Northern songs
 
2000年10月1日号
                            
 

 
 
速報!「道の駅」2000 第6回(最終回)
 
新谷 保人
 

 若葉の5月から始まった「道の駅2000」も、夏過ぎて草紅葉の9月、オホーツクは北見枝幸の寂しい海岸で無事終了となりました。夕刻の4時半。長い長い夏休みだった…

9月24日(日)
R能取岬灯台→51.サロマ湖→52.愛ランド湧別→13.中湧別→22.オホーツク紋別→Q紋別灯台→45.香りの里たきのうえ→29.おこっぺ→53.おうむ→28.マリーンアイランド岡島

 今年の最終コースなので、気合いを入れて「小樽日帰り」にチャレンジです。どうやったら小樽スタートで、最初のポイントである「網走・能取(のとろ)湖」に立っていることができるのか?不思議だと思いますが、これにはタネも仕掛けもありません。まだ暗い朝の4時に小樽の家を出ればよいのです。時間を追って行くと、おおよそですが「小樽」(午前4時)→「旭川」(午前6時)→「大雪山・石北峠」(午前7時)→「北見」(午前9時)→「能取湖」(午前10時)といったコースです。高速道路は使いませんでした。
 ちなみに、今回はオホーツク海岸を網走から稚内方面に向かって北上して行くコースなのですが、一部、紋別市のところから内陸に入って滝上(たきのうえ)町をまわり、ふたたび海沿いの興部(おこっぺ)町に出る手順を織り込んでいます。これは、前回の根室旅行があまりスタンプ取りを主な目的としたコースではなかったため、その前回の積み残しを今回清算するために変則的なコースが混じってきているからなのでした。その「紋別市」で午後0時、「滝上町」で午後1時です。
 その滝上町のあたりで天候が崩れはじめ、このまま小樽に帰ろうかどうしようか…いくぶん逡巡しまして1時間ほどロスしました。そして、心も迷ったが、ついでに、道にも迷った。滝上町は、その名の通り、何本もの川が網の目のように入り組んだ上に立っている町なので、私、何度行っても出口がわかんなくなってしまいます。興部町に出ようとしていたのに上川(旭川)方面に向かって走っていたりとか。もう一度、滝上町にもどって、もっとわかんなくなるとか。なかなかミステリアスなエリア。ちょっとした「かくれ里」ですね。静かに水が流れ、町中に花が咲き乱れた、不思議に和むいい町です。
 これらのオホーツク沿岸の小さな町々は、皆、なんというのかなぁ、例えばサロベツみたいに「人生の最後はこんなところで終わりたい」「死んで土に還りたい」とか、人をそういう強烈な想いにさせるわけではないのですが、なんとなく、「ここに親戚のおじさんでも住んでいればいいのになぁ」といった想いにはさせますね。気兼ねしないで夏の一週間くらいをぶらぶら過ごしていたい場所です。昼にはおじさんの自転車借りてオホーツクの海岸まで行ってみたりとか…

 
 
 

 朝から走り続けてきたので、ちょっと滝上でボーッとしてしまった。で、あんたは帰るの?帰らないの?という内なる声に目を醒まし、「あと3ポイントじゃないか!」という不退転の決意で「道の駅おこっぺ」に向かったのが午後2時頃でした。
 こういう展開、疲れて交通事故を引き起こしたりする危険な展開になることもあるのは知っています。ですが、この時は「たぶん行けるだろう」という変な自信がありましたね。5月以来持続しているスタンプ・ラリーの独特の土地勘がまだ残っているのを感じていましたから。かえって、一度小樽に帰り、別の日に、消化試合みたいな感覚で、「たった3ポイント」のためにここまで来てやったぞ…みたいな傲慢な気持ちになったときの方が危ないと思いました。(私は、車の運転はヘタなんですけれど、この直感のおかげで今までは無事故無違反のゴールド免許証です。)
 「興部町」から少しもたもたして、「雄武(おうむ)町」に着いたのが午後4時前。「雄武町」から「枝幸(えさし)町」までは距離がちょっとあるのですが、大好きなオホーツクの海岸沿いの一直線の道ですから、気持ちよくブッ飛ばして、ゴールの「マリーンアイランド岡島」に着いたのが午後4時半。これにて、2000年度の『道の駅』『灯台スタンプラリー』の終了とあいなりました。

