スワン社HP Northern songs 2001年2月11日号

 
 
2001年の「雪まつり」
 
新谷 保人
 

 今年の冬は寒い…
これが、この、21世紀最初の小樽の冬を語る言葉のすべてです。たいていは「今年は雪が多い」とか「少ない」とか言ってるのが小樽・札幌の冬なんですけれど、今年2001年の冬だけは「寒い」「寒い」の連発です。愛車の我がファミリアも、今年は、氷でコーティングしたような状態。いつもなら、適当に大雪をかぶったり、雪に埋まったりする程度なんだけれど、今年はほんとに凍ってんのよ。北海道のカー用品に、ボディやフロントグラスに付いた雪・氷を削り落とす「雪かきいちばん」というスノーブラシ製品があります。これの柄の部分のブラシでバッバッと車の屋根の雪を払い、プラスチックの刃の部分でフロントグラスの着氷をシャッシャッと削るんですけれど、ここ数日の朝はブラシいらず。いきなり刃で車の外側をやったら、今度は内に入り、フロントブラスの内側の氷も削り落とすなんてことをやっています。こんな冬は初めてだよ。

 だから、車、使わない今日みたいな日はラクです。今日、2月6日は「第52回雪まつり」初日。職場も入試の代休で、もう、朝一番で行くしかないでしょう!という日ではありました。小樽に移住してきてから、毎回欠かさず通い続けている「雪まつり」見物。今年めでたく10周年です。JR小樽築港駅で『すずらん』グッズを発見。
 

 『すずらん』、NHK朝の連続ドラマでやっていたものは、全部、ビデオに撮って持っています。古式ゆかしいテレビ・ドラマで、好きでしたねぇ。ちょうど今走っているJR函館本線の窓の左側、石狩湾が一面に見えていますけれど、対岸の増毛(ましけ)町や留萌(るもい)市からちょっと暑寒別(しょかんべつ)岳方面に入ったところが「明日萌(あしもい)駅」という設定でした。モデルになったのは「恵比島(えびしま)」という駅です。十歳かそこらの女の子が、札幌・月寒(ツキサップ)の孤児院から夜通し逃げて、朝の恵比島駅のホームに立っている父と再会する…というのは、なかなか、この辺の地理を知ってる道民には苦しいドラマ設定ではあるのです。でも、ここまでドラマのシチュエーションを引っ張らざるを得なかった脚本家の気持ちはよくわかる。

 このライン、小樽から半径90〜100qあたりのラインの町は、いろんな意味で味わい深い。北から留萌〜雨竜〜深川〜夕張〜穂別〜鵡川といった町、鉄道で言うと「留萌本線」〜「旧深名線」〜「旧幌内線」〜「旧大夕張鉄道」〜「石勝線」〜「旧富内線」といった並びが引っかかってきますが、うーん、どの町もいいんですね!
 何がいいのか? それはですね、私にとっての「ここ過ぎて悲しみの町…」というか、そういう通過ポイントの町だから。留萌の市街を越えて、日本海に沿った単調な海岸線の道を走っていると、「さあ、俺はサロベツに行くぞ!」とジワジワと気分が盛り上がってきます。「さあ、オホーツク!」「いざ帯広!十勝の夜明け!」、みーんな、この辺でテンションが変わる。俺はついに札幌圏を脱出したぞ!さらば俗物たち!というか、まあ、そういうエクソダスの雰囲気に満ちた土地柄なんです。(超個人的思いこみですけどね…) チャラチャラした「北海道」ショーウィンドウがやっと終わって、ついにホンマもんの「北海道」に突っ込んじゃったという雰囲気。ここからの「キタキツネ」はぬいぐるみじゃないぞ!ってね。

 

 汽車の中でそんなことを想いながらも、いざ、札幌駅。今日は「雪まつり」、コテコテの「北海道」ショーウィンドウの方だった。期間中、200万人からの観光客が訪れる大メジャーですね。近年、台湾・韓国からも大量に人が来ていて、札幌ガイドブックも各国語バージョンで溢れかえっています。
 それでもですね、そんな人混みの中なんですけれど、時々は私みたいな30年前のノリで平気で歩いている人もまだいます。そんなところが、このイベントの面白いところです。私なんか、札幌○高校の高校生だった時の動きと何も変わっていないですけれど。大通り公園の1丁目から12丁目までただたらたら歩く…という。地下街や地下鉄があることも知らず、札幌の街の冬というのは雪の街路を歩くものだという。
 他の日本の祭りとちがって「何時から山車が出る」とかありませんからね。ハレのお祭り空間とケである札幌市街との間にあまり境目がないんです。雪像は、夜中も大通りに行けばあるし、朝、学校に行くバス停の前にもあった。開幕の日に突如雪像が現れるわけではなくて、何週間も前から登下校や買物の合間に自然に目に入ってくるものではありました。で、ある日、「雪まつり」が終わると、パッパッと雪像は崩してしまって、もとのさら地の雪の大通り公園に戻ってしまうのも面白かったな。あ、終わったんだ…とか思っている内に、三学期の変則行事日程の中で、誰々が東京の学校に行くとかなんとか、学校帰りの市電で「じゃーね(また明日)」とかいうつもりで別れたら、もうそれっきり、この歳になっても一度も会うことがない友だちとか。2月、3月って、そんな印象です。

