スワン社HP Northern songs 2002年1月13日号

 
 
フォラツェン先生
 
新谷 保人
 

 ノルベルト・フォラツェン著『北朝鮮を知りすぎた医者』(草思社)のPart2、『国境からの報告』を読了。2001年5月に出たPart1が、なんというか、ドイツ人特有のもったいぶったレトリック満載のかなり読みづらい本だったので、11月のPart2は(出版されたことは知っていたのだけど)ちょっと手にするのが遅れた。
 てきぱきと読んでおけばよかった…ちょっと後悔。これは大事な本です。北朝鮮旅行記・訪問記は世に数あれど、こんな「平壌」を描いた人はいなかった。わずかに、李英和氏の『北朝鮮秘密集会の夜』(文春文庫)がそれに近い世界を感じさせるのみで、あとは、このような紀行を目にしたことはあまりない。みんな主義主張で心が歪んでいる。目の前にある現実が、目が曇っていて見えない。

 朝食にビール、昼にはもうすでに酔っぱらっている。毎週金曜日、平壌の街は酔っぱらった男たちであふれかえる。この国ではこれは珍しい光景ではない。酒はタバコと同じように日々の生活に欠かせないものなのだ。米のように毎日の食事の一部になっている。だが米と違い、酒はいつでもどこでも安く手に入る。これは「民族に対する麻薬」であり、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』に出てくる「ソーマ酒」そのものだ。つまり人間を麻痺させ、おとなしくさせる万能薬なのだ。
 
(中略)
 ある天気の良い日曜日の午後のこと、平壌の公園の真ん中、万寿台のところで喧嘩が始まっていた。いっしょに散歩していたモンゴルの女子大生に通訳してもらったところ、だれが歌がうまいか、それもだれがより大きな声で歌えるかをめぐっての喧嘩だという。酔っぱらった男たちはわめき、殴りあい、血を流していた。
(北朝鮮を知りすぎた医者 国境からの報告)

 例えば、この第4章「恐怖と絶望」と題された章は、この「朝から焼酎」から始まる。「朝から焼酎」〜「コーディネーターの涙」〜「これらの孤児はどこから来るのだろうか?」〜「実の子にすら心を許せない」… それらをちょっと読み進んだだけでも窺えるフォラツェン氏の観察眼の鋭さ。
 この鋭さ、医者の眼の鋭さですね。平壌に行った誰もが、通訳やコーディネーターが朝っぱらから酒臭い息をしているのを目撃している。でも、それは、見えないに等しかった。なぜなら、その「酒臭い息」の意味がわからないから。そこに「医学」というものがない以上、旅行者には、それは物珍しい北朝鮮風物でしかなかった。
 医者という視点のユニークさが、「政治」のドタバタに疲れ曇った私たちの頭をクリアにしてくれる。何を見なければならないのか?今まで得た知識で何を考えなければいけないのか? フォラツェン先生が、これは「うつ病」であると診断してくれたことによって、はじめて私たちは、その北朝鮮の人々を覆う鬱病の「治療」というものに思考が届くようになった。そう、「北朝鮮の治療」という画期的な視座を…

 医学では診断のあとには適切な治療が必要になる。病んでいるのは体制であり、その結果として不安や恐怖、鬱、それから「ひそかな自殺」が引き起こされているとの診断がついた以上、治療するためには体制を変えるしかない。

 私は、こういう率直さを心から望んでいた。あの安明進も持っていた、この単純明快な論理。明るい気っ風。比べてみるがいいのだ。例えば、「よど号」の連中。何のための大学だったのか、何のための学問、何のための知識だったのか?東大で医者の卵だった小西隆裕。何故「フォラツェン先生」になれなくて、何故、人を拉致誘拐するような北朝鮮工作員にまで身を落としてしまったのか?これは、考えなくていい問題なのだろうか。考えても、もうどうしようもない問題なのだろうか。「医者」になれなかった悲しい人間。「フォラツェン先生」に治してもらうしかない、悲しい人生。