 
 
 

 灯台スタンプ、全部集めるとエライ迫力ですね。20世紀の最後に、こんなことやってていいのかな?とは思いますけれど、まあ、なんていうか、こんな人生を選んじゃったものは仕方ない…といったところです。(この歳になっちゃうと、ほとんどとり繕うということは不可能になってきますからね。やってきたこと、できなかったこと、みんな正直にこのホームページに残して終わって行こうと考えています。)
 
 
 

 というわけで、ここで話を朝10時の能取岬灯台に戻します。「能取湖」、道東のこのあたりだけ、まだ晴れていたんですよ。北海道中、台風崩れの低気圧で雨降りだったんですけどね。なんか、夏の残りの陽ざしを全部かき集めて走り回ったような一日でした。
 「能取湖」は、ここ道東の海岸部を一周する湖群の中でも、典型的な形態の湖です。「厚岸湖」「音根沼」「風蓮湖」「野付湾」「濤沸湖」「能取湖」「サロマ湖」(←読めますか?「あっけしこ」「オンネトー」「ふうれんこ」「のつけわん」「とうふつこ」「ノトロこ」「サロマこ」です)などの並びの湖のひとつですが、湖の一部が海につながっていて海水・淡水混じりの湖になっています。沿岸部が日本海みたいに断崖絶壁の岩浜ではなく、ずーっと砂浜が続いていますから、こういう湖の連なりになるのでしょうか。よくわかりませんが、太平洋・オホーツクの海岸や原生花園の群落などとマッチして道東独特の風景をつくりあげています。
 というより、ちょっとばかり「レトロな北海道」という印象なのかな。まだ北海道観光といっても「大雪山」や「摩周湖」「阿寒湖」といった生の大自然を提示するしかなかった時代の、定番ラインナップのひとつが「能取湖」であり「網走の原生花園」であり…という印象です。

 
 
 

 事実、海にひらけて岬の突端にポツンと立っている「能取岬灯台」を見た時は、なんか、中学校3年生の修学旅行の時に帰ったかのような錯覚に陥りましたよ。三十年前と何も変わっていない道東…というか。この灯台、めずらしいことに模様が「白黒」の横縞なんです。普通、灯台は「赤白」の横縞パターンが主流です。せいぜい、その変形パターンの、「白一色」に「赤」のワンポイントというのがいくつかありますが、この「能取岬灯台」だけはスドーンと「白黒」なんですね。それが不思議に、空の「蒼(あお)」、海の「碧(あお)」に合うんです。
 あと、この季節限定のハイライト、能取湖の湖面にひろがっているサンゴ草の「朱(あか)」や、道路沿いに並んでいる木々のナナカマドの実の「紅(あか)」が、よりレトロな気分を盛りたてます。何というかなぁ、小樽に石原裕次郎記念館を建てるのならば、こういう岬の突端とかには「小林旭記念館」でも建てればいいんじゃないかと思いました。ギターを抱えた渡り鳥が馬に乗ってやってきても全然違和感ないよ…という感じ。この場合、「高倉健」ではダメなんですね。「『君の名は』記念館」も今ひとつちがう。やっぱり「小林旭」でしょうかね。1960年代の日活映画が持っていたような永遠の幼児性が唯一陳腐に見えない絶妙のロケーションと感じました。
 ああ、これも、もしかしたら「親戚のおじさん」ってことかもしれません。小林旭みたいなおじさんも、宍戸錠みたいなおじさんも、昔は必ず親戚の中にひとりくらいいましたもんね。北原三枝みたいなおばさん(は失礼かな…)もいたし、そんな親戚には、そういえば芦川いづみみたいな娘さんも、川地民夫みたいな息子もいたっけなぁ。でも、裕次郎みたいな奴って、そういえば、思い出せない。いなかったんだろうなぁ。(やっぱりこういうところが偉大なスターであった証拠なんでしょうか…)
 あの、悪気のない幼児性の世界って、もう二度とは帰ってこないのでしょうね。いくら景色が三十年前と同じでも、やはり私たちは彼らと時を同じくしては生きられない。私たちは、これからも、「ケータイ」を嬉しそうにぶらさげた、「横断歩道」という漢字も書けない、「返却」という字も読めないクソガキたちと共に生きて行く同時代人です。

