スワン社HP Northern songs 2003年1月13日号

 
 
もう一度だけ、海岸へ
 
新谷 保人
 

 私の勤めている短大図書館で11月より行っていた「北朝鮮による日本人拉致問題」コーナーが、去年の仕事納め12月26日をもって一応終了しました。(今年の1月になっても片付けていないけれど、これは書架整理している時間がないためです。)

 拉致問題関係の本は、今、堰を切ったようにどんどん出版されてきているのに、何故コーナーを終えるのか…という声もいただきました。が、私には、この終了の頃合いでちょうど良いように思われます。2003年からの日本人拉致問題の本は、他の外交問題や人権問題の本などと同じように一般書架に堂々と並べられて、その問題の重大さを世に示して行くべきだと考えるから。

 すでに25年前に書架に並んでいなければならない本ではありました。しかし、そんな当たり前のことが実現するのにこんなにもの歳月を必要としたのです。だから、「北朝鮮による日本人拉致問題」コーナーは、ある意味、そんな私たちの愚かさを忘れないための「人間の愚かさ記念館」でもあったのです。そんな想いも少しあって始めたコーナーでありました。
 

 このコーナーの本は、2002年11月時点では、拉致「疑惑」時代の本ばかりです。以前の「Northern songs」ホームページでも何回もご紹介している全国協議会作成の「拉致問題についての参考書籍リスト」を基本的な骨組みとして、それについて短大図書館が何年も収集してきた本・雑誌を「貸出可」の形で展示しました。この展示に限っては、誰もが手にとって、バリバリ借り出して読んでもらわないことには意味がありません。それらは、例えば、

金正日の拉致指令 石高健次著 朝日新聞社 1996.10 (朝日文庫版1999年刊)
これでもシラをきるのか北朝鮮 石高健次著 光文社 1997.11
スーパーKを追え! 高世仁著 旬報社 1997.11
娘をかえせ息子をかえせ 高世仁著 旬報社 1999.4
北朝鮮拉致工作員 安明進著 徳間書店 1998.3
金正日の核弾頭 宮崎正弘著 徳間書店 1998.7
宿命−「よど号」亡命者たちの秘密工作 高沢皓司著 新潮社 1998.8
闇に挑む! 西岡力著 徳間書店 1998.9 (徳間文庫)
北朝鮮が戦争を起こす5つの証拠 佐藤勝巳[ほか]著 KKベストセラーズ 1998.12
飢餓とミサイル 西岡力著 草思社 1998.12
金正日への宣戦布告 黄長□回顧録 文芸春秋 1999.2
狂犬におびえるな 続・金正日への宣戦布告 黄長□著 文芸春秋 2000.1

などといった本でした。

 これらの本にあふれる苦渋の表現を読んでもらわなければ、これらの本たちは死んでも死にきれないんだ!という想いがありました。この「日本人拉致」の事実が天下に明らかになった今だからこそ、これらの本は読んでもらわなければならないんだ!と私は痛切に感じます。へらへらと「証拠はあんの?」と笑っていた野中や中山。「キャバレーのホステスが一人二人消えたからって何なんだ」と言い放った金丸信。そんな連中(←ここに全部捕獲してあります)の心ない言葉に向かって、普通の庶民が血の滲むような努力でひとつひとつその醜い心証を暴いていった記録こそがこれらの本なのですから。

 これらの本は、その多くが、2002年11月時点では絶版でした。図書館の中には、「北朝鮮」や「拉致問題」のコーナーを作りたくとも、実際、本を集めて来なかったのでコーナーを作れない図書館も多かったと思います… そんな図書館には朗報です。今、各出版社は、これらの本の重版を再開し始めています。おそらく、これが手に入る最後のチャンスではないでしょうか。
 いったん重版した後は、これらの「拉致疑惑」時代の本は、安明進の『北朝鮮拉致工作員』や金賢姫の一連の著作のように、拉致問題を語る上での「古典」、基本文献として残って行くグループと、かたや、石高健次氏の『金正日の拉致指令』のように、「疑惑」時代の刻印を背負って、その歴史的使命を果たして消えて行く本のグループとに二極分解して行くのではないか。9月17日以後、もはや「札幌出身のIさん」はいなくなりました。誰もが、それは「石岡さん」であることを知っているという状況の大変化は如何ともしがたい。

