小樽に残る田上ハウスC
坂邸
 
Northern songs 2002年5月21日号
新谷保人
 
 
 小樽に残る田上ハウスを探す旅も今回が最終回。あまりにも有名な「坂邸」の登場です。
 
 坂敏男(ばん・としお)、住友坂炭鉱株式会社の二代目。1925(大正14)年、住友合資会社との共同経営化の際、株を手に入れ、この銭函(現・見晴町)の土地を買った。北海道の炭鉱事業の興隆期ですね。父の坂市太郎が、あの北海道の石炭を発見したベンジャミン・ライマンの鉱物調査の助手を勤めていたそうで、敏男の二代目になって、ついに事業も花開いたという感じなのでしょう。いわば、その象徴としての「坂邸」ではあります。
 
 
ここを選んだのは、石狩湾を一望する眺望の良さもさりながら、経済都市・小樽と道都・札幌の中間だからだろうと現当主・坂輝彦は推測する。マンドリンや尺八が好きで札幌の音楽会にも出かけたといい、田上との出会いはそのあたりにあるかもしれない。また、ライカやペンタックスを片時も離さなかったといい、第十一章で紹介する画家・澤枝重雄が審査員を勤めた「第一回芸術写真展覧会」佳作を受賞するという腕前でもあった。ダリアの栽培でも数々の受賞歴をもつ、多芸多彩の人であった。
(『田上義也と札幌モダン』井内佳津恵著)
 
 なぜ見晴(銭函)に田上作品が集中しているのだろう?という、かねてからの私の疑問はこれで解決です。つまり、見晴(銭函)までは「札幌」の文化人・経済人たちのリゾート地だったということです。地域的な区分では「小樽」なのですが、意識としては「札幌」人のテリトリーでした。あるいは、こうも言えるかもしれない。丘の上の「見晴」は「札幌」、下の「銭函」が「小樽」だった、と。
 「石狩湾を一望」できなければ、わざわざ札幌から来て別荘を建てる意味がない。こういうことを聞くと、小樽の人たちは、海が見えるのがいいんだったらもっと小樽市寄りに来ればいいだろう…繁華街も札幌に負けないくらいあるし…とか言うんですけどね。でも、なかなかそう単純な話ではないのです。小樽市内まで行ってしまうと、もうなんと言うかなぁ、「生活」になっちゃうんですよ。例えば、坂敏男氏にとっては、「小樽」は自社が掘り出した石炭の積出港がある街ですから、もうそれは「職場」の範疇になってしまう。誰もそんなところに別荘を建てたいとは考えません。
 
 
 この、小樽人と札幌人のちょっとした意識のズレ、今でも形を変えてずーっとずーっと続いているように気がする。「海が見える」ったって、マイカルから見える「海」と坂敏男が見ていた「海」はちがうのに。田上義也はかなり自覚的です。だから、同じ田上の作品といっても、その「坂敏男の家」に焦点を合わせた建築は他の誰の家ともちがうものなのです。意識構造がはっきりちがう。だから、建築構造もちがう。形も色もちがう。
 
 坂敏男の見ていた「海」と、映画監督・岩井俊二の見ている「海」もちがうしね。結局、こういう微妙なズレに無頓着な人間たちが、韓国や台湾から観光客がいっぱい来る!って喜んでいるのが、今の小樽という気がします。『ラヴレター』、観たこともないくせに。
 詰めが甘いんだから… 映画を一度でも観ていれば、岩井俊二がどれだけ「海」を使わずに「小樽」を表現しようとしていたか、すぐわかることなのに。そんな努力さえしていない。あれは画期的な「小樽」なんですよ。かなりの数の小樽アイテムを意識的に排除して、逆に、使ったものといえば「図書館」とか「トンネル」とか「中学生」といった誰も思いもつかなかったような素材だったわけです。それらを「映画」というマジックで組み合わせ、奇跡的に「小樽」というものを成立させたところが岩井俊二の才能なのです。昔、田上義也という人が「建築」というマジックで、これと同じことをやったように。
 だから、ヒロインの藤井樹が寿司を食ってるシーンなんかあるわけがない。(『はるか、ノスタルジィ』じゃないんだから…) 『ラヴレター』に憧れて小樽に来た人たちだって、別に寿司や運河なんか関係ないんですよ。でも、相変わらず、寿司屋通りの前で観光客が来るのを待ってる…ってのが今の小樽じゃないのかなあ。
 
 その点、昔の小樽人、高田紅果って、すごく感度がいいなぁと思いますね。東京からあの「啄木」が小樽に来た!と聞けば一発で訪ねて行くし、当時札幌に来たばかりの無名の田上義也に自分の家を注文したりとか。なんか、センサーが全然ちがうという感じです。
 
