Northern songs
 
2001年5月3日号
 
ただいま…

 
 
喜来村 「道の駅」2001に寄せて
 
新谷保人
 

 今年も「道の駅」スタンプ・ラリーをやってみるつもりですが、ラリーの途中で寄ってみたい場所がいくつか出てきました。そのひとつが、この「喜来村」。

 これから冬に向かう海は荒れている。左側に雄冬岬。右は稚内まで続くまっすぐな海岸線。浜は小石混じりの黄色い砂に覆われている。海岸で拾う石はどこから流れ着くのか、砂を固めたもののようにぽろりとあっけなく折れる。子供の頃は野良犬くらいしか遊び相手もなく、その石を拾っては一人で割って遊んでいたものだ。この海を見て一生を終えるのなら、死んだほうがましだと子供心にも思った。
桐野夏生 「柔らかな頬」

 うーん、読んでいるだけでも、寂しさがひたひたと波のように近よってくる…

 桐野夏生の『柔らかな頬』冒頭付近で語られる、主人公カスミの来歴。カスミが生まれ育った北海道の海岸沿いの寂しい村の描写です。

 愛用のホクレンの地図で探した限りでは、「喜来」という地名はありませんでした。小説の中で、北海道の地名は、「札幌」「(札幌の)ススキノ」「小樽」「(小樽の)朝里海岸」「支笏湖」…といった調子で実在の地名をポンポンと使っています。ですから、「雄冬(おふゆ)岬」の向こうを走って行けば、あるいは、「喜来」という町も出てくるのかもしれませんが、今のところは、ここ一点が、作者が周到に用意した架空のポイント、物語のフォーカス地点であるとしておきたいと思います。その方が私は味わいが深い。
 「左側に雄冬岬」「右は稚内まで続くまっすぐな海岸線」ですから、私が思い描いたのは、留萌(るもい)の町を過ぎて、さらに北へ海岸線を行く途中の寒村…でした。具体的な地名で言えば「小平(おびら)町」とか「苫前(とままえ)町」といった町でしょうか。
 ここら辺は本当に寂しいところですね。留萌までは、一応、札幌圏の名残りがどこかには残っているような気がするのですけれど、留萌を越えてしまうと、もう索漠たる海岸線がたらたらと続くだけの一本道。すれちがう車もなく、時速80qでも100qでも120qでも、もうなんでもいいや…どうせ誰も見ている人なんかいないんだから…といった世界になってしまいます。たまに、閑散とした町を通り過ぎる。郵便局。酒屋の自動販売機。電柱のポスター。でも、日曜の昼日なかなのに誰も人がいない。やっとひとり、老人。そして、町を出てしまった。また、海岸線。
 これで、羽幌(はぼろ)町を過ぎて、サロベツ原野の手塩(てしお)町や幌延(ほろのべ)町の方へ出てしまえば、それはそれで、普通の過疎の町というか、道北の普通の小さな町になるんですけれど。まあ、そこへ着くまでの、あの、数時間の空白というか、不安感というか…は、なかなかのもんです。こういう海岸線、北海道にはいくつか思いあたるところがありますが、そういう中でも、ここはそのトップを争うような寂しさですね。砂浜だけど、とても「海水浴」なんて雰囲気じゃないですよ。

 あ、小説の話をしなくちゃ…(出がスタンプ・ラリーの人だけに、つい、ムキになってしまった…)
 

 アマゾン・コムから、「出版社/著者からの内容紹介」を引っぱってきました。(「著者から」となっていますけれど、後述する理由によって、私は、この要約文は出版社の編集者が書いたものだろうと思います。)

私は子供を捨ててもいいと思ったことがある。
5歳の娘が失踪した。夫も愛人も私を救えない。
絶望すら求める地獄をどう生き抜くか。

「現代の神隠し」と言われた謎の別荘地幼児失踪事件。
姦通。
誰にも言えない罪が初めにあった。娘の失踪は母親への罰なのか。4年後、ガン宣告を受けた元刑事が再捜査を申し出る。
34歳、余命半年。死ぬまでに、男の想像力は真実に到達できるか。

 うーん、「男の想像力は真実に到達できるか!」か… すでに本を読んでしまった人ならば、この要約文、けっこうインパクトありますね。でも、これからこの小説読みはじめる人には、『柔らかな頬』がどんな話なのか、全然わからないと思います。

