スワン社HP Northern songs 2001年12月26日号

 
 
カニが食いたかったら…
 
新谷 保人
 

 まずは、12月26日の平壌放送の全文…

 さる22日、東中国海域に停船していた国籍不明の船舶が、日本の巡視船などの無差別的な機関砲射撃で沈没する、史上類例がない事件が発生した。
 自分の国の水域でもない他国の水域まで侵犯して敢行した日本の犯罪行為は、国際法も知らない日本の侍チンピラだけが行なうことができる、不法無道な行為であり、容認することのできない現代版テロ行為だと見る以外にない。
 それにもかかわらず日本反動らは、彼らの海賊行為を正当防衛として描写しながら、沈没した国籍不明の船舶が北のスパイ用船舶であるという、とんでもない世論までまき散らしている。
 これは、彼らが騒ぐ正体不明の船舶事件という、口を開けばわれわれを挑発するのが癖になった日本反動どもの反共和国敵対視政策が現れた、また一つの重大な謀略劇で挑発ということを実証している。
 日本当局が何の根拠もなしに正体不明の船舶をわれわれと連係させながら、反共和国騒動を繰り広げることは、すでに行った罪悪の上にまた再び新たな反共和国犯罪を添加する、自滅行為になるだけだ。
 われわれは最近、共和国の尊厳ある海外公民団体である総聯を無理やりテロするさなかに、正体不明の船舶までわれわれと関連させながら狂乱的に繰り広げている日本当局の反共和国敵対視政策を、絶対に無策傍観しないだろう。

 北朝鮮のスパイ以外、たぶん誰も聴いていないであろう平壌放送。もう、一般の在日の人だって、ああいう朗々とうたいあげる朝鮮語は、聴き取るの、かなり難しいのではないかなぁ…と思います。第一、受験生も競馬ファンも、もうみんなBSデジタルやインターネットに移ってしまった今現在、短波ラヂオなんて、いったい誰が聴いているのやら。身の回りにそんな奴がいたら、かなりの珍し者だぜ。名のらなくとも充分わかります。あんたは北朝鮮のスパイだろう(笑) で、平壌放送、何言ってんだかわかんなかったけど、日本語に翻訳してみたら、こんなこと言ってたんだ。

 免疫のない今の日本人が見たら、腰抜かすんじゃないですか。半世紀前の「李承晩ライン」の話じゃない、つい昨日、2001年12月22日に発生した北朝鮮(←今時、集団自決OKの軍人なんて北朝鮮以外にあるわけないじゃん…)の工作船砲撃事件に対する、北朝鮮の国営放送「平壌放送」の正式コメントだっていうんだから恐れ入る。思いっきり「大本営発表」ですね。
 こういう調子の文章、作り出すのにもの凄く知力や労力を使うように感じるでしょう。でも、その反対なんですよ。こういうのが、何も努力しなかった、時代と格闘することもなく終わった人間たちの典型的な言葉なんです。オバサンの語尾上げ、イモOLの「…じゃないですか」と同じ。時代の「型」の中で、鯛やヒラメみたいな単語たちがひらひら舞ってるだけの。
 なにか事件が起こって、ワイド・ショーのレポーターが近所の人に「犯人」についてのコメントを求めたりすることがあるじゃないですかぁ…(笑) そんな時、けっこう4〜50歳くらいのオバサンが楽しそうに(でもさりげなく)語尾上げで喋っている画面を見てると、「げっ」」と吐きそうになってしまう。オバさん、クサい…。昼ドラの見過ぎ…とたんに「事件」も安くなる。深刻な事件なんだろうけれど、なんとなく泉ピン子出演のサスペンス・ドラマに見えてくる。不謹慎だけど、しょうがないね。ただただ、こんな「事件」の当事者にならないことを願うばかりだ。隣りのオババの語尾上げなんぞ、聞きたくねえ!耳が腐る。
 北の『労働新聞』や『平壌放送』も、つまりは隣りのオババで、何の努力もしていない。(ついでに言えば、これっぽっちの闘争も戦争もしてねえ…とも思うが。) 小役人の書いた保身の作文。これがいちばん楽、いちばん無難。これやってる限りは、金正日に虫みたいに殺されることはない…という安心の一文ね。なーにが「主体」だか!「ご主人様」のために奴隷たちが夜なべして作り上げた租庸調だろう。

