スワン社HP Northern songs 2002年10月15日号

 
 
牛がいて、馬がいて…
 
新谷 保人
 

 久しぶりに拉致問題について書いた過去の文章を全文読み返しました。あまりまちがったことを書いていなかったことに正直言って安堵。今は、そんな、しみじみ過去を振り返るような時ではないことは知っているが、一ホームページ主宰者としては自分の言動にやましいところがなかったことを再確認できたのはやはり嬉しいことなのです。ちゃんと自分が本や情報や時代を読めているということは。
 私の仕事は「読む」のが仕事の商売だから… 図書館司書が何なのか?ということについては、もう昔から諸説紛々。イモ虫みたいな司書から外務省の役人みたいな司書まで選りどり見どりですが、私はいちばん単純に言って「司書とは本が読める人」という風に考えています。本が読めてこその、さらに積み重ねる技術や能力なのであって、それ以上のものではありません。だから、本が読めなくなったら、どんなにテクニックや表現力があったとしても、もう終わり。時代や世界を読みまちがった日本社会党のように、もう終わりです。
 9月の日朝首脳会談までの時点で、拉致問題の本が一冊も入っていなかった図書館、未だに『韓国からの通信』(岩波新書)を書架に出していて平気だったような図書館は、もう「図書館」の看板を下ろした方がよいのではないでしょうか。

 

 『北海道新聞』の10月8日朝刊に横田夫妻のインタビューが載っていたので一部書き写します。ローカル記事なので全国には配信されていないと思いますので。
 
「孫であってほしいが…」 横田さんの両親 揺れる思い語る
(2002年10月8日朝刊・第一社会面)

………鑑定で、血縁関係が否定されたら、めぐみさんの死亡情報も極めて疑わしくなりますが。
滋さん
「北朝鮮も偽者は出さないだろう。わたしは本当の孫であってほしいと思っている。その子とめぐみが何年か過ごしたことになる。めぐみにとっては悪い結果につながるかもしれないが、早くはっきりさせたい。少女も母親が死んだのは見ていないし、調べると、生きているという希望が持てるようになるかもしれない。」
早紀江さん「北朝鮮は何をしてくるか分からないので、鑑定結果を待ちたい。孫のことまで感情が行かないし、物語の世界のようだ。夫は娘が戻ってきたように感じるのか『孫だと思う』とよく言っている。めぐみちゃんは工作員の教育をしていたはずで、表に出せないから死んだと言っているだけだと思う。」
………成人しためぐみさんの写真を少女が持っていましたが…
早紀江さん
「合成写真かもしれない。目が違うと思うが、似ていると感じるときもある。険しい顔になっていると想像していたので、こんな穏やかな表情が表情ができるのかと不思議な気もする。」
………鑑定結果が出れば訪朝する考えは。
早紀江さん
「分からない。安易に足を踏み入れてよいのかと悩んでいる。」
滋さん「行かないと何も分からない。めぐみの夫だった人はわたしたちが行けば会うと言っている。どうしてめぐみと結婚したのか、どんな生活だったか、本当に死んだのなら墓はどこにあるのか聞いてみる。」
………多くの人がめぐみさんの無事を祈っていると思います。
滋さん
「ありがとうございます。帰ってきたら何と言ってあげられるか、思いつかない。声がでないかもしれない。日本の高層ビルを見せて、ディズニーランドにも連れて行って早く今にの日本に慣れさせたい。」
早紀江さん「北朝鮮では何でも監視され、気持ちが、きーっとなっているはず。北海道の牧場のような大草原に連れていって、大の字に寝かせたい。牛がいて、馬がいて、雲が流れる所で、自由なんだと実感させたい。そんな日が早く来てほしい。」
 

 横田滋さんの「ディズニーランド」の言葉には胸が苦しくなります。めぐみさんが拉致されなければ、きっとディズニーランドにも当然遊びに行った普通の家族だったのだろうから。
 北海道の人ならばともかく、今時、神奈川県川崎の人が「高層ビル」も「ディズニーランド」もないだろう…と今の人なら思うのではないでしょうか。そんなこと言う田舎モン、今時いないぜ…と。でも、こういうことなんだと思います。拉致された日から幸せな家族の時間は止まったままなのだから。横田家は「いつめぐみが帰ってきても家に人がいることがわかるように」と玄関の灯火を一晩中つけて来た人たちなのだから。