 というわけで、もう一つ二つ。まずは、文芸評論家の斎藤美奈子氏。

 北海道の別荘地で、忽然(こつぜん)と姿を消した五歳の娘。その行方を追うために、夫と下の娘を捨ててまで旅に出る母。……二年前の『OUT』でミステリーファン以外の層にも読者を広げた桐野夏生の新作である。<以下略>
(「通奏低音にじつは母娘三代のドラマ」斎藤美奈子)

 続いて、書評誌の『ダ・ヴィンチ』と『メタローグ』。

 北海道の別荘地で5歳の娘が失踪した。必死の思いで探し続ける母、死期の近い元刑事。男と女の魂はそこから漂流を始める……。『OUT』で『このミステリーがすごい!1998年度版』の国内第1位に選ばれ、新しい犯罪小説の旗手として、識者からも絶大な評価を得ている桐野氏。待ちに待った最新作は、読み始めたらもう止まらない!
(『ダ・ヴィンチ』1999年6月号「今月の注目本100冊」)

 ミステリーもこんな地平までたどり着いた、と言うべきか。あるいは、もはやミステリーではない、と言うべきだろうか。カスミはデザイナーの男と不倫関係にあり、家族を捨てることも考えていた。カスミが男と一緒にいる時、娘の有香が行方不明になる。彼女は罪の意識に呵まれ、娘を捜すことに人生の全てを捧げる。他方、末期がんの元刑事が1人、残り少ない人生をかけて有香を探そうとしていた……。親の愛情不足が子供を歪める、との論が最近よくメディアなどで叫ばれている。カスミはこの非難を全身で受け止め、キレてしまった。彼女こそ現代社会の被害者だ。直木賞受賞。
(『メタローグ』石飛徳樹氏)

 まあ、こういう話なんです…と書いたら、やっぱり反則なのかな。家の近くで買ったコンビニ弁当を夕食のテーブルに並べているヤンママみたい(汗)
 

 Yohoo!で<柔らかな頬>のキーワードで検索したら1450件もヒットしてしまった。超話題作だったんですね。特に、ミステリー小説のファンの間では凄かった!「これをミステリと呼ぶのか…あんたは」みたいな論議がいたるところからわき起こっていますね。やっぱり、小説の最後では犯人が捕まり、難事件の謎解きがなされなければ気がすまないミステリ・ファンにはショックな小説だったのでしょうか。

 私がこの『柔らかな頬』を手にしたきっかけはとても卑小な理由(私は短大の図書館だよりで「小樽の街を歩こう」という連載を細々とやっているのですけれど、人づてに「小樽の《朝里》が出てくる小説ですよ」というアドバイスをいただいて、それで「なにか仕事に使えるかな…」と打算で読み始めたら例の冒頭の一発でハマってしまったという一人なんです)からなので、こういう、ミステリ小説の愛好家どうしの真剣なやりとりを目にしてしまうと、なにか私ごときのミステリ門外漢が『柔らかな頬』についてあれこれ書いたりするのは本当に気がひけるものがあります。(でも、書くけど…)

 このラストの「解決」には、たしかに、昏(くら)い「納得」がありました。感動すらあったかもしれない。本当に、この小説のラストで、ついに私は「真相」にたどりついたという感触を得ることができました。きちんと、心の中に「こういうことだったのか!」という驚きが残った。私がカスミだったなら、たしかに小説のラストで、「私の子どもを捜す旅はここで終わった」と認識したことでしょう。「行方不明の子ども」という名であった、私の探していたものの正体が今はっきりわかった時、これ以上、旅を続ける必然が自分の中からなくなってしまった…ということです。
 

 カスミは目立つ。他人と違う格好をしているからだ。従妹のお下がりのレインコートは皆と同じでも、制服のスカートと一緒に自分で丈を詰めて短くした。紺と緑のタータンチェックのマフラーは雑誌で見た結び方を真似てある。自分で切ったおかっぱ頭の両脇に留めたピンは古いリボンで作った。学生鞄など持たずに祖父の古い鞄を肩から斜めに提げている。だが、こんなに工夫してお洒落しても誰も気付かない。寄り道しようにも、駄菓子屋もファーストフード店もない。