 今年の「雪まつり」会場でいちばん印象的だったのは、なんと、会場のあちこちにあった「鉄腕アトム」像でした。「ハム太郎」とか「ドーレ君」(←「コンサドーレ札幌」のマスコット・キャラクターです)とかは、ある程度予想できましたけど、ふーん、この2001年に「鉄腕アトム」かぁ。なんでも、アトムが誕生した年だとか。(ロボットだから、人間の赤ちゃんのようには誕生しない。アトムは、あの「鉄腕アトム」の姿形のままで「誕生」するわけだから… 講談社版手塚全集の『鉄腕アトム』、「赤いネコの巻」なんかを見ると、西暦2000年にはもう「お茶の水小学校」の生徒になって「誕生」していますね。まあ、このあたりがバース・ディということなのかな。)
 『鉄腕アトム』に描かれた「東京」って、なんとなく「雪まつり」と同質の祝祭空間に感じます。未来都市なのに、お茶の水博士もヒゲオヤジもみんな黒の電話器で話していたり、アトムたちが学生服着ていたりします。ちぐはぐなんだけれど、結局、誰が描いた「未来都市」だって、それなりにちぐはぐだよ…って思いますしね。それに、だいたいが、この2001年の「現実」だって、私みたいなレトロな人間だって平気で歩いていられるんだし。
 21世紀になっても、「アトム」のこと忘れていない人がこんなにもいたんだというのはちょっと嬉しいことでした。調子に乗って、何故か変に手塚治虫っぽい絵柄の「第52回雪まつり公式バッジ」を2個も買ってしまいました。

 

 また、とりたてて意味はないのだが、つい、スタンパーの血が騒いでしまって、12丁目までスタンプやってしまった。

 今年は、やっぱり厳しい寒さのおかげかどうか、雪像がやけに立派なんですよ。見栄えがするの。雪像は、作った最後の仕上げとして、チェーン・ソー(ほんとに「電動ノコギリ」使うんですよ!)や剣先スコップ・包丁(これもホントです)などで彫りを入れて完成となるわけですけれど、それが、連日の氷点下の天気のおかげで、刃を入れたそのままの状態でクキッとなっている。昼の日差しでも融けないから、雪は白いままだし。つまらないお寺を模写した雪像なのに、やけにドォーンと説得力があったりして。私の、ここ10年来の「雪まつり」見物史の中でも、おそらくは、この「第52回」がベストでしょうね。
 私は、ここ数年流行している、ある雪像タイプには批判的だったんです。それはどういうのかというと、イベント用のステージ造りがメインになってしまって、雪像がバックの「パネル」程度の役目しかしてないような雪像です。「Yosakoiソーラン祭り」がビッグ・イベントになってくるにつれてかな、だんだん各丁目が各テレビ放送局の区画ぶんどり合戦みたいになってきて、こんな傾向が始まってしまったように思う。白いステージの上で踊りを見せたい気持ちを否定したりはしないけれど、でも、それは「雪まつり」じゃない、「Yosakoiソーラン祭り」ですよ…と思うのです。なんで、こんなに簡単に一基の「雪像」としてのプライドを捨て去れるもんかな?って思っていました。草創期、我らが先輩が、ロダンの巨大「考える人」雪像に、巨大「ミロのビーナス」雪像にチャレンジした、あの志はどこに行ってしまったんだ…とたいへん批判的だったんです。

 でも、今回の「雪まつり」で、ちょっとばかり気持ちが揺らいだ。
 なんというか…、たとえて言えば、出始めの頃はウザッたいと思っていたパソコンのマウス。あんなものはキーボードでコマンド操作ができない頭の悪い奴が使うオモチャだろうとバカにしていたのに、なんか、その後、どんどんその地位は逆転して、ついには私みたいな人でも使わずには仕事が進まない事態になりました。ああいう感じです。(いい加減に「地下鉄」のある札幌を受け入れろよ…、「ケータイ」を持てよ…、「スカパー」入ろうぜ…という声が聞こえてくるような気がする。)
 それくらいには、今年の「ステージ型」雪像、立派だったんです。大きい!白い! で、ついに、マウスはマウスなりに自分の表現理論を手に入れてしまったなぁ!というのが、皮肉にも、10丁目の「ヨサコイ・ソーラン」雪像を見た時です。確かに感じましたね。顔に「表情」があるんです。それも、なんと、『ヤング・ジャンプ』のマンガの一場面がそのまま立体になってしまったような「表情」なんですね。どうやって作ったんだろう、あれ。今までの彫刻作品なんかの美術工芸テクニックでは絶対に出てこない表現でした。なにかデッサンとか下絵とか基本的な設計図があって、それに沿って作られてきたものではない、コンピュータ・グラフィックスで用意した画像を雪像モードにポンと変換したらできちゃったのよ…といった類の驚きですね。
 コンピュータの「自動翻訳ソフト」、最初はバカにしながら使っていたものだったけれど、その内、自分が辞書を使って訳した文章より遙かにわかりやすい日本語文章になってきつつある!ことに気づいた時の愕然たる思いでしょうか。リモコンでしか動けない「鉄人28号」だと思っていたのに、いつの間にか「アトム」や「どらえもん」になっていた!とか。
 そんな、ちょっと苦い予感も入り交じってはいるけれど、全体的には「現時点ベスト」の感触、これならワールド・カップに出て行ってもそんなに恥ずかしい試合にはならないだろう…みたいな手応えはあった21世紀最初の「雪まつり」でした。