 以前、高村光太郎の「牛が居る馬が居る」という詩について悪罵を書いたけれど、まさか、横田早紀江さんが「牛がいて、馬がいて」と言うとは思わなかった。(笑)
 まあ、ぜひ、めぐみさんと北海道の大草原に来てください。そういう「北海道」が誰の胸にも少しはあるのだということは否定しません。「大草原」ではないけれど、朝の札幌というか、朝の石狩平野って、なかなかいいですよ。郊外を朝一番でドライブしても美しいし、ラッシュ時の札幌の街もなんとなく活気が漲っていて美しい。汗臭くない。でも、生き生きしている。平壌が張りぼての映画セットの街だとしたら、こちらはホンマもんの「北国の青い空」ですからね。本物を見てしまえば、北朝鮮の洗脳だって壊れるんじゃないか。

 

 今、10月15日、午後5時すぎ。生きていてよかった!
 もっとやつれ果てた顔を思っていたのだが、その点だけは予想は裏切られました。(でも、その方が良いに決まっているが)
 まだ記者会見(5人とも会見に臨むそうだ)が始まっていないのでなんとも言いようがないが、タラップを降りてきた時の感じでは、数年前の日本人妻が税関から出てきた時の印象とはかなりちがっていました。やっぱり、この人たちは「拉致された日本人」なのだということを痛感します。思想改造しようにも、やはり改造できない最後の一線というものがある。自らの意志で北朝鮮に来た日本人ではない、なにか最後の一線が…
 人質(子ども)が北朝鮮に残っている以上、一週間や二週間では洗脳や北朝鮮の脅迫を撥ねつけるまでは行かないと思うが、でも、この最後の一線が5人の誰か一人にでも残っていたら、もうその後の展開は一気ではないだろうか。日本の領土に今入っている!ということは、そういうことだ。側に肉親が今いる!ということは、そういうことだ。それに気がつくのに、そんなに時間はかからないと思う。
 5人があえて会見に臨む…ということは、私の予想では、たぶん、5人は「横田めぐみさんの自殺」とか、この前ついた嘘の上塗りを語るのではないかとも思う。寺越さんみたいな哀しい嘘八百を… でも、今の日本人がそんな北朝鮮のおセンチな田舎芝居に泣くとでも思っているのだろうかな。
 5人は取り戻した。だからといって、私たちは残りの8人のことを忘れたわけじゃないぞ!絶対に生きて取り戻す。そして、ここからはちょっとハードな道になってくるけれど、あの、拉致を命令したテロ野郎の身柄拘束、戦争犯罪の追求だけは必ずやる。

 会見の前で、一度アップします。
 

…と、していたのだが、「ごはんですよ」の声がかかったので、アップは夜に。
 

 簡単な挨拶だけでしたね。初日からドンパチにならなくてよかった…

 戦災の焼け跡に呆然と立ちつくす庶民とか、勤労動員先からほとほと疲弊して街に帰ってきた学生のような感じを受けました。基本的に、軍人さんや政治家ではないのだから、これで当然か…とも思います。ほんとに運が良かったのだ、この人たちは…と思いました。もう、これ以上、この人たちを苦しめるのは、見るに忍びない。この人たちの代わりに、土井たか子や和田春樹や金丸信の遺骨でも送り返してやればいいんじゃないのか。金正日に。
 
 

 

■皆さん、さようなら。今夜の汽車でJ2へ帰ります。
まさか、今日(10月12日)の試合にまで小倉を使い続けるとは思わなかった…あんな虚仮脅かしのポンコツ選手、道民の方々は何を有難がってるんだか… 去年も一昨年も「今度こそオグラ獲得!」の噂が流れては、それをあざ笑うかのように「今度はウィルで勝負ですよ」とやってくれる岡ちゃんが大好きでした。あの独特のスカし方こそ、そこら辺の田舎もんとはひと味ちがう札幌人の誇りだったのに…どっかのイモがオグラの蓋を開けてしまったよ。

■また、大分くんや平塚くんと試合の毎日だ… J1に残留したいのなら、今日は、ボロ負けでもいいから若手で行くべきであった。意地ってもんがある。向上心ってものがある。早く「ピッコロ大魔王」奈良を出せ!とあれだけ言い続けているのに、それをあざ笑うかのように「今日は松川ですよ」とか「森山さんですよ」とかやられて、さすがの私もちょっと愛想が尽きた。

■いつ戻ってくるのか、全然わからない… もう、戻ってこないかもしれない。あれだけ恥ずかしい無気力試合を見せてしまったら、なかなか人の信頼を取り戻すのは難しいもんだ。今のところ方策が立ちません。でも、昔、J2優勝〜J1昇格の時に有頂天になった責任もあるから、こういう、旗色が悪くなった時だって、きちんと何故ダメだったのかを考える責任はあるのだと思っています。J2降格が決まりそうな来週にもコンサドーレ原稿をアップする予定です。<新谷>
 