 今、私は、例えば日本テレビの昼のワイド・ショーにコメンテーターとして出演している佐藤勝巳氏の姿を見るととても不思議な気持ちになります。すごい時代になったものだ!と。その隔世の感に驚いてしまうのです。つい三ヶ月前の2002年9月まで、「佐藤勝巳」はテレビ界のタブーであったはずです。例えば『朝生』に佐藤勝巳氏が出るとなれば、朝鮮総連側は、和田春樹のような三文学者から辻本やテリー伊藤みたいな「お笑い」左翼まで山のようなサクラを動員して「祖国、祖国…」の大合唱をしていたものです。大声と恐喝で憎き「佐藤勝巳」の発言を封じてしまおうとする態度こそは毎度お馴染みの「こんなのが北朝鮮…」だったのであって、テレビ局はその大合唱が迷惑、というか、こんな懐メロでは視聴率がとれないことは明らかだったから、故に、「佐藤勝巳」というカードは使えないカードだったのです。
 その佐藤勝巳氏が、今、日本テレビの『ザ・ワイド』で話している…蓮池透さんが、増元照明さんがテレビで話している…、やはり隔世の感に打たれないわけにはいかないのです。私は。

 

 『ザ・ワイド』は、去年の9月以降、昼間ビデオで撮って家に帰ってきてから見るようにしています。保存もしています。もうビデオ・テープが20本くらいになりました。おそらく、この時代から、私たちは『朝日新聞』に代表されるような何かがついに必要なくなったのだ…見切りをつけたのだ…という歴史的証拠資料としてうちのライブラリーに長く保存しておこうと思っています。

 それと同じくらいの熱意をもって、9月以降、毎日行っていたのが「福岡の会」のホームページでした。

 「福岡の会」。正式名称「北朝鮮に拉致された日本人を救う福岡の会」のホームページは、その機動性や状況判断の適切性において他に例を見ないホームページです。ただ単に全国に30以上ある「救う会」組織の中で優れているということではなく、日本のすべての思想状況の中で、人間の健康さとは何か?正常とはどういうことか?を提示できる数少ないホームページであると思う。

 その、健康さ。例えば『福岡救援ニュース』平成14年11月20日号で、代表の青木英実氏は言う。

 少なくとも、9・17は、戦後の「左翼的・進歩的」思想や言論が名実ともに死んだ日として記憶されるであろう。冷戦終結後、力を失ってきたこれらの思想・言論は、社民党の末路を見ればわかるように最終的な終わりを迎えたと言える。最悪の人権蹂躙を行ってきた独裁政権と癒着し、あるいはきちんと批判もできなかったことは、それまでの彼らの言論すべてを無効にするほどのものだと考えられる。
(「北朝鮮独裁体制のファイナル・カウントダウン」より)

 そう、終わったのだ。「謝罪」や「離党」などでは決して済まない、世に虚偽の言論をなしてきた者の終焉である。そして、戦後の日本人が心のどこかで持っていた「左翼的・進歩的」なるなにものかへの最後のシンパシーが死んだ。

 あるいは、次のような青木氏の言葉。

 皇后陛下が拉致問題に関して言及あそばされたことについては、政府、国民の間に波紋を呼んでいる。国民と皇室とは一体であるが、その間には、真相究明を喜ばぬ輩がまだいるようである。
(「皇后陛下のお言葉について」より)

 私も皇室は確固たる意志をもって発言していると思う。愛子さまの誕生日でも皇太子妃が「帰国した5名」についてコメントした。12月23日の天皇誕生日では天皇自らが具体的な事件名を上げてまで拉致問題について言及した。皇室の全員が「日本人拉致」について言及しているのである。それも、「その苦しみ如何ばかりか…」というような、きわめて人間的、常識的にまっとうな発言であった。そして、その極めつけこそは皇后の発言であろう。

