小樽に残る田上ハウスA
坂牛邸
 
Northern songs 2002年4月29日号
新谷保人
 
 
 前回、「この旧高田邸が田上義也(たのうえ・よしや)の民家建築の第1号作品だったのです」と書きました。わりと、さらっと書き流したので気がつかれなかったと思いますが、なかなかこの写真はすごいのですよ。というのは、第1号作品にして、すでに後年の田上作品の特徴と言えるものが全部揃っている、まさにその証拠写真ではあるのです。
 
 
 「寄せ棟」の屋根の造り。「横羽目板」の外壁。外壁の茶褐色と窓枠の白い塗装の色の対比。同じく「窓枠」と「軒天井」の大きさの対比、その美しさ。家は、富岡の山の斜面に建っているのですが、見えている「窓」は見事に朝日が昇ってくる東を向いている。その左手には小樽市街、遠く小樽湾が一望できる。まず民家としては、これ以上はないような贅沢な家でしょうね。
 大工泣かせの建築であることは、私みたいな素人でもわかるような気がする。どう考えたって「窓」が多すぎるから。大きすぎるから。北国の普通の民家だったら、もっと「壁」を大きくとって風雪から身を守ろうとするのだけれど、ここでは全く逆な発想が使われている。まるで軽井沢の別荘のような張り出しの「窓」。(しかも、この窓、「二重窓」になっている…) 「寄せ棟」だけでも面倒くさいのに、さらに、こんなに「壁」部分に細工が多い建物なのですから、大工さんはたまらないだろうなぁ…と思いますね。一軒作るのに何ヶ月もかかるんだろうなぁ。よっぽどの金持ちじゃないと、こんな家、建てられないですよ。
 
 
 以前、『北風の町の図書館』でご紹介した「木の城たいせつ」も、じつは、かなり金持ち相手の建築ではあるのです。快適な住まいですけれど、やっぱりそれなりにお高かった。今は、定評もついて、工法もインフラも進歩しましたから、マニュアル化・大衆化によって一般の庶民でも「木の城たいせつ」を手に入れるのはそんなに大変な努力がなくともよくなりましたけれど、昔は大変だったのです。なんたって100年持つ木造建築ですからね。田上がフランク・ロイド・ライト直伝の建築美学なら、こっちは日本の「宮大工」一千年の伝統技術の集合体なんだから。
 かように、「たいせつ」の家と田上義也の家は、「北海道の家」を考える時の両極端、「イングランドVSアルゼンチン」戦ではあります。でも、どっちも、考えに考え抜かれた「北海道の家」ではあるんですね。例えば、先ほどから言っている田上の「窓」。あれは、全然、カッコだけの装飾品ではないんです。あの「窓」だからこそ、建物の内部にたくさんの光を集めることができる。日照量の少ない「北海道」(←これは本当の話。北海道の女性がきれいだというのは、じつは日照量が少ないから肌が白くお化粧のノリが良くなる…)は、普通の窓ではどうしても家の内部が暗くなる。知らない内に心が落ち込んでしまうのです。
 田上は気がついていたのではないかなぁと思いますね。外は吹雪…、会社はリストラされた…、女房は出ていった…、酒はない…などという状況に加えて、家の中が物理的に暗いと、人間、何をするかわかったもんじゃないということを。内地から来た人なら1シーズン北海道で過ごせば誰でも気がつきます。北海道は「寒い」というより、陽の光が「少ない」のだ、と。それが、いろいろな意味で「北海道」的な気質や風土を決定づけているのだ、ということを。そういう田上なりの分析・解釈の上で、あの独特の建築はできあがっているように私には思えます。ですから、そういう配慮が込められている田上の「家」で暮らすと、多少貧乏でも、家族みんな幸せに暮らせるのではないでしょうか。いや、冗談でなく…
 そして、プラス「芸術点」。田上の色や形のセンスは本当に素晴らしい。たぶん、それぞれの家を建てる地域のロケーションをかなり綿密に考えて建物の色や形を決めているのだと思いますが、本当にあれだけの色のアイデアを使いこなしたというのは凄いことだ。現在、田上作品の多くが、民家の他にも、喫茶店レストランとして活用されていることには理由がある。とっても「北海道」っぽいから。誰もが夢に描く「北海道の家」イメージがそのまま現実になったかのような田上作品。これって、とても凄いことだと思うのです。私たちの多くが思い描く「未来都市」イメージが、じつは、知らない内に手塚治虫のマンガによって決定づけられているように、「北海道の家」は田上の建築群によって無意識下に決定づけられているのですよ。たぶん。
 
