淋しい元気
違星北斗の(相当に不思議な)美しい日本語
 
新谷 保人
《Northern songs 2004年4月号》
 
 
 
 
 違星北斗の『コクワ取り』を初めて読んだ時の、あの言葉がキラキラ光っているような感覚を忘れることができません。以後、(なぜか)身体が疲れた時などに、『北海道文学全集』の第11巻をひっぱり出してきては寝ころびながら読んだりします。『疑うべきフゴッペの遺跡』に出てくるエカシシロシを空中に描いてみたり…
 
 

 
コクワ取り
違星 北斗

 たった独で山奥に入る。淋しいが独は気持がよい。私は常に他人に相槌を打つ癖がある。厭なのだが仕方がない、性分なのだから。けれども独になった時は、相槌を打つ様な厭な気苦労から逃れて気楽になる。
 だから淋しい中にも一人になった時は嬉しい。
 コクワなんかどうでもよいのだ。

 

 
 
 キラキラ輝いていた言葉は、ひとつひとつに分解してみれば、どれも皆、単純素朴であり、簡単な日本語です。違星北斗は小学校の教育までしか受けていないそうですが、本当にそうだろうな…と納得するような日本語ではあります。
 
 北斗は号であって滝次郎と云い、小学校は六年級をやっと卒業した。 (淋しい元気)
 
 今の小学生がこういう作文を書けば、すぐさま先生に直されるでしょう。自分の名前の話と、経歴の話、ふたつの概念が一つのセンテンスにごっちゃに語られています。これは、正しい日本語ではありません。こういう場合は述べている概念を整理して書かなければなりません。例えば、
 
 北斗は号であって、(本名を)瀧次郎と云ふ。小学校六年生をやっと卒業した。
 
というように…
 
 私たちは書き直されます。つまり、そうやって正しい日本人に矯正されて行く。
 
 けれど、違星北斗の場合は、これが逆なのです。最初に引用した方が、昭和5年東京希望社から発行された「遺稿集『コタン』」の決定稿。その後に引用したものは、じつは昭和3年1月の短歌雑誌に発表された初期形なのです。
 
 もちろん前者の方が文句なく美しい。文法的にまちがっていようと何だろうと、前者の方が美しい日本語であることには疑いを挟む余地がありません。日本語としての響きが全然ちがう… 違星北斗とは、いわば、無意識的に、この前者の言葉をまちがいなく選びとることができる点において天才的な才能がありました。小学校6年生の語彙だろうと何だろうと、そんなことは文学においては些末な問題でしかありません。
 おそらく、短歌や俳句創作の体験がこのような概念の転調や乱反射のような独特の文体を形づくったと思われるのですが、もっと妄想を先まで延ばしてみると、この「短歌」という選択は、違星北斗の中では、アイヌの人たちが持っている「ユーカラ」のような文化性=口承という強固な基盤があったからこそ、そのまま地続きになって選びとられていったものなのではないでしょうか。
 
 北斗は号であって、瀧次郎と云ふ。小学校六年生をやっと卒業した。
 
 違星北斗は、日本の文学者がよくやるように、この文章を原稿用紙の上で幾晩も推敲したのではないでしょう。おそらくは、この文句を日々幾度となくこれを口にのぼせては詠うことによって、これらの文章は歌と同じく「響き」のよい日本語に変容していったのではないかと思います。だからこそ、こう変耀した。
 
 北斗は号であって滝次郎と云い、小学校は六年級をやっと卒業した。
 
 かつて歌が人々の心にそのように存在していたように、違星北斗の文体はその原初の音やリズムをどこかにとどめています。
 
 
 
 

 
淋しい元気
違星 北斗

 北斗は号であって滝次郎と云い、小学校は六年級をやっと卒業した。其の後鰊場のカミサマシを始め石狩のヤンシュ等で働いた。
 大正七年頃に重病をして思想的方面に興味を持つ様になった。十四年二月に東京府市場協会の事務員に雇われ一年半を帝都で暮らした。見る物聞く物も、私の驚異でないものはなく、初めて世の中を明るく感じて来た。けれどもそれは私一人の小さな幸福に過ぎない事に気附いて、アイヌの滅亡を悲しく思うた。
 アイヌの研究は同族の手でやりたい、アイヌの復興はアイヌがしなくてはならない強い希望に唆かされ、嬉しい東京を後にして再びコタンの人となった。今もアイヌの為に、アイヌと云う言葉の持つ悪い概念を一蹴しようと、「私はアイヌだ!」と逆宣伝的に叫びながら、淋しい元気を出して闘い続けて居る。
 此の念願の下に強固な意志を持って真に生甲斐を感じながら。

 

 
 
 違星北斗の文体の魅力がもうひとつ。それは、爆発的な「全否定」。
 
 十四年二月に東京府市場協会の事務員に雇われ一年半を帝都で暮らした。見る物聞く物も、私の驚異でないものはなく、初めて世の中を明るく感じて来た。けれどもそれは私一人の小さな幸福に過ぎない事に気附いて、アイヌの滅亡を悲しく思うた。
 
 とても魅力的です。(最も「北斗」的と感じる部分)
 
 私は「初めて世の中を明るく感じて来た」わけですね。しかし、「それは私一人の小さな幸福に過ぎない」んだということに気づいたというところも、都会の群衆の孤独をしみじみ表現していてとてもよくわかります。でも、凄いのはそこから。一気に「アイヌの滅亡を悲しく思うた」という急転直下には、私、ぶっ飛んでしまいました。なにかわからないけれど、これは凄いわ…という感じ。
 
 誰でも少しずつは持っているそれぞれの「表現力」。人はそれを銀行預金を下ろすみたいに大事に使っては、出世したり、美人の奥さんをもらったり、芥川賞を取ったりして日々を生きているわけですが、まさか…こんなベクトルで自分の「表現力」を使う人が明治時代にすでにいたなんて!まったくの驚愕でした。これは、まるっきりの現代の私たちではないか! 「北斗は号であって…」と静かに始まってからわずか数行、あっという間に「アイヌの滅亡を悲しく思うた」まで突っ込む表現力。(尾崎豊か、あんたは!)
 
 いや、それ以上かもしれない。普通、現代人でも、「アイヌの滅亡を悲しく思うた」という爆発でビシッとキマったわけだから、ここで幕…というパターンが多いと思うのですが、違星北斗は終らない。こういう全否定が、さらに連鎖して行くところが凄いです。なんと!「アイヌの滅亡を悲しく思うた」という美しいフレーズは、次の「アイヌの研究は同族の手でやりたい」という段落へつながって行くのです。
 
 連鎖する… 爆発する全否定というのは、宮沢賢治を見るまでもなく、ある種、自分と世界、自分と宇宙との一体感を求める運動ですけれど、それが無限に連鎖して行くという構造がとても魅力的。本当に、昔、ひとつの歌(短歌)が持っていた口承文芸としての力とは、あるいは、こういう姿ではなかったのだろうか…ということを私は思うのです。