 フォラツェン氏の、なんとはなく今は「医者」ということになってしまっている…みたいな感覚が、私は気に入っている。フォラツェン先生は、たぶん、「医者」としても優秀な人なのではないか。
 これは、学校社会に長く住んでいた経験から得た想いだが、例えば「教師」ならば、17歳の若い身空で「教師」になりたい!(人を「教え」たり「指導」したりできる!)なんて思い上がる奴よりは、なんとはなく「教師」ということになってしまった…という風体の人の方が、はるかに優秀な「教師」であったことを私は知っている。その身体の自由度が高く、くだらない使命感がない分、子どもたちの安堵感は高まるのだ。そういう先生に巡り会えた子どもは幸運なのである。

 二度と戦争を起こさない、二度と強制収容所をつくらない、二度と恐怖政治も独裁政治も弾圧も許さない…
 (中略)
 この点についてドイツ人はとくに責任がある。ヒトラーの残虐行為のあと、地球上で二度とこのようなことが起きないよう努力すると誓ったのは、ほかならぬドイツ人だった。したがって、ドイツ人である私は、このような残虐行為を知りながらのうのうとドイツへ戻ってはならないのだ。再び診療所や病院で決められたままの職務に服して「恵まれた」生活を送ってはならないのだ。北朝鮮でのショックはあまりにも強烈に心に刻みこまれ、飢えた子どもたちの姿はあまりに生々しい。私は約束を守らなければならない−あの非人間的な恐怖政治の犠牲者たちにした約束を。北朝鮮民族の友好メダルをもらった人間として、私はその任務を真剣に受け止めよう。北朝鮮の人々のためのドイツ人の救急医として、いまこそ…

 ここまでの言葉ならば、普通の「ドイツ人」なら誰でも言える言葉。日本の教師なら誰だって「教え子をふたたび戦場に送るな」程度の言葉は言えたように。でも、誰でも言えるような言葉だからこそ、安かった。誰も、小西隆裕がふたたび「戦争」を準備し、「強制収容所」に目を瞑り、「恐怖政治」「独裁政治」「弾圧」に荷担した「日本人」であることに責任をとらない。
 フォラツェン氏も、一応は、「医者」ということで、「ドイツ人」ということで、こういう言葉を口にする。(本を読んでいて、私がいちばんハラハラするのは、こういう物言いのところなのだが。ここまでだったら、それは『ビルマの竪琴』であり『わたしは貝になりたい』でしかない。) でも、フォラツェン先生は、ここからが革命的にちがう。フォラツェン先生は、「帰りたい…」って言ってしまうのです。書いてしまうのです。「そうしたら再び故郷に戻りたい…」と。

  やることはたくさんある
  情報は世界を変え
  ジャーナリストは何かを動かすことができる
  知れば、人々は気にかける
  だが人々は多くは知らない
  北朝鮮について
  それから、この地球上で救いが必要なほかの場所について…
  そうしたら再び故郷に戻りたい
  家族
  人生の目的
  まず最初に自分のなかに探せ
  宇宙は自分のなかにある
  全宇宙はほこりの粒のなかに
  全世界は家族のなかに
   (中略)
  北朝鮮のための人生
  新しい子どもを探し、そして見つけた
  だが昔の子どもを忘れはしない
  あこがれ
  ホームシック
  家族のための人生
  ただ、家族はそれを知らない
   
(後略)

 この、「そうしたら再び故郷に戻りたい」という革命的な一言には本当に胸を打たれましたね。

 「昔の子ども」というのが、離婚してドイツに残してきた四人の子ども(離婚以後、二度と会えない…)のことなのか、それとも、ダイムラー・ベンツの工場で働いていた父と、家のローン返済のため近くの食品工場で掃除婦をやっていた母の間の子ども、40年前の自分のことなのだろうか、本を読んでいる私の場所からはよくわからないのだが、ただ、「北朝鮮」発見までに至る対極には、いつも、この「家族」への喪失感のようなものが渦巻いていることが感受できた。普通に、いろいろな人生の物事に傷ついた人間が見える。
 でも、だからこそ、私は、そこに、「ノルベルト・フォラツェン」という人間がいることを実感できる。そして、この人のめざしているものが「医者」でも「ドイツ人」でもなく、たった一個の「ノルベルト・フォラツェン」という人格であることがよくわかった。もう、2002年の日本では死語なのかもしれないが…でも、今一度だけ、この人が語る「治療」に賭けてみようと思った。何のための知識だったのか?何のための人生だったのか?という問題もある。でも、それだけではなくて、ここには、私もまた40年前には工場で働く家族の「子ども」だった過去の問題が埋まっているような気がしているのだ。