 
 屋根の緑が大胆な作品、「坂牛邸」です。本当に、こんな緑色の屋根の下で暮らしていて落ち着くのかなぁ…と不安になるかと思います。この家のことだけを見れば…ですが。でも、この写真を撮りに行って、すぐにわかりました。「緑」で大正解! この家は小樽公園の麓の、坂の街小樽にしては眺めがパーッと広がった場所に建っているのですが、こういうロケーションならば「緑」しかないでしょうね。そこで躊躇わずに、そういう色・形を選び取る…というのが才能の人「田上義也」なのではありました。白樺の公園の小径を降りてくると、そこに緑のとんがり屋根のお家があった、と。
 
 「木の城たいせつ」って、住み心地よい家なんだけど、こういうところだけは弱点なんですね。あんまり、その家が建っている周囲の環境ってものを考慮しないんですよ。あと、さっきも言った「屋内」の光ね。照明に関しては本当に無頓着なような気がします。あれだけ風雪に負けないように頑丈に造りますからね。中を明るく暖かくするためには、やっぱり電力を食うんですよ。そこだけが難点。
 
 どっちが良いのかなあ… 田上ハウスは、やっぱり田上義也一代限りの芸術作品。でも、「たいせつ」は進化する。大衆化する。今言った弱点だって、いつかは、内蔵システムの「宮大工」テクノロジーによって克服して来るのではないだろうかとさえ予感させる。あるいは、未来の私たちの「北海道の家」は、この両者の革命的な融合なのでしょうか。
 
 
 
田上義也 たのうえ よしや:1899〜1991
本名、田上吉也。栃木県那須野町出身。
1913年青山学院中等科入学。その2年後には、早稲田大学附属工手学校建築科(夜間)にも入学。
1916年早稲田工手学校を卒業後、逓信省大臣官房経理課営繕係に勤務。
1918年F.L.ライトの募集広告により帝国ホテル建設現場に勤務。F.L.ライトに学ぶ。
また同時に、兄弟子アントニン・レーモンドより様々な講釈を受ける。
帝国ホテル完成後、北海道へ渡り、フリーアーキテクトとなる。
ライト作品のモチーフを生かしながら、地元風土に根付いた建築設計を目指した。
主な作品:札幌北一条教会(失)、網走市立郷土博物館、小熊邸、坂邸など。
(「暮らし上手さん登場」HPより引用)
 
 田上義也について書かれたものとして、最近のものでは北海道新聞社発行の『北へ…』が記憶に新しい。でも、ここに描かれている「田上義也」、ちょっとハーレクイン・ロマンスみたいにドラマチックすぎるんですけど。
 
 1923年(大正12年)11月、田上義也はバイオリンひとつを抱えて北へ向かう旅の途上にあった。のちに北海道の近代建築の先駆者と評される彼もまだ、24歳。上野をたった夜行列車は、夜明けに盛岡を過ぎようとしていた。
 向かいの席に長いひげを蓄えた老外国人がいた。<中略>
 義也には、明確な目的もない旅だった。米国の著名な建築家フランク・ロイド・ライトのもとで東京の旧帝国ホテルの設計監理の仕事を手伝ったが、ライトは帰国し、ホテルも完成。その年の関東大震災で廃墟同然となった東京に、駆け出しの建築家の居場所はなかった。学生時代の下宿先、北村透谷の未亡人宅に出入りしていた有島武郎らの顔が浮かんだ。旅の動機はその程度のものだった。
 小樽を目指していた彼は老人に誘われるまま札幌に向かい、赤れんがの道庁裏にある自宅洋館に旅装を解いた。その時初めて、この人物がアイヌ民族の文化向上に尽くした英国人宣教師ジョン・バチュラー博士だと知った。一年後、博士の依頼で自宅そばに「バチュラー学園」を設計、彼の道内での初めての建築作品となる。
 
