スワン社HP Northern songs 2001年6月20日号

 
 
シエラザード
《速報「道の駅」2001 第2回》
 
新谷 保人
 

 今、三浦綾子の『氷点』を読んでいるのですけれど、6月16日の夜になって《ガラスの仮面》状態になってしまいました。
 《ガラスの仮面》状態というのは、昔、あるイラストレーターが、全巻枕元に揃えることを怠って、ついうっかりと『ガラスの仮面』第1巻を読み始めてしまったことに由来します。さて、当然の如く、夜中に数巻の『ガラスの仮面』を読み終えてしまう。そこからが地獄ではありました。「次の巻が読みたい!」。読みたい!一心で友だちに電話をかけまくり、そして、果たせず、結局一睡もできないまま、夜明けの本屋の前に佇み、朝一番の店員さんが来るのをむなしく待ち続けた…という、あまりにも悲しい故事によっているのです。
 そんな不幸が16日土曜日の夜に、まさか我が身に起こるとは思ってもいませんでした。でも、それは起きたのです。夜中の1時に『氷点』を読み終えてしまった!そして、なんと、『続氷点』がない!月曜日に短大図書館に行かないと、ない!それまで読めない! それはとても苦しい土曜の夜の出来事ではありました…

 『三浦綾子全集』第1巻を使って『氷点』読んでいたのですけれど、金曜日、職場の帰り、第4巻の重さに日和ったのがいけなかった。多少荷物が重くなっても、第4巻『続氷点』は持って帰るべきだったのだ。バカだった…
 
 
北海道地区「道の駅」連絡会
 

 結局、日曜日の夜明けと同時に旭川方面「道の駅2001」を始めたのは、アル中が酒を求めてジタバタすることと何も変わらない。『続氷点』が読めないのならば…と、なんとなく『氷点』の舞台の方へジリジリすり寄って行ったわけでした。
 

6月17日(日)
60.つるぬま→46.田園の里うりゅう→66.あさひかわ→(見本林)→48.とうま→(塩狩峠)→55.森と湖の里ほろかない→50.ほっと?はぼろ→27.おびら鰊番屋

 

 前言撤回です。「道の駅あさひかわ」、ありがとう! なんと、「道の駅あさひかわ」の道一本隔てた向かい側が「見本林町」だったのでした。
 やっぱり、三浦綾子のファンは今でも多く、「見本林」の手前にある「三浦綾子記念館」の駐車場はいつも満車状態です。私は、記念館は別にいいのだけど、「見本林」の中をグルグル歩いてみたかったので、車は道の駅に置かせてもらって歩きで行ったんですけど、いや、車で入って行かなくて正解でした。日曜日ですもんね。客待ちのタクシーなんかも道路に出ていて、なかなか慌ただしい。そんな中で、駐車場の心配しないで気ままに林の中や美瑛川(びえいがわ)の畔で休んだりできたのは、うん、なかなかラッキーな休日だった。
 旭川も街中をいろんな川が網の目のように流れていて、いいですね。今度来た時は、完全に歩きとかバスだけで市内をあれこれまわってみよう。「陽子」が「辰子伯母さん」の家まで歩きで行った道とか、新聞配達していた道とかは、やっぱり実際に歩いてみた方がいいと思うのです。小説の味わいがかなりちがう。

 ここのところ、気がつかない内に、なにかと「旭川」について語っていることが多い…ような気がする。これって、もしかしたら(ですけれど…)「旭川市」の町おこし政策が良い方向に歯車が噛み合ってきているのではないだろうか。まあ、「政策」と言ってしまうと大げさですけれど、旭川の街を動かしている実力層が、なんか、一世代若返ったとか、大きな頭脳流入があったとか、そんなことを感じさせる変化です。
 だって、私みたいな門外漢が「旭川」について語ることって、「富良野」や「知床」について語ることと同じで、そんなに多くはないはずなんですよ。それが、ここのところ毎回、なにかしら「旭川」についてあれこれ喋っている。ちょっと不思議ですね。私は「団塊の世代」の最後尾というか次の世代というかの1952年生まれですけれど、この「団塊の世代」というのは、つまりは、金持ってる世代なんです。大消費者層なわけです。(これに匹敵するのは、今の20代後半から30代はじめの独身OLの世代くらいなのかな…ここも金持ってます。) だから、ここの世代があれこれと反応をはじめるということは、これから大消費の予感があるということになりますね。