 すぐれた医者は、すぐれた医学は、人間の作ったつまらない国境をも越えて、誰彼の区別なく人を治癒させて行く。ほんとにたいしたものだ…
 
 

 

■いい本を読んだ… そして、この『国境からの報告』が世に出るためには、日本の出版社「草思社」の並々ならぬ努力があったことをぜひ記しておきたい。きわめて異例なことですが「訳者あとがき」(!)を引用します。

本書は草思社のために書きおろされた。つまり、書きおろし翻訳作品というきわめて異例な成り立ちの作品である。率直に言って、初稿は(『北朝鮮を知りすぎた医者』は)熱血漢フォラツェン氏の正義感、主義主張が全面に出すぎ、ノンフィクションに不可欠な具体性にいささか欠ける憾みがあった。そこで草思社編集部の増田敦子氏はただちに著者に膨大な数(百近く)の質問を送り、それらに関連して具体的な例や描写を書き加えるよう依頼された。その結果、本書はみるみるうちにしっかりと肉付けされていった。つぎつぎ送られてくる回答原稿の翻訳に追われながらも、作品が説得力をもち、充実してゆくさまを目の当たりにすることができたのは、訳者にとって実に興味深い貴重な経験だった。…

■たしかに『北朝鮮を知りすぎた医者』は読みにくかった。それは、フォラツェン氏の文章力や翻訳の文章が駄目だということではなく、当時はあそこまでしか書けなかったのだということを今知りました。北朝鮮から国外追放された当時、まだ北朝鮮にはドイツ緊急医師団「カップ・アナムーア」のメンバーが残っていました。その人たちに身の危険が及ばないよう、公表できない話や曖昧にしか書けない話が数多くあり、あのような表現になってしまったのだということを。また、フォラツェン氏自身が実際に目にはしていたけれど、韓国・日本に来るまでその意味がわからなかった事実(例えば「よど号」の3人娘など…)も数多くあったということも知りました。だからこそ!なのですが、この間の、両者の難しい橋渡しに、日本の出版社「草思社」が一肌脱いだ…という事実にはとても大きな歴史的意義を感じます。私たちは無駄に年をとっていたわけではなかった!「草思社」は本当にいい仕事をしたと思う。

■岩波の『世界』しか読まない人は、今でも(「歴史教科書問題」みたいに)日本はアジア中の人民の反感をかっている…と思っていることでしょう。でも、それはちがいますよ。見る人は見ている。日本人がどれほど北朝鮮や中国の正確な情報を把握しようと努力している国民であるか(だからこそ今回の「草思社」みたいなすぐれた仕事が生まれてきた…)を、知っている人は知っている。(ついでに言えば、日本の誰が、どこの党派が北朝鮮から金を貰い、東南アジアの偽ドルや麻薬物流ルート維持の手助けをしているか、見て見ない振りをしているか…ももちろん知っている。) 拉致被害者の救出運動を、北朝鮮みたいな「ならず者国家」相手に日本の民間人がねばり強く続けていることには、アジアの弱小国からのシンパシィが確実にあるのです。北朝鮮の被害を被っている国は「日本」だけじゃないのだから…

■以前、「安明進」の時にも書きましたけれど、もしも、真に、アジアの人々との歴史的和解というものがあるのだとしたら、それは、拉致被害者の救出、難民の救出、強制収容所の撲滅…といった努力の向こうにしかないものではないでしょうか。北朝鮮のマス・ゲーム(←北朝鮮の人たちの血の奴隷労働!)に酔いしれて感嘆の拍手を送っているような、そんな連中から「平和」が生まれてきてたまるか!