 小泉総理の北朝鮮訪問により,一連の拉致事件に関し,初めて真相の一部が報道され,驚きと悲しみと共に,無念さを覚えます。何故私たち皆が,自分たち共同社会の出来事として,この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ,今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり,その一入(ひとしお)の淋しさを思います。

 私にはこの言葉を「政治」と呼び捨てる心はありません。これが普通の人間の感情でしょう。私は、蓮池薫さんの母、ハツイさんが叫んだ「帰したくないですよー!」のひと声と同じくらい感動しましたけどね。正しい時に、正しいことを声に出せる人間がいたことを素直に喜びたい。
 

 馬鹿な左翼は言う。これを「ナショナリズムの復権」だと… このピントのズレ方、昔、「図書館ネットワーク」の話をしていたら、「ああ…(図書の)予約制度の問題ですね」と言ったバカ司書がいたけれど、あれに近い愚鈍を思い出す。なーにが「ナショナリズム」だ…いい年して、何を勉強してきたんだか。
 たぶん、頭の単語帳に今起こっている事態を説明する言葉がないのだろうから、私が説明してあげよう。それは「ナショナリズム」などといった高級なものではない。単なる「嫉妬」なんですよ。いつもの「お笑い北朝鮮」や「ピースボート」や「東大名誉教授」が座っていられた席に、もう座れなくなったということだけだろう。いつもの席に「蓮池透さん」や「平沢勝栄」が座っているのが悔しいのだろう。しかし、それのどこが「ナショナリズム」なんだ。知識人としての精進を怠っていたから、時代の神様にリストラされただけの話だろう。
 そして、馬鹿な左翼は、今こそ声に出さなければならない大事なことが言えない。例えば先ほどの皇室のコメントについて。本来なら「人民民主主義」者こそが真っ先に言わなければならない言葉を皇室に言われて、恥ずかしくはないのだろうか。
 皇室。そして、「5人帰国」の翌日からすぐに反応した国民のスピードに、唯一、遅れないでついていた者こそは「福岡の会」青木英実氏ただひとりであった。19日のお言葉なら、20日には自分の発言ができなければならない。思想によって立つ知識人とは、そういうものだ。

 

 ………筆者はすでに福岡の会を含めて地方レベルの運動はこれまでのような形としては使命を終えつつあるようにも思える。
 核開発の問題を含めまさに国家と国民の生死を賭けた戦いの問題になってきた。
 我々は福岡の会は無名の国民の声を代表し、これからも原理原則を曲げず徹底的に戦う。
 たとえ運動内部であろうと、これは、もはや個人の問題ではなく国家の、あるいは普遍的な人間的価値の問題として主張すべきは主張していく。
 しかし集会に何人来た、誰が来たという時期はもう終わった。………
(「横田夫妻のこと。そして運動のこと。」より)

 「しかし集会に何人来た、誰が来たという時期はもう終わった…」。この、青木英実氏の言葉は重い。ひとりの人間としての存在と、拉致被害者救出というひとつの運動を持続してきた者としての責任がない合わさった美しい言葉だと思う。

 では、私は、私たちはどこへ行くのか?

 そのヒントが、『福岡救援ニュース』平成14年12月23日号に掲載された。「奇妙な相似性―福井アベック拉致事件と福岡アベック失踪事件の比較から」。
 同時期、『ニューヨーク・タイムズ』に意見広告を出した有田芳生他の「七人の会」と「救う会インターネット」の間で内ゲバ騒ぎがあり、(以前「たるげい」でもご紹介した)全国協議会の掲示板がさんざん荒れた上で消滅する…という、なんともみっともない事態があったのだが、そんなバカ騒ぎには目をくれることもなく、この「
奇妙な相似性」論文が発表された意味は大きい。

 そうなのだ。まだまだ拉致の被害者はいるのだ。北朝鮮のこの冬の中に、まだまだ拉致の被害者は生きているのだ。

 了解です。私も、もう一度だけ、あの海岸に行ってみよう…と考えていたところでした。
 

 テレビに映し出される帰ってきた5人の家族の正月風景を見ながら、街頭署名に出て行く横田さんや有本さんの気持ちは如何ばかりではあろうと思います。なんとかこの苦しみをなくしたい。

