ)に小樽区新富町十六番地斉藤利作(七六)と云ふ爺あり。先妻の忘れ紀念の利之古(二九)と呼ぶ歴とした息子と二人暮しなりしが、今を去る四年前、さる人の肝煎にて顔容詮議立する年輩でもなし年頃さへ好ければとて藤井みさ(六一)といふ婆さんと高砂の謡曲目出度、互ひに髪を染めての花聟花嫁お前百まで私ア九十九までの段取りとなりしが、みさにはお千代(二一)といふ瓜核顔の連子あり。老人夫婦は降る春雨のシツポリとした初枕、俺達許り楽んでは若い者の手前怎(どう)やら気が済まぬ、イッソ利之古とお千代を夫婦にせむと相談一決、時機の来るを待たむとて其事二人にも云ひ含め置きし迄は可かりしが、当時鬼も十八番茶も出花のお千代の容色、界隈騒す迄ではなけれどポッとした頬の血の色艶々しく立居振舞しとやかにて、老人への親切も到らぬ隈なければ、利作老の眼を冥つて腕を供きムクムクと胸に湧き来る謀反心、サテサテ年は老るまいもの、否さ年は老つても此利作、皺だらけの婆一人に満足する様な意気地なしでは無い筈、世の中は何でも腕次第、妾の三人五人持つた者は此小樽にさへ珍らしくは無い、庵だつて耄碌(もうろく)はせぬぞと飛んだ所に躍気と成り、翌る日から七十余年の経験から割出した智恵の限りを尽してお千代を靡せる工夫に余念なく、暇さへあれば婆さんと伜の目を盗んで口説き立てしが、年頃のお千代は腰の屈つた老爺の気に入る訳はなく何日も体よく逃げて居たるが、斯うなつては利作も要らぬ意地を出し、説ふ事聞かねば追出すとまで短兵急に攻め立つる。人相は水洟垂らす鬼の面も宛然(さながら)にて凄じなんど云ふ許りなし。お千代も今は当惑し、出るの入るのと云つては騒ぎが大きくなり且つは利之吉さんとの約束も末危し、扨何うしたら宜からうと殊勝な心を起したか怎かは解らぬが、隣近所からは親孝行な娘よと賞められ居るを婆さん夫れと覚つて利之古に迫り、此年になりて孫の顔見ねば先長からぬ身の心細さ怎もならぬと朝夕の繰言に、老爺も詮方なく承諾して先月末の吉日を択び親戚知人を招いて伜が結婚の式を挙げ、私もこれで漸く安心と表面は真実に嬉し相な顔をして居れど、内心は嫉妬の炎に生命も焼き尽さるる思ひ、何でもない事に迄伜に当り散すので、利之吉も怒り出しお千代を連れて別居沙汰の紛擾中とは書くも汚らはしき話の筋なり、穴可賢/\。
 
 
(小樽日報 明治四十年十月二十六日・第四号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年10月26日公開