 すごいですねぇ。フランク・ロイド・ライト、透谷未亡人、有島武郎、バチュラー博士…、こんなことも世の中にはあるんでしょうか…こんな華々しい「北海道」デビューを飾った人、初めて見ました。
 
 
 
 
■「図書館ネットワーク掲示板」の最後の書き込みが「水芭蕉」話題で「4月3日」、「読書会BBS」が「アトム」話題で「4月8日」が最後か… 頑張って平静を装ってはいるものの、やっぱり疲れて消耗する今年度4月のスタートでした。4月26日金曜日なんか、誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に自由になれた気がした15の夜…ではありましたよ。(笑) 連休に転がり込むような感じで入ってきて今日で三日目。ようやく、朝起きても「今日はお休みなんだ」という正常な認識が脳に来るようになってきました。連休。十年に一度の人生の変わり目だからこそ、いろいろと冷静に考えなくては…
 
■「水芭蕉」話題からの続きです。開花したのは翌週の4月10日あたりからでした。そこから一週間くらいの間でしょうか、毎日、朝の通勤の時、朝里川付近の林道へ遠回りしては楽しみましたよ。水芭蕉は偉い!ゴミのような人間たちが深夜こっそりと捨ててゆくゴミにも負けず、また今年も沈思な花を開いた。ほんとに偉い! それにひきかえ、人間の屑たちの仕業ときたら…テレビ・洗濯機の電化製品は言うに及ばず、本棚、布団、ストーブ(!)、去年なんか「畳」を捨てていったバカ野郎までいたんだぞ!ほんとに、どんな奴がこういうことをするのか、顔を見てみたい。昼間の社会の中では何をしている奴なのか、知りたい。美しい風景の中の醜い人間。きれいに化粧した顔にくっ付いてる小汚い心。
 
■その水芭蕉が終わった4月第三週、田上義也の建築写真を撮り歩いていると、なぜか「桜」があちらこちらに目立つ。おや、富岡町の桜は早いなぁ…とか思っている内に、そうでもないぞ、望洋台に戻ってきても、潮見台に行っても、もうどこでも咲いているじゃないか…という感じになってしまったのですね。ほんとに、今年の桜は展開が早かった。そして、満開を愛でる間もなく、お約束の「花に嵐」。
 
■ホームページ「おたるの図書館」のギャラリーでは「熊碓(くまうす)川」岸の桜並木を取り上げていますけれど、これはほんとにラッキーな写真なんです。夜半からの春嵐、雨と突風で「これじゃあ、せっかく咲いた桜がみんな散ってしまう!」と慌てて朝の6時に外に飛び出したのでした。その一瞬、雨が止んで朝日が射し込んだのですね。ほんとは桜の名所と言われているところまで車を飛ばすつもりだったのだけど、そんな余裕もなく、とにかく今残っている「桜」だけでも…と思った時点で通りかかったのが「熊碓川」でした。花を撮るのに精一杯で、背景なんか全然気がつかなかった。数日後、画像を見てみたら、空の青さにびっくり!というわけです。朝の6時ですよ。何なんだろう、これは…という感じです。凄い迫力。連日の荒れた内面の心がそのまま画像になったようで、けっこう私は気に入っているんですけど。
 
■「アトム」話題からの続きです。4月9日に録画した『鉄腕アトム』ベスト10ビデオは、8位『ウランちゃん』を越えて、7位『ブラックルックス』〜6位『ロボイド』のあたりまで来たところです。(笑) なかなか進まないもんだ… 35年ぶりに観た『ブラックルックス』に涙ぼろぼろ… でも、その後に入るサンプラザ中野とNHK若手アナウンサー・コンビの宝塚「手塚治虫記念館」からの中継が退屈で退屈で。いつもソファで眠りこけてしまう。こんな芸人、何が面白くて使ったんだろ? でも、この「面白くなさ」、この「退屈さ」には、どこかで心当たりがあるのです。意外と身近な光景なのかもしれません。<新谷>