 

 帰りの札幌駅で「朱鞠内湖」のオレンジ・カードをゲット。こういうの、一枚ほしかったんだ…(反則かもしれないけれど、見せびらかしますね。)

 駅のホームで、見るからに目立っている一団を発見。そのまま、その一団と小樽行きの快速に乗り込みました。なんというか、「北の大地に移り住む」チームとでも言えばいいのでしょうか。40代くらいのおじさんと、東京方面から来たらしい同じ40代の夫婦の一団。
 (けして盗み聞きしていたわけではないのだが)車内で聞こえてきた範囲内で想像するに、おじさんは、どうやら内地での仕事をたたんで、念願の「北の大地に移り住む」計画をついに実行した人みたい。で、選んだ土地が「小樽」。(かなり私の町内にも近そうなんです…) 夫婦は、東京で(埼玉かな)おじさんの友だちだった人たちみたいで、一度は見たかった「札幌雪まつり」シーズンに来道、そのついでに、おじさんの「小樽ライフ」もしっかり見学してゆくぞ!でも、寿司もしっかり食べて行くからね!という一行のようでした。夫婦は、かなり、おじさんの北海道暮らしには興味を持っているようです。

 車内でのおじさんの「地方都市」論が面白かった。
「いろんな街で暮らしたけれど、経験的に言えば、人口70万くらいの街がいちばん住んでて快適な街だった。行政サービスも適当に行き渡るし、風景(自然)の破壊も少ない。街の人の感情も荒れていない。」
「小樽の人口って15万人なんですよ。この理論で行くと、とても住みやすいといったレベルじゃないんだけど。」
「でも、小樽には逆転があってね。単独でポツンと人口15万の街だったら、それはとっても寂しい街なんだろうけど、小樽の場合はね、隣りに札幌という100万都市がありますからね。それとの絡みで、逆に、人口15万の小振りの街の良さが活きてくるっていう、とっても珍しいケースだと思う。」

 なるほどね。家に帰ってから、試みに「人口70万人」の街を調べてみました。平成12年で「人口50万〜100万」の都市は全部で11市。人口88万人の「千葉市」を先頭に、「堺市」79万、「熊本市」66万、「岡山市」62万、「相模原市」60万、「浜松市」58万人と続きます。以下、「鹿児島市」〜「船橋市」〜「八王子市」〜「東大阪市」と来て、「新潟市」の人口50万人でラストでした。
 ふーん、おじさんのイメージしている「人口70万の都市」って、これの内のどの街なんだろうか?どんピシャの「70万都市」というのはないですねぇ。それに、11市を見回しても、とりたてて住みたくなるような街じゃないよなぁ…とか思う。「堺市」って、あの「ちびくろサンボ」の一家が住んでる街だろう。「新潟市」は、ご存じ、中学生が拉致誘拐されるような街だし。
 もっと、おじさんの言っている意味は深いのかな? たとえば、私が以前暮らしていた街「SWAN」とか。あるいは、人口が70万だった頃の「札幌市」は美しい街だった…とか。
 わからん…なかなか含みのありそうな言葉なんだけれど、今はまだわからない。明日も、人口15万の北の街、雪あかりの冬の路を歩きながら、また考えてみよう。

 
 
 

 
2001年2月11日号 あとがき

■『賢者の石』から、やや間が空いたけれど、今、『ハリー・ポッターと秘密の部屋』を読書中。おもしろいですね。1巻で勝ち取った期待を裏切らないことは大変えらいことだ。ところで、『指輪物語』、また映画化されるんだって?

■今は寒いけれど、もう一ヶ月したらJリーグも開幕。雪もこんなに積もっているけれど、きっといつかは融ける日も来るのだろう。その日を信じて、今は「看学」データ作業の毎日です。春になったら、遊ぶぞ! 『Northern songs』も、「インデックス館」も、もっともっとテキパキ更新したい!宙ぶらりんの「読書会BBS」もなんとかしたい!と気持ちははやりますが、もう少しだけ辛抱です。<新谷>