 喜来村。

 たぶん、犯人はお前だ!喜来村。

 家出して東京で暮らし始めたカスミに、ある日、石山はふと尋ねたことがある。

 「だってデザイナー志望なんでしょう、あなたは」
 そんな必要ないでしょう、と続けたかった石山に、カスミは戸惑った視線を泳がせている。正確な言葉がないかと探しているようだ。
 「そうでしたけど」
 「今はもうやってないの? もしやりたいのなら、うちにもバイトはあるかもしれないよ。ただし森脇さんには内緒だけど」
 「なら、いいです」カスミはきっぱり断った。
 「義理立てしてるの?」
 「いえ、そういう事態が面倒なだけなんです」
 「でも、デザインやりたくて東京に来たんでしょう」
 「はい。でも、私の目的は東京で一人で暮らすことなんです」

 この、すれ違い方。都会の人は、地方から来た人は皆なにか目的を持って向上心でやって来たのだと思っている。まさか、「東京で暮らす」そのことが望みだなんて考えもしなかっただろうな。だから、石山をはじめとして、この小説の登場人物たちが徐々にカスミという人間をわかって行く過程は、ある意味で、そのカスミの来歴を暗示する「喜来村」にどんどん近づいて行く危ない過程でもあるのです。

 この「喜来村」へのロード・ムービー風の描写は本当に見事でした。ある日、小樽の朝里というところ住んでいる人から「(テレビに出ていた子に)よく似た子を見た」という通報があった。で、すぐに駆けつける。でも、やっぱり、人ちがいだった。(そんなこと、わかっていたのに…)

 カスミは石を踏んで波打ち際に近づいた。波は全くなく、黒い色の海水が寄せるというのでもなく、どんよりと溜まっている。小さな巻き貝までが黒く、丸い石に無数にくっついている。カスミは気味悪さに悲鳴を上げた。生き物のにおいのしない黒い海。ここに有香がいる訳がなかった。

 ここもちがう。やはり、あそこなのだ…

 あの中学校の帰り道、カスミは、あの時、カスミという存在を世界にわかってほしかったのだ。でも、誰もわかっていない。人ちがいばかりだった。(どこが似ているの…) あれから10年も20年も経って、ようやくカスミというものがわかってきたところで、もうどうにもならない。もうあまりにも遅い。
 

 しばらく肉体労働の日々が続いて、キーボードから遠ざかっていたせいか、文章のテンションが露骨に落ちています。特に、こういう小説、構造が、腕のいい職人の仕事風に複雑なものって、正直、ちょっと今の体力・知力では手にあまります。でも、社会復帰リハビリだと思って、意識して、こういう難しい素材にチャレンジしていないと、本当に頭も身体も鈍ってしまいそうなので。というわけで、あえて、復帰ホームページの一番手に持ってきました。

 拙い文章のお詫びといってはなんですが、サービスで、アマゾン・コムにくっ付いていた「著者紹介」をここに掲載しておきます。(北海道生まれの人ではないみたいだけど、この小説の土地・人物のキャスティングは本当に的確でした。「ここにはこの音しかないだろう…」という、まさにその音をポーンと持って来るのがモーツァルトの音楽ですけれど、一瞬、それに近い神業を感じました。的確な心象・風景描写の持続が、無理筋に近い難問に、一瞬の「真相」解明の風穴をこじあけた…という印象です。)

【著者紹介】 1951年、金沢生まれ。成蹊大学法学部卒。1993年、『顔に降りかかる雨』で第39回江戸川乱歩賞。日本のクライム・ノベルの新生面をひらいた『OUT』で、1998年、第51回日本推理作家協会賞を受賞。その他の著書に、『天使に見捨てられた夜』『ファイアボール・ブルース』『水の眠り灰の夢』、短編集に『錆びる心』『ジオラマ』がある。
 
 

 
2001年5月3日号 あとがき

■この小説のモデルにもなっていると思われる四国の「松岡伸矢」くんの事件を始め、子どもの行方不明事件には、本当に、「これが現実に起こったことなのだろうか?」と考え込んでしまうような不思議なことが多いのです。「こちらこそ小説の中の出来事みたいだ…」と思えるような事件がいくつもあります。(フィクションと現実を混同しているわけではないけれど)私たちを取り巻く「現実」というのは意外にダイナミックなレンジを持った存在なのかもしれません。狭い心の私たちが「全部わかっている」と錯覚しているだけで。