 
 
 

 「北見枝幸町」(←昔は「きたみえさし」と皆言っていたと思うのだが、いつのまにか「枝幸町」になっていた)からの帰りは、オホーツク海から内陸の方に入り、「歌登(うたのぼり)」〜「音威子府(おといねっぷ)」〜「美深(びふか)」(←これも昔は「ピフカ」と言っていたような気がする)まで降りてくる旧「歌登町営軌道」「天北線」の線路跡コースです。
 これで「名寄(なよろ)」近辺まで降りてきて、けれど、名寄市街には入らず、その手前でググーッとコースを「朱鞠内湖(しゅまりないこ)」の方へ突入します。その「朱鞠内湖」の周りをまわって、「幌加内(ほろかない)」〜「深川(ふかがわ)」と南へ降りてくる旧国鉄「深名線」コース。
 深川からは高速道路「道央道」に入って〜「札幌」〜「小樽」です。もう、高速に乗った時点で、今日の日帰り旅行も終了と考えていいでしょう。ちなみに、この日は、「美深」で午後6時、「朱鞠内湖畔」で午後7時、「深川インターチェンジ」で午後8時、「小樽」の家に帰ってきたのが午後9時すぎでした。
 この「道央道」を旧「手宮線(函館本線)」に見立てれば、これは、なんと、宮脇俊三氏の『鉄道廃線跡を歩く』シリーズでお馴染みの「歌登町営軌道」「天北線」「深名線」「夕張鉄道」「幌内鉄道」「手宮線」を散りばめた宗谷本線〜函館本線の北海道メイン・ストリートですね。感無量です。「道の駅2000」のラストを「廃線跡」の名曲ヒット・パレードで締めくくるなんて、私も芸が細かくなったもんだ!とか、小樽の家に帰ってきてスタンプ眺めながら独りでご満悦。変わってないなぁ…、相変わらずバカですね。

 
 

 
 
「道の駅2000」全行程
 
 
 
5月19日(金)
40.ニセコビュープラザ→57.くろまつない→20.よってけ!島牧→I弁慶岬灯台→14.いわない→35.オスコイ!かもえない→J神威岬灯台→K積丹岬灯台→49.スペース・アップルよいち→L日和山灯台
5月27日(土)
M石狩灯台→17.サンフラワー北竜→45.田園の里雨竜→58.たきかわ→26.ハウスヤルビ奈井江→1.三笠→60.つるぬま
6月4日(日)
37.マオイの丘公園→38.樹海ロード日高→3.南ふらの→2.スタープラザ芦別→56.うたしないチロルの湯
6月24日(土)
55.森と湖の里ほろかない→5.ぴふか→12.おといねっぷ→32.ピンネシリ→54.さるふつ公園→P宗谷岬灯台→O稚内灯台→8.富士見→N金比羅岬灯台→50.ほっと・はぼろ→27.おびら鰊番屋
7月8日(土)
7.望羊中山→33.フォーレスト276大滝→39.そうべつサムズ→47.みたら室蘭→Fチキウ岬灯台
7月15日(土)
21.てっくいランド大成→25.ルート229元和台→19.あっさぶ→6.江差→H鴎島灯台→34.上ノ国もんじゅ→42.横綱の里ふくしま→41.しりうち→59.なとわ・えさん→G恵山岬灯台→60.つどーる・プラザ・さわら→23.YOU・遊・もり
7月22日(土)
S美瑛デッカ局→48.とうま
7月29日(土)
43.サラブレッドロード新冠→E静内灯台→18.みついし→D襟裳岬灯台→9.忠類→62.さらべつ→36.なかさつない→31.おとふけ→(晩成温泉)
7月30日(日)
(晩成温泉)→C十勝太ロラン→4.しらぬか恋問→30.阿寒丹頂の里→B釧路崎灯台→16.厚岸グルメパーク→11.摩周温泉→10.足寄湖→44.ピア21しほろ
8月19日(土)
@納沙布岬灯台→A花咲灯台→59.スワン44ねむろ→63.知床・らうす→(養老牛温泉)
8月20日(日)
(養老牛温泉)→24.おんねゆ温泉→15.まるせっぷ
9月24日(日)
R能取岬灯台→51.サロマ湖→52.愛ランド湧別→13.中湧別→22.オホーツク紋別→Q紋別灯台→45.香りの里たきのうえ→29.おこっぺ→53.おうむ→28.マリーンアイランド岡島
 