 説明が必要だと思う。どうして韓国の済州島に生まれたオヤジが朝鮮籍で、どうしてハワイに行くためには国籍を韓国籍に変えなくてはいけないのか。つまらない話なので、なるべく長くならないように説明しようと思う。できればユーモアも交えたいのだけれど、ちょっと難しいかもしれない。

 金城一紀の小説『GO』。そのイントロ部分です。
 ほんとに、こういう「祖国」話は「つまらない話」でしかないので、関川夏央の『水の中の八月』なんかだったら、もう始めから説明する気なんかない。バサッと切って捨ててしまう。その通り、私も、「なるべく長くならないように」なんて努力は全くの無駄だと思う。小説が弛む。関川夏央は「日本人」で、私は「在日」だから…といった遠慮も無用だろう。立派な「在日」小説を書きたいのならば、こんな「つまらない《祖国》話」にいちいち拘る三流作家の真似はやめるべきなのだ。書く手が腐る…
 「できればユーモアも交えたいのだけれど」なんていう中途半端な韜晦が、とてもダサい。出来そこないの朝鮮『ライ麦畑』? 前半がこんな危なっかしい調子なので、何度か読むのをやめようかとも思ったのだが、うーん、微妙な紙一重で、『平壌ハイ』や『20歳のバイブル』の類に成り下がって行くのがくい止められている。

 彼女が手を離した。また悪戯っぽい色が瞳に浮かぶ。
 「バスケットをやってるでしょ?」
 僕は一瞬ためらったけれど、素直に驚きを表すことにした。
 「どうして、分かった?」
 「だから、サイコメトリングだって言ってるじゃない」
 僕は少しのあいだ黙って彼女の顔を見つめ、言った。
 「他に分かったことは?」
 「人を何人か蹴ったことがある」

 金城一紀の小説『GO』。前半三分の一の停滞を一気に逆転するのが、「桜井」の登場。中盤の彼女とのデート場面がなかなか良くて…
 そして、こういう男女の何気ない描写が、思わぬ効果を上げることにもなっている。つまり、前半でダルかったはずの、父親を挟んだ「祖国」話や、朝鮮学校時代の思い出「在日」話が、意外なことに、「桜井」とのデート話の合間合間にさし挟まれて展開されることによって、こちらも魅力的な色合いになってくるのですね。全体として、主人公「杉原」の物語というものが動き始めてくるのです。
 うーん、これは、ちょっとカッコいい技だなぁ…と感じましたね。気がついてないかもしれないけれど、この一瞬、『伽[や]子のために』で描かれた「大沼のボートの夏」を越えたんではないかと私は思いましたね。ついでに、私のアイドルだった関川夏央『水の中の八月』にもバチッとガン飛ばして、いや、なかなか若い衆がのし上がって来る時の勢いってもんを久しぶりに堪能させてもらいました。

 そして、越えたついでに、「在日」ならばやらなければならないことが、もうひとつ。この日本人の彼女「桜井」との大事なポジションから、時代を撃つ言葉。

「なにがカニだよ。貧乏くせえこと言ってんじゃねえよ。もうそういうので泣ける時代は終わったんだよ。あんたたち一世二世が貧乏くせえから、俺たちの世代がいまいち垢抜けられねえんだ」
 オヤジは目に涙を浮かべたまま、驚いた顔で僕のことを見た。僕は続けた。
「北の連中もカニが食いたかったら、革命を起こしゃいいんだ。なにやってんだよ。あいつら」

 金城一紀、見事にGO!
 