 

(10月6日の「Northern songs 号外」の再録です。)
 
スワン社のパソコン・システム、リニューアル

■8月中旬にスワン社のパソコンが壊れてから一月あまり。「日朝首脳会談」が行われ、日本人拉致問題が大きく動いたこの大事な時期にホームページの更新ができないのは辛いことではありました。多少なりともこのことに関して言論をしてきた者として、機械の故障では言い訳できない社会的責任を感じています。これから直ちに各ページの更新にかかりますのでご容赦ください。

■2台ともハード・ディスク関係の劣化が原因でした。やはり長年(6〜7年間)にわたって使い続けたりしたのが悪かった。機械も2〜3年の間隔でどんどん更新していった方がいいみたいです。ちょっとキツイ「勉強」になりました。でも、これで、インターネットの時代を生きている快適さ、物凄さを実感したのも事実です。

■その昔、スワン社で、あと数件のデータ作成で完成!という時に、同じくハード・ディスクの故障で約3万件のデータベースが一瞬にして消えてしまった大災害がありました。あの時はショックのあまりひと月くらい仕事する元気がなくなりました。そしてデータベースの復旧にはさらに数ヶ月の時間がかかりました。事故の規模としては、今回のウィンドウズ・パソコンの故障も同じです。今まで書きためてきた文書ファイルが(何のバックアップの準備もなく)一瞬にして全部消滅したわけですから… でも、それほどの「災害」であったにもかかわらず、今回、「被害」はゼロだったのです。何故か?それは、私の全文書は私の家からは無くなったけれど、同じ私の文書は私の「SWAN2001」ホームページに全部あったから。

■自分のホームページを持っていてよかった!とつくづく思いましたね。あの、画像のひとつひとつ、文書のひとつひとつを復刻する気力も時間ももう私にはありません。それくらいには年をとってしまった。(残念ながら…) 一昨年から去年にかけてホームページ作りを急いでいて正解でした。あの頃、ずるずると「もう少し、他人様の前に出せるように文章を手直ししてから…」とか躊躇ったり、韜晦していたなら、おそらく今の私はなかったでしょう。この「災害」に打ちのめされて、あるいは、これ以上文筆活動を続ける気力が失せてしまっていたかもしれない。

■ホームページは作りましょう!何よりも自分のために。歴史のどこかに自分が生きてきた証を残したい。だから、図書データも作りましょう!自分の蔵書も、自分の町の図書館蔵書も、そのすべてを作ってインターネットに載せましょう!そうすることが自分の人生を守る最大の知恵なのです。そして、大事なことは、それは自分が生きている時代に実現されなければ意味はない…ということなのです。今回の事故を経て、つくづくと実感しました。今後、こういう環境を自分の身のまわりに作って形を残してゆくことを自分の仕事として行こうと決心しました。

■右翼だ…子どもを失った悲しみのあまり妄想にとり憑かれているんだ…もともとがそういう問題のある子どもだったんだ…とあらゆる心ないデマや中傷を浴びせられながら、でも、それに挫けず、「北朝鮮による拉致である」ことを追求・言論していった日本人が数多くいたことに胸を打たれました。小泉が偉いのではない。自分の知性や理性のすべてをかけてひとつのことを言い切るには勇気がいる。そういう勇気を持った正気の人間が数多くいたことが今回の成果のすべてだと思います。金正日が生きている内に、その罪を歴史の闇の中から大通りに引っ張り出したことは大きい。日本の大衆の成熟を感じます。

■だから、私は、北朝鮮に拉致された人たちがまだ生きていることを確信しています。横田滋さんが「まだ生きている」と言っている以上、それに勝る「事実」はない。誰が嘘をついていたのか、誰が大衆を騙していたのかがはっきりした今、同じ懐メロに騙される馬鹿などいない。これからも、私は私の言論に責任を持って生きて行くし、横田滋さんの言葉を信じます。本当は、インターネットの掲示板ひとつにだって自分の意見を書くことにはやはり勇気はいる。小さな心の痛みも伴う。でも、「もう少し事実が判明してから…」などと言っていたら、拉致された人たちは一生北朝鮮の闇の中から浮かび上がっては来れなかったのだ。「事実」は、今生きている自分の全存在、全知性をかけて最後は自分が選びとるものだということを痛感しています。

■コンピュータは、インターネットは、そういう人間の叡智のために使う道具です。そして、北朝鮮の作ったノドンやテポドンの命中率ほど、私たちの命中率は甘くはないぞ。<新谷>