 2003年の1月10日に特別失踪者問題調査会が公表した実名40名のリストを見ていて、私もようやく目が覚めました。去年の9月17日以降、なんとなく、新聞や雑誌記事などを「保存」しようとしている自分がいたのですけれど、それもやめた。そういうデータは、まだ私には必要ないのだ。今、私が持っていなければならないのは、1月10日の朝刊だけだ。
 

 暫定的なリストですが、去年の9月17日以降、今年の1月までの間に出版された「拉致問題」関係の本や雑誌で重要なものをあげておきます。すべての図書に目を通すことはもうできませんが、今の内に図書館蔵書にしておいた方がよいと思うものをあげました。
 なお、この2002年9月から12月にかけての出版物というのは、基本的には「中間報告」の時代です。2002年9月までに行ってきた被害者救出運動の歩み、「北朝鮮」「金正日」追求のための基礎資料といったものが中心をなし、それに加えて、9月「日朝首脳会談」以降の事態の変化に対する暫定的見解といったものが骨格をなしています。
 後世に残るべきは、第1にデータの正確さであり、第2に「日付」のついた責任ある言葉と考え、その観点から、現在重版されている基本文献とともに、これは蔵書として持っていた方がよいと思われるもののみをあげました。

 
 







 
文芸春秋2002年11月号 総力特集「非道なる独裁者」
文芸春秋 2002.10
9月以降、ほぼ毎月重要記事を載せている。この11月号には、他誌ではなかなか集められない「文芸春秋」独特の人脈が勢揃いしており興味深い。まだ、この時点では蓮池さんたち5人は日本に帰ってきておらず、日朝首脳会談で浮かび上がった「横田めぐみさんら8人死亡」報道に直に相対しているわけで緊張感が異常に高い。(個人的には関川夏央の「金王朝五十四年の罪業」に感銘した)
 






 
「危険な隣国」まるごと一冊北朝鮮 SAPIO11/30臨時増刊号
小学館 2002.11
過去に「SAPIO」に掲載された「北朝鮮」関連の記事を恵谷治氏の編集で一冊にまとめたもの。「SAPIO」のなしてきた言論が、かなりの程度で正確なものであったことがよくわかる。また、発表された記事の日付をきちんと記してあることも、自らの言論の責任の所在を明らかにしている点で価値がある。
 






 
25年間の封印を解く メディアが黙殺した「拉致事件」
SPA!臨時増刊 2002.11
上の「SAPIO」増刊の補遺版のような存在。兵本達吉氏や石高健治氏といった旧左翼・リベラル派勢力からの「拉致問題」へのアプローチ。そのせいなのか、筆先は、この25年間、誤報・虚報・暴言・恐喝の類をたれ流してきたメディア(学者)・政治家たちに厳しい。大変結構なことである。もっともっと徹底的にやってほしい。
 






 
拉致家族「金正日との戦い」全軌跡 佐藤勝巳編著
小学館 2002.12 (小学館文庫)
発売と同時に初版分は全部売り切れ…あの「佐藤勝巳」氏の本が即日完売する!などという日が来るとは私は到底想像もできませんでした。ただただ驚きです。いかに「拉致問題」が国民的な注目をもって見られているかがわかります。しかし、9月以前も以後も、佐藤氏は終始冷静でしたね。
 






 
拉致家族との6年戦争 敵は日本にもいた! 西岡力著
扶桑社 2002.12
拉致問題に対する「抵抗勢力」というものが、いったい如何なる姿形の者たちであったのかを明らかにするには、西岡氏の本を読むのがいちばん良いのではないか。過去の名著『闇に挑む!』(徳間文庫)が絶版になってしまっている現在、西岡氏の論文を一本に編んだ本が出版されることを待っていた人は多い。
 






 
拉致救出運動の2000日 1996年→2002年 荒木和博編著
草思社 2002.12
西岡氏の本が「抵抗勢力」の姿形を明らかにするものだとしたら、この荒木氏の編んだ一冊は、その勢力との「たたかいの記録」を私たちの前に明らかにするものと言えるだろう。例えば、私たちが国民集会に集う時など、いちばん私たちの目に焼き付くのは、いつも運動の先頭集団に立っていた、この「救う会」事務局長の荒木氏の姿であった。
 