 


■今回も、例によって、インターネット「North Korea TODAY」より引用させていただきました。同じ12月26日付の「ソウル=連合ニュース」にはこんな記事も載っていましたので、これもちょっと引用。

韓総連、「映画007製作中断」を主張 (ソウル=連合ニュース)イ・チュンウォン記者
 韓国大学総学生会連合(韓総連)は、映画007シリーズ第20弾が北朝鮮軍を素材としたことと関連し、さる24日付で声明を出し、映画製作の中断を主張したことが26日に明るみになった。
 韓総連は声明で「”米国式軍事覇権主義”の伝令者の役割を自任してきたハリウッドの「007シリーズ」が今回、北朝鮮を「主敵」に設定したという点で民族的憤怒を感じる」と明らかにした。
 韓総連は「今回の映画のためにジョージ・W・ブッシュ米国政権の特別補佐官が製作者と直接会い、(映画の)内容と関連した注文をしたという」と疑惑を提起したのち「”007シリーズ20編”製作は、私たち民族の間で力を合わせ、統一を成し遂げようとする7千万民族の自主的意志に対する、米国の”文化的テロ”だ」と主張した。
 この団体はつづけて「(来年)1月に予定されている韓国現地撮影で、ハリウッド映画製作陣がこの土地に足を踏み入れることができないような闘争を展開すること」と付け加えた。
 米MGM社が製作する「007シリーズ20編」は、北朝鮮軍の強硬派特殊要員が平和的な南北統一を指向する北朝鮮の穏健派将軍を除去しようとし、ジェームズ・ボンドがこれを阻止するという内容であることが伝えられ、外信によればジェームズ・ボンド(ピアース・ブロスナン)と正面対決を繰広げる北朝鮮軍将軍役には、在米同胞の映画俳優リック・ユンが抜擢された。

■韓国の人たちに同情する…こんなバカ学生のご意見まで相手して聞いてやって、ほんとにご苦労さん。日本の『ちびくろサンボ』親子と、ほんと、いい勝負だ。(今度は『ドリトル先生』だそうで…) どこに行っても、やっぱりバカの比率なんて、そうそう変わるもんじゃない…ってのは真実ですね。ジェームズ・ボンドに「民族的憤怒」だって?

■不思議な小説、『GO』。読んだ直後は、なんてことない、まあ面白かった小説…という感じだったのですが、日を追う毎にちょっと意見が変わってきた。この2001年の12月、朝銀への捜査手入れ、北朝鮮赤十字の「日本人行方不明者者捜索中止」通告、そして、今回の不審船騒ぎへと続く一連の「北朝鮮」劇場を観ていると、いよいよ、このおバカの国も最終回かな…と感じるようになってきました。帰ってきた「よど号」のオバさん、バレスチナのオバさんの行き場のない七十年代風笑顔も、それを粛々と予感させる。そんな中で『GO』を読んでいると、これ、もしかしたら、2001年の『桃尻娘』かもしれないと思うようになってきたんですね。

■この年末年始は、書ききれるだけ頑張って『Northern songs』を量産しようと考えています。この10年頑張ってきたデータ作りも、ついに視力が落ちてきて、ついでにDOSのパソコンの調子も壊滅的に駄目になってきて、こちらの方も、じつは最終回日程がスケジュール表に上がりつつあります。だからこそなんですが、眼がまだなんとか行ってる内に、書けるものは今の内に書いておきたい…という想いが強くなってきています。他人には単なる読書案内みたいなものなのかもしれませんが、私にとっては、これは車の両輪でした。データベースとインデックス館の形成が私の《ネットワーク》作りの日常形態でした。どちらが欠けても駄目なんだ!と思っています。なんとか、サンボ親子みたいに人様の迷惑や邪魔にならない生き方で、この世界(まだまだ努力が足りなかったかもしれませんが…)を形にしたいと考えています。

■まあ、こういうことを書き出すと、リストラでもされたのか?とか、ガンでも発病したのか?とか驚かれる人もいるかもしれませんね。まあ、そんなことはありません。そんなに悲観的な気持ちでこれを言っているわけではないのでご安心ください。むしろ、私の心の中では、もう「おたるの図書館」は現実のものとなった…この世に生まれた…という安堵感の中でこういう言説を徐々にし始めたということなのです。意味合いとしては「次の10年」です。また何かに没頭して10年、今度気がついた時は俺は60のジジイなんだなぁ…ということなんです。ちょっと、そんな想いが頭の片隅にポッと灯りはじめたということですね。