(無題)
波とことはに新らしく
寄せては雪と砕け去り
無始の始ゆ永劫の
終りに響く海潮音
其勇ましき轟きに
若き産声打揚げて
此処澎湃と潮白き
北大海の岸の上
ああ創世の曙に
真素裸荒の神の子が
地韜踏みて競ひ出し
其有様を見るが如
見よや雄々しく気負ひたる
戦闘の子ぞ生れたれ
旧き思想と悪徳と
心腐れし迷信と
虚偽と偽善と圧制の
狭く苦しく濁りたる
此世にありて人は皆
其本性を擲ちて
足ること知らぬ貪婪の
奴隷となれる今日の時
こはそも如何に赤裸々の
新肌太く力ある
叫びの声は雷の如
躍り出でたる眩さは
さながら遠き大漠に
獅子の猛るに似たりけり
右手に翳すは何の剣
左手に執るは何の筆
かざす剣に照り映えて
黄金の光荘厳に
赫灼として朝日子は
今北海も照したり
照す光に見さくれば
天とこしへに蒼くして
限りを知らず雲もなし
海は自然の大胸の
ゆるぎの濤に休むなき
凱歌あげて活動の
楽いさましく繰返す
ああ今ここに生れたる
戦闘の児よ願はくは
隠すことなく飾るなく
ありのままなる心もて
我が光明と信念に
弓ひくものを踏みつぶし
何憚らぬ声あげて
力の限り叫べかし
旧き思想は覆へり
奸邪迷信はた偽善
世の圧制も悪徳も
朝の露と消え失せて
初めて茲に玲瓏の
新らしき代は造られむ
ああ心地よき進軍の
門出眩き朝姿
日射真面に突立ちて
我が行く海を見渡せば
洸瀁として涯もなき
万古の濤の起伏よ
足下近き巖鳴りて
進めとばかり鞺鞳の
海潮音ぞ轟ける
[小樽目報明治四十年十月十五日・第一号]
※テキスト/石川啄木全集・第8巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人