片割月忍びの道行
 
石川 啄木
 
 
 
 一昨夜九時頃、信香町から開運町の踏切を越えて路に錯落(ごろ/\)の石塊を足元危気に彼方へ避け此方に縫ひ、肌に沁む秋の夜風に肩すくませてピタリと寄添へる二人の後姿、雲隠れゆく片割月の薄明に透せば、左は中折帽の丈高き三十男、右なる女の頭は銀杏返しなるべし。東洋院の角より曲りて福原病院の坂を上りゆくに、折柄同じ方角への途上なれば、寒風に懐手の外目憚(はばか)らず頤(おとがひ)を襟に埋めて聞くともなしに二人の話を聞けば、貴所の奥様(おくさん)がお聞きになつたら嘸(さぞ)怒るでせうねイといふ。膝頭わなゝきさうな女の声は二十の上を五か六か、秋の枯野の蟋蟀(こほろぎ)のそれならで心細くも物問へば、貴女ン所の御主人だつて同じ事でせうと男の答へも力なし。さては世にある白首(ごけ)浮男(うかれを)の道行ならず、秋風ふき立ちてお鉄漿溝(はぐろどぶ)に柳の影わびしき頃より通ひ初(そ)むる人は、同じ廓に現を抜かす人にても実ある人ぞと誰やらが云ひし、それとこれとは変れども、同じ蕭(しめ)やかなる恋の怖さ甘さに心酔ひ有婦有夫の不敵の風流者甚■(どんな)顔して居るのかと、少し足を早めしに、跡つくるの者ありと気が付きしにや、話声俄(には)かに低くなりて、女の声に時々信香町の叔母さんとか真坊(しんぼう)が/\とか云ふ言葉の聞ゆるのみ。仕損じたりと少し離れて後追へば、坂を下り坂を上りて住吉座の前までさしかゝりし頃、女は急に立止まりて、モウ此処までゞ大丈夫でございますからと云へる声は低からでよく我が耳に入れり。それではと云ひ/\男は丈高き躯を屈めて復の逢瀬を契るにや、密言(ひそかごと)人には聞えざりしが、軈(やが)て女は一人駒下駄カラコロと急足に交番前より公園通へ左に折れぬ。尚意地悪く跡とめ行けば、花園町十四番地に数多き家並みの中、名刺に○畑(か)と記したる小ヂンマリした家の門に来て、掻消す如とく姿失せぬ時は、秋吹く秋風軒燈の光も淋しき浮世小路に此湿やかなる恋の行方は、秋の水流れ/\て末は如何なる海に沈むやら。何れは精探を遂げて後に、飴売が吹く小喇叭(チヤルメラ)の音の高々と節面白く書立つる日もあるべし。
 
 
(小樽日報 明治四十年十月十五日・第一号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年10月15日公開