 『氷点2001』ってのは、それかもしれません…
 

 『氷点』が、『氷点2001』のタイトルでテレビドラマ化されるそうです。浅野ゆう子の「夏枝」さん、はたしてどんなもんでしょうね。
 私、『氷点』を読んでて、いちばん興味深かったのは、三浦綾子は「馬鹿な女」をちゃんと描ける作家なんだ!という点なんですね。倫理社会の教科書みたいなことしか描けない作家なんだとタカをくくっていたから、けっこう、これは驚いたです。で、『氷点』のおもしろさというのは、つまるところ、馬鹿な人間たちのパワーやキャラクターが作者の意図を超えて爆発するところにあるのではないでしょうか。
 三浦綾子は「馬鹿な女」をちゃんと描ける。けれど、各キャラクターたちの愚かさや罪深さが、なんというか、三浦綾子が描こうとしていたキリスト教的な「罪」の解釈を跳び越えてしまって、もっと根元的な人間の愚かさや罪深さになってしまっているんですね。だから、とても、それぞれの登場人物たちが魅力的。これは、三浦綾子の他の作品では見られない爆発です。「村井」という悪魔的なキャラクターの造形、誘拐犯「佐石」の姿をわざと淡く曖昧に描くことによって、いろんな登場人物たちの陰影をより際立たせるというテクニック、やっぱりスゴイと思いましたですね。ストーリー・テラーとしての三浦綾子の力量をまざまざと見せつける快作です。
 そして、この『氷点』一作だけに限れば、なんか、三浦綾子って、すごく「若い!」という印象も受けます。すごくエロチックなの、小説全体が。意図していたのかどうか知らないけれど、「辻口邸の裏手に広がる見本林」なんて設定に、私は、すごいエロスのパワーを感じますけどね。だって、その「見本林」の水辺には<死>と<再生>のドラマがあったりするわけでしょう。やっぱり、無意識がこういう舞台を選びとる…ということが「若い」、生命力に満ち溢れていると感じます。たぶん、三浦綾子の生涯でいちばんいい時代だったのでしょう。もしもですが、この『氷点』一作だけ残してバタッと病に倒れたりしていたら、確実に「日本のエミリ・ブロンテ」だったでしょうね。

 

 というわけで、「見本林」から始まった由緒正しい三浦綾子ツアー。今回の「道の駅」車は北部方面へ向かいます。まずは旭川市郊外の当麻(とうま)町から北へ直登。比布(ぴっぷ)〜和寒(わっさむ)〜剣淵(けんぶち)〜士別(しべつ)といった町を上がっていって、士別町あたりでグイッと左折。西へ幌加内(ほろかない)町をめざし、山越えをすると眼前に日本海、苫前町のゴールインです。

 途中、和寒町へ入る手前あたりで、「塩狩峠」を通ります。ここ、「峠」と名がついていますけれど、全然「峠」じゃない。たらーっと国道を走っていると「塩狩峠記念館」の看板を見落としますからご注意。そう、ここにも三浦綾子関係の記念館があるんです。で、この記念館の建物は、ほんとに三浦綾子の生家なんです。ほんとに、この家の二階で『氷点』書いていたんですよ。
 一階部分は、家業だった雑貨屋のお店をそっくり再現しています。これも雰囲気があっていいんだけど、私が「ほえーっ」と感心したのは二階なんですね。階段を上がってゆくと、左手が小説執筆の書斎。そして、カッコいいのはその右側なんです。右手に入ると、そこがフローリングの踊り場になっていて、そこの大きな窓から塩狩駅や塩狩峠の景色がバーンと一望できるようになっているんです。すばらしい!こんな景色を毎日見て暮らしていたのか…と、ちょっとため息。

