暁方(あけがた)血塗騒(ちまみれさはぎ)
(蕎麦屋の屋台便所と誤らる)
 
石川 啄木
 
 
 夜も早暁方(あけがた)近き二十二日の午前二時頃、流の水も音も伏むてふ丑満下刻、忍足チヤラ/\の雪駄の音さへ向ふの山ヘ怪(こだま)しさうな閑然(ひつそり)と静り返つた巷々に、所は花園町の十一番地、飲食店の国田キ子方の腰高障子だけが明々と洋燈(ランプ)の光映えて、人の眠を好事に夜の鬼共酒宴でも始めたのかと怪(あやし)まるゝ許し、呂律も廻らぬ濁声高々と四隣憚からぬ騒ぎ様。俺ア酒せエあれア女は要らねエだ、否々嘘は吐くで無えだ、此間も何処かの別嬪(たぼ)乗せて色内通で俺様を見ねエ振りしたぢや無えかと吐し居るは、宮城県加美郡中新田町三百七十二番地平民、当時花園町十四、車屋宮内多次郎方挽子の本田秀之助(二九))と、忍路(おしよろ)郡忍路村平民、当時住の江町一丁目、車屋坂内宗太郎方挽子井沢良太郎(二一)の両人。日一日梶棒に捉まつた疲労何時しか酒と共に発して、軈(やが)てコクリ/\と居眠りを初めしが、時しも遙か彼方から夜陰を縫ふて、蕎麦エ蕎麦アと夜鷹蕎麦の振声暗に寵つて近き来しが、ドツコイシヨと許り戸外に物音して例の腰高障子ガラリと開け放し赫面突き出したは、宮城県王造郡東大崎村字新内平民、当時山の上町二十五番地、杉高蕎麦屋の売子なる小堺吉右衛門(二八)といふ奴。売済ひの儲金腹揖に敲いて、熱いトコ一本つけて呉れと威勢のよい物言なり。此音に不図(ふと)目を覚した前記の秀之助、あゝ小便が出ると戸外に立出でしが、足元危く酔払つて居るので、吉右衛門の下して置いた蕎麦の屋台を共同便所と見誤り、驚破(すは)こそ大事、勢凄まじく黄色の滝を浴びせかけたれば、吉右衛門怒るの怒らないのの騒ぎでなく、何だ箆棒奴(べらぼうめ)を切掛に大論判がおッ初り、遂々気早の秀之助が蕎麦屋の天秤棒拾ふより早く吉右衛門に打つて懸り、良太郎も加勢して面部頭部の嫌ひなく殴打したれば、吉右衛門も今は必死となり、長さ四寸余の小刀を取出して秀之助の腹部に長さ三寸深さ一寸、良太郎の左脇下左腰部及び背中に何れも長さ一寸深さ八分の創傷(きづ)を負はせ、三人血塗(ちまみ)れになつて上になり下になり転げ廻り、誰が口から出たか知れぬが助けて呉れエと苦し気な叫声を漏すに、近所の人も起き、花園交番よりは我孫子巡査駆けつけて加害者を引致したるが、暁迫る時告鳥(にはとり)の声々遠く軈(やが)て冷やかなる秋の東雲仄めきて、血痕斑らなる飲食店の入口、馬鹿者共が狼籍の跡仲々に凄まじかりし。さて被害者二名は直ちに原田病院に入院せしめたるが、何れも五週間の疾病休業を要すといふ。
 
 
(小樽日報 明治四十年十月二十三日・第二号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年10月23日公開