 
 なぜここで『ラヴレター』話題をやっているのか?わからない人、いるでしょうか。(意外と「小樽市民」でもいるような気がする…) これは、つまり、岩井俊二監督の映画『ラヴレター』の中で、見晴の「坂邸」がほとんど準主役みたいな位置付けで使われているからなのです。主人公・藤井樹の住む家として大々的に使われている。
 だから、私たちは、今、田上作品の中でも札幌の「旧小熊邸」と一、二を争う出来映えの小樽「坂邸」内部をこの目で見ることができるという、とんでもない幸せに浴しているわけなのです。
 本当に幸せ。形あるものだから、田上作品だって、いつかは壊れて無くなって行きます。でも、現時点でベストを争うような作品が、ふたつとも形を変えてその内部まで見ることができるなんて(札幌が「喫茶店」という形で、小樽が「映画」という形で…ということも、なにか、ふたつの街の個性を現しているようで面白い)、なんてすばらしい街なんだ!
 これで、「北一条教会」がインターネット中継なんかで見られたら、もう言うことないのですけどね。でも、こういう想いも、あながち夢とばかりも言っていられないような昨今の状況です。例えば、前回とりあげた『バーチャル列車で行こう!』。そして、今回ご紹介する『Love Letter』ホームページなんかを見ていると、インターネット上で『田上義也全作品集』を見る日も近いのではないか…といった期待を抱かせます。
 
 で、『Love Letter』ホームページ。これは凄いですよ。未見の方は今すぐ駆けつけてください。4月にリニューアルして帰ってきてからは一段と迫力を増しました。『バーチャル列車で行こう!』がテクニックのもの凄さだとしたら、こちらは、人間の想い入れや行動力のもの凄さとでも言いましょうか。ほんと、世の中には凄い人がいるもんだ。
 
 
 
止せ、止せ
みじんこ生活の都会が何だ
ピアノの鍵盤に腰かけた様な騒音と
固まりついたパレット面の様な混濁と
その中で泥水を飲みながら
朝と晩に追はれて
高ぶった神経に顫(ふる)へながらも
レッテルを貼つた武具に身を固めて
道を行く其の態(ざま)は何だ
平原に来い
牛が居る
馬が居る
貴様一人や二人の生活には有り余る命の糧が地面から湧いて出る
透きとほつた空気の味を食べてみろ
そして静かに人間の生活といふものを考へろ
すべてを棄てて兎に角石狩の平原に来い
 
(高村光太郎、詩集『道程』より「声」)
 
 うーん、何十年かぶりに書き写したけれど、やっぱり今でも気恥ずかしい! 高校生の時、この詩を読んで、のけぞりかえったですよ。これのどこが大詩人なんだ…って。今でも、こんな奴、いるよな。予想通り(というか、高校生でもわかることだが)この北海道移住計画は一ヶ月にも満たない札幌滞在で頓挫します。やっぱりね、「みじんこ生活の都会が何だ」程度の思想性では無理ですよ。札幌の月寒なんて、まだまだ都会じゃん。根性ない奴だな…こんな場所で音を上げるようじゃ、サロベツの牛に笑われるよ。
馬鹿
自ら害(そこな)ふものよ
という、かなりキマったフレーズも入っている詩なんですけどね。(ここだけ、いつも愛唱してます) 道民としては、ちょっと…
 
 田上義也のこと、この手の連中といっしょに考えらる人がいたら、それは見当ちがいです。ああいう一見ロマンチックな建築だから、つい誤解されるのだけど、高村光太郎みたいな柔な人ではないよ。札幌の街にしっかりと住み着いた人なんですよ。田上の作品はキレイなだけじゃなくて、きちんと北海道の自然や生活の理に適った実体なんです。格好だけの代物が75年の風雪に耐え続けられるわけがないだろう。
 
 高村光太郎の詩「声」のような感性の人は都会にも北海道にも多い。そんな人たちが「試される大地」とか言っては現れ消えて行くという歴史を百年以上もやっているわけですけど、私なんか、もう疲れぎみです。空虚な言葉たちに。「牛が居る/馬が居る」レベルの言葉って、結局対応しているのは、小樽には「運河がある」とか「寿司が旨い」といったレベルの言葉や態度と同じなんですよ。同類。チープさ加減なんか、そっくり。
 北海道の地面の表層4〜5メートルのところは、そんな「声」で満ち溢れている。でも、それだけだったら、「小樽」も「札幌」も「北海道」もなかっただろう。もしも、それだけのものだったら、日本中に溢れている安い地方都市のひとつで終わっただろう。でも、そうならなかった。
 そうならなかったのは、たぶん、そこに、「田上義也」という人や、「高田紅果」という人たちが、生きていたからではないでしょうか。そういう人たちの、なにか、「この街」を見捨てることができない…想いがそこにあったからではないかと考えます。
 
 
 
 
■小樽に残る田上作品を巡るシリーズも今回が最終回。素人の拙い文章と写真におつき合いくださりありがとうございます。五月の連休の間でかたづくだろうと思って始めた小樽散歩だったのですが、意外な長丁場になってしまいました。でも、面白かった!久しぶりに、美しさもガッツも兼ね備えたいい作品を見つけた喜びでいっぱいです。
 
■この後、かねてから懸案の「市立小樽文学館」データ約8000件の遡及作業に入ります。今度こそ全件出来上がるまで集中的に作業を続けようと思っています。いつ図書館が凍結状態になっても心残りがないよう、今までの懸案事項は全て迅速に(でも正確に)やり終えようと考えています。
 
■田上義也の仕事、陳腐な言い方かもしれないけれど、そこに感動がありました。特に、小樽に残る5作品。それらのすべてが現役の民家であったことには感動しました。田上には遠く及ぶべくもないが、私も、なにか、こういう仕事をこの世に残して死んで行きたい…と思いましたね。<新谷>