 

 『氷点』の中で、とても興味深い箇所があったので引用しますね。

 手紙はそこで切れている。
 書きたして出すつもりの手紙か、出すことをやめた手紙かわからない。ところどころ字が滲んでいた。啓造の涙のあとかも知れなかった。
 夏枝は呆然としたまま、床板にすわりこんでいた。何の脈絡もなく、少女のころ海水浴に行った苫前の海が目に浮かんだ。眉のように浮かんだ天売、焼尻の二つの島の間に、夕日が沈んでいった光景であった。

 これ、夏枝が啓造の書きかけの手紙を盗み読みして、ついに陽子の出生の秘密を知ってしまう…という、たいへん有名な場面です。ドラマなら、大盛上がりの第一幕ラスト!ってところでしょうか。こんな重要な場面に、突如「苫前(とままえ)」の名が出てくるんです。びっくりしちゃいました。話の筋と「苫前」はなんの関係もありません。この「苫前」は「夏枝は呆然とした…」ということへの形容詞として使われているんです。すごい比喩だと思いませんか。

 「苫前」は、以前、『Northern songs No.16』で『柔らかな頬』という小説の紹介をした時に、「犯人はお前だ、喜来村!」とやった、その架空の「喜来村」じゃないかと推測した町です。なんか、それと符丁を合わすかのように、突然、『氷点』の中でこの名前が出てきたので、こっちの方がびっくりしてしまいました。
 そして、この地理感覚も懐かしいですね。そう、1981年、雄冬(おふゆ)岬に「雄冬トンネル」が開通するまでは、留萌から北の地域は旭川のテリトリーだったんです。思い出しました。今でこそ「オロロン・ライン」とか「サンセット・ビーチ」とか、まるっきり札幌のリゾート圏になっていますけれど(私も大変お世話になっています)、1981年以前は旭川の人たちの行楽地だったんです。子どもの頃の夏枝さんも苫前町とか羽幌町の日本海に海水浴に行ったんでしょうね。
 そして、おそらくは、この『氷点』の時代から、もうすでにこの辺の海岸線はうら寂しい地域ではありました。なんたって、「呆然」の比喩に使われるくらいなんだから。もう筋金入りの過疎地です。

 

 最後に、今回のタイトルにもなっている「シエラザード」。
 あまりたいした意味はありません。ドライブ中、ずーっと尾崎豊のCDをかけ続けていて、さすがに聴き疲れた。で、なにか別のものをと、車のポケットをがさごそ引っかき回したら、この「シエラザード」のCDが出てきた…というだけの話です。でも、大音量で「シエラザード」やワーグナーの「ワルキューレ」鳴らして、右手に海に沈む夕日を見ながら羽幌や留萌の海岸線を降りてくるのって、思いのほか良かったですよ。やっぱり、旅の終わりは「シエラザード」…

 
 

 
2001年6月20日号 あとがき

■この2001年の6月に、なんと!ローラ・ニーロの新譜『エンジェル・イン・ザ・ダーク』が発売されました。いや、もう、びっくり…メイド・イン・ヘヴンかい?(ああ、この声を聴いていると涙が出てきますね。) 同じく、つい最近、1980年代の途中で消息不明になったダニー・オキーフの「新譜」も1999年に出ていた…(生きていたのね!)とか、なにかしら驚くことばかりの2001年の半ばです。

■先月、衛星第2でやっていた『フォーク大集合2001』。ついに、「早川義夫」と「尾崎豊」を見事に抜いた形で《日本フォークソング正史》が編まれてしまったんだなぁ…と感無量ではありました。スタジオに集まって、若い頃の自分のフィルム観ながら「けっこう今でもイケるんじないか」なんてへらへら笑っている三流ばっかりが結局生き残ってしまった。よく戦った兵士は死んでしまった。よく戦った兵士は、もうこんなところにはいない。

■因幡晃の『めぐみ/銀河』、今でも時々、夜中に聴いています。<新谷>