 

 
2003年1月13日号 あとがき

■横田滋さんの「訪朝」の意思表示にはなにか意味があるのだと信じたい。今、私たちが「北朝鮮」についてこれだけ大っぴらに語ることができるのは、6年前に横田氏が「めぐみさん」の実名報道を決断した勇気のおかげなのある。あなたや私に勇気や知識があったからではない。あの時、「新潟のYさん」などとやっていたら、事は「李恩恵」問題と同じく、ワイド・ショーのレベルで面白おかしく扱われ使いつぶされる単なる猟奇事件で終わったかもしれないのである。

■ちょっとでも「政治」なんかに手慣れてくると、人間、態度が傲慢になってくる。そして、頭は、じつはもっともっと悪くなってくるのではないだろうか。今「めぐみさん」のことを映画に撮っている…、そんなことを聞いたら、旧来の政治文法でしか動けない奴は「キミィ、そんなことで拉致された人たちを取返せると思ってるのかね!」とか言いそうだな。でも、わからないよ。アメリカ人にとっての「映画」は、日本のオヤジたちにとっての『文芸春秋』、日本のサラリーマンやオバサンたちにとってのコミック雑誌と同じですからね。何がどう転ぶかなんて誰にもわからない。ただひとつはっきりしていることは、野中みたいな「政治手腕」とやらに何の意味も未来もなかった…ってことだけさ。

■普通の「政治」文法で考えると、これだけ被害者救出運動が盛り上がっている時に、家族会会長でもある横田滋さんのような「訪朝」発言が出てくること自体があり得ない。でも、家族会や救う会は、これでやってきたんですよ。横田氏を排除することも更迭することもなく、これでやってきたんですよ。こういう人間の感情の揺れを隠さずに出して、でも、なおかつ、救出運動を続けて行く…というところが、旧来の手垢のついた市民運動・政治運動とひどくちがっていて、私には何かこれからの日本人の生き方を示唆しているものに思えるのです。これからも横田氏を注目して行く由縁です。

■壊れた「掲示板」、「救う会滋賀」の方で復活したみたいですね。「拉致問題対策推進室」 よかった、よかった…
大歓迎です 事務局
湖様 ご意見ありがとうございます。ほんとうはメールアドレス未記入のご質問にはお答えしないルールなのですが、掲示板運営のいちばんだいじなところをご質問ですので、事務局が自分でルール破りですがお答えする事にします。
掲示板運営者は「救う会滋賀」ですが、書き込みをして頂くのは、どこの人でもぜんぜん問題ありません。本会事務局長は初代「インターネットの会」代表だった人で、インターネットのことはよく知っていますし、承知のうえで決定を下しています。それどころか、このHPで掲載している情報を見て、滋賀以外の人が集会などに参加していただいてもいいと思っています。
拉致事件は滋賀県だけの問題じゃなくて、日本全部の問題です。とうぜん意見を持っている人も日本中にいると思います。ですから、住んでいる場所で書き込みを制限したり、削除したりなんて、とんでもない話です。どうか、安心して書きこみして下さい。

■「福岡の会」HPは、別の意味でも、懐かしいHPです。その昔、スワン社HPを始めた頃、この「福岡の会」のページをダウンロードしては、そのタグを見てHP画面の作り方をあれこれ勉強させていただきました。技術的な学習もありましたが、なによりも勉強になったのは、こういう表現がしたい時にはこういう形式を使う…というスキルの部分でした。いくら感謝してもしきれません。ありがたい師匠です。

■1月13日「成人の日」の日付の文章がなぜ今頃アップされるのか?ですが、これは、スワン社の方で紙版の『SWAN』や『Northern songs』の発行が復活したことの影響です。(あと、確定申告の影響も少し…) HPと紙版のペースにまだ慣れていないため、こんな混乱が続いています。もう少しだけ猶予を…<新谷>
 
 

 
メトロポリス(たるげい 2003年1月16日号)のあとがき

■『メトロポリス』は、短大「図書館だより」第72号の『小樽マジカル・ミステリー・ツアーA』原稿に若干の加筆を行った文章です。その「図書館だより」、3月3日発行予定の第73号をもって「休刊」に入ります。以後、短大「図書館だより」が持っていた図書館のスピリットは、スワン社発行の「Northern songs」と「SWAN」に引き継がれます。