■「松岡伸矢」くんのケースなどは、二見書房から出版されている『公開捜査・消えた子供たちを捜して!』近藤昭二著(二見Wai-Wai文庫)に詳しくまとめられています。この「二見Wai-Wai文庫」、表紙からなにから、いかにもコンビニの本棚に並んでいそうな造りの「バチもん」「ゾッキ本」然としたシリーズなんですけれど、読んでみると、意外とちゃんと書かれている本が多いのでビックリしています。別の機会に、この「二見Wai-Wai文庫」の一冊で『北朝鮮《最終戦争》99の極秘情報』(神浦元彰著)という本を読んだのですけれど、これも「当たり」でしたね。読んで得した!と思った。やっぱり、人間、見てくれじゃないのね(笑) かつての「カッパ・ブックス」が持っていたような勢いを感じます。

■「道の駅2001」の準備(笑)、着々と進行中です。昨日も尾崎豊のCD『十七歳の地図』『回帰線』『壊れた扉から』の3枚を買ってきた。今年が没後10年なのでしょうか、メモリアル復刻ということで、昔のレコード時の装丁に似せた「2面紙ジャケット仕様」の完全生産限定盤です。いやー、声の若さがたまらない。私の好きな曲『存在』なんて、ほとんど『She loves you』。遠くリバプールから聞こえてきたジョンとポールのyeah! yeah! yeah!ではありました。北海道中に鳴り響かせてやる!

■同じく「尾崎」話題。『Oh my little girl』と『Forget-me-not』の2曲を使った映画、仲間由紀恵主演の『LOVE SONG』を今日観てきたんですけど、こちらは、なーんかハズレでした。眠かった。映画の冒頭に「北海道」とクレジットが出て、その北海道の街のレコード屋さんからドラマは始まるのですけれど、坂道の場面で「ん、これは小樽?(でも、海は見えないし)」とか、川の土手みたいな場面では「やっぱり石狩川で、これは札幌郊外か?」とか、アーチ橋の場面では「ああ、函館かな」とか考えたりしたのですが、結局、最後までどこの街なのかわからなかった。家に帰ってパンフレットを読んで初めて、これが「旭川」の街であることを知りました。そーか、旭川かぁ。一応、この作品は私の守備範囲になるのかもしれないけれど、なーんか、ふにゃふにゃした若者がささいな悩みを悩んでいる…といった印象です。もっと大志を抱け!

「はい。でも、私の目的は東京で一人で暮らすことなんです」というカスミさんのセリフはちょっと胸に沁みたな。昔、東京の学生だった頃、夏休みになったら私らなんかは田舎に帰省するのが楽しみだったもんなんですけれど、同じ北海道出身の友だちの中には、けっこう帰らない奴っていたんだよね。「いいよ、こっちでバイトしているよ…」って。なんでこんなクソ暑いところで金稼がなくちゃならないのか、学生時代は全然わからなかったんだけど、今はよくわかる。飛行機使って千歳についても、そこからさらに延々と十数時間もかかる町。駅前に降り立つと商店街。自転車置き場。パチンコ屋が一軒。信金のビル。○○市場。薬屋。雑誌と文房具の本屋…道を曲がって橋を渡ったら、もう繁華街はお終い。それがこの町の娯楽の全て。自然が豊富とか言ったって、食い物が旨いとか言ったって、限度がある。やっぱり大学の夏休みの二ヶ月近くを過ごすのは大変なことだったんだろうな。

■パソコンのスピーカー、ちょっと張り込んで「サンスイ」のを付けているんですけれど、頑張っとっいてよかったなぁ!と思ったことがひとつ。最近、パソコンの仕事を終えた深夜、「ふるさと大夕張」というホームページへよく出かけます。そこの扉のページで鳴る曲がすばらしいのですね。聴きいってしまいます。このメロディが頭に中になる中で、大夕張鉄道は出発進行!シューパロ湖畔を過ぎて、昭和45年の大夕張駅前に立つと、なんか「ただいま…」という感じになりますね。(別に夕張に生まれたとか暮らしたとか、そういうことは全然ないんですけれど) 久しぶりの推奨ページです。「北海道」ホームページの、これが一等賞なんじゃないでしょうか。