 

 
2000年10月1日号 あとがき

■ほんとに10年ぶりくらいで遊びまわった夏だった。使ったお金とか動いた距離とかは例年とたいして変わらないけれど、なにか気の持ちようが今年はちがっていた。これは、去年あたりで、今までの15年間くらい、いつも引きずっていた「図書館ネットワーク」の仕事からいったんは解放されたことが大きいと思います。(安定するのに1年くらいかかったが…) また、今年に入って、夏前でホームページが動き出し始めたことも大きかったですね。

■9月24日(駒場)、対「浦和レッズ」戦、2−1でVゴール勝利。10月1日(厚別)、対「大分トリニータ」戦、2−1で90分勝利…というわけで、今年のサッカーJ2リーグは、「コンサドーレ札幌」の勝ち点が「80」台に入り、ほぼJ2優勝とJ1昇格を決めたと思われます。その分、浦和は勝ち点「67」で、後ろから追い上げてくる勝ち点「65」の大分などとの星の潰しあいの世界に突入しているわけですが… なかなか気位の高い浦和レッズとそのサポーターたちだけに、来年もJ2に居残りかもしれないという、この現実を受け入れるのは苦痛みたいですね。

■元埼玉県民としては、ここのところ連日のレッズ関係のホームページ掲示板をたいへん興味深く見ています。いろいろな人がいるものですね。監督が悪い、選手が悪い、ファンが悪い、会社が悪い、ルールが悪い…から始まって、「コンサドーレ、たのむから大分に勝ってくれ!」という俄コンサ・サポが登場したり、「そんな恥ずかしいことするな!」と怒鳴る愛国レッズ・サポが出たりと、連日、めまぐるしい。「J2の実力しかない自分たちを受け入れよう」と言う人がいれば、「J2で頑張っていたって技が錆びつくだけだ」と言う人もいる。「小野が海外リーグに出られれば、あとはどうでもいい」と言う人まで出てくる。苦しい時って、それぞれの人間性が出ますね。

■私も少しばかりは思い出すこともあって、いつかは「J2」や「J2時代のコンサドーレ」を素材にして、そういう状況の中の人間たちを書いておきたいと漠然と思っていました。そんな時に読んだのが、栃内良(とちない,りょう)の『馬場さん、忘れません』(えい出版社)です。『馬場派プロレス宣言』(白夜書房)の昔から感心している人ですけれど、今回も、いろんな意味で触発されました。いい仕事していますね。(ちなみに、この人、数少ない「小樽」出身の物書きです。「小樽」は伊藤整とか小林多喜二とかの大昔のビッグネームばかりで、現役の物書きというと、これが全然いないんですよ。本当に「うたふことなき…」というか。「小樽」人はシャイなんで、なかなか都に出てって勝負しないのね…) というわけで、近日、「わがコンサドーレ記」、始めます。<新谷>