■今後、このようなケースが増えてくると思います。短大図書館ホームページで連載されていた『指輪物語』や「手塚治虫」に関するコーナーも、近い内にこちらのホームページに移ってくるでしょう。正月期間に実験的に行っていた「今日の小樽」も、容量の問題さえ解決すれば、こちらの正式コーナーとなるはずです。徐々にではありますが、研究団体時代から現在の個人事業になった「スワン社」の20年間の歩みのすべてが、今、ここに集合しつつあります。

■20年の時間はそれなりに重い。「お前らも政府も原状回復だとか元に戻せとか言ってるけど、それって俺が向こうで生活してきた24年間はまったく無駄だってことかよッ」(「弟と私 誰にも言えなかった修羅」蓮池透,『文芸春秋』2003年1月号)と言った蓮池薫さんの気持ちがわからないでもないです。

■蓮池薫さんは、当時、お茶の水にあった中央大学の最後の学生なのだそうで… 私は勘違いしていました。もうとっくに八王子に移転した中大かと思っていました。大学生活3年間の内、わずか半年間が蓮池さんの「八王子」時代になるわけですか… 3年の夏休みで柏崎に帰省していた時、市立図書館で仕上げたレポートを残して北朝鮮に拉致されたのですから、実質、「お茶の水」時代の中大生なんですね。私も「お茶の水」時代(蓮池さんの二、三年前の学生)なので変な親近感があります。あそこは良かったな。(といっても、八王子の生活は知らないが…) あそこから24年の月日なのだから、それは大変に重い事実です。

■「中大生」ということでは、もうひとり意外な人物がいます。それは「黄長□(ファン・ジャンヨプ)」。韓国に亡命してきた北朝鮮の最高幹部。主体思想の創始者ですね。彼もたしか1940年代の中央大学留学生だったと思います。この2月で、彼の亡命生活も7年目に入ります。太陽政策なんてもののおかげで、まだまだ彼の軟禁状態が続くことに怒りを感じています。

■誰にとっても歳月は重い。去年の暮れから今年にかけてぱたぱたと知人の訃報を聞きました。その中には、恩師や恩人の訃報ばかりではなく、かつて一緒に仕事をしていた同僚の訃報なども混じるようになってきています。いろいろと考えてしまいます。自分が死ぬ時に、「死んでも死にきれない!」などといった想いを残して終わりたくはない。そうならないためには、私は何をしなければならないのか…、何を判断しなければならないのか…を考えてしまいますね。<新谷>
 

 
今日の小樽2002ベスト(2002年12月25日〜)のあとがき

■韓国大統領選にはがっかり。「ジョン・レノンの『イマジン』が流れている。大写しになった廬武絃氏の目から涙。そこにナレーション。<廬武絃の涙のひと滴が韓国を変える>」(蘆候補のTVコマーシャル)。こんなセンス、相当ダサいもんだと思うけどな。なんでこんなもんが21世紀になってもまかり通るのか、よくわからない。

■スワン社ホームページでいつも使っている画像、あの女の人がひとりで歩いているアイコンですが、替えました。ホームページの最初からずーっとこのアイコンで来たことにはそんなに深い理由があるわけではありません。ただ単に無精なだけです。OCNのホームページ用テンプレートにあった無料アイコン、ずいぶん長いこと使わせていただきました。ありがとうございます。

■今度の猫もホームページ・ビルダーに付いていた付録アイコンです。(笑。なんにも変わってねえ…) こういう人って、世の中にはけっこういるんですよ。3DKのアパート暮らしで一生平気だ…って人ね。私も、田上義也設計の家でないのなら、あとは何でも同じだよという口です。

■士別市に「岡崎病院」という歴史的建造物があるんですけどね、あれは美しいですねえ…あれを図書館ネットワークの拠点施設に使わせてくれるのなら、気合い入れて一生一代の名「図書館」を創ってみせる!とか妄想は膨らむが。<新谷>