スワン社HP Northern songs 2000年8月26日号

 
 
影とのたたかい 序
横田めぐみさんたちを必ず救出するぞ!
 
新谷 保人
 

 今年の7月7日、札幌で行われた「北朝鮮に拉致された日本人を救出する北海道の会」の集まりに行ってしてきました。「救出する会」が開催した集会に参加するのは、昨年5月2日に東京・日比谷公会堂で行われた「横田めぐみさんたちを救出するぞ!国民大集会」以来、これで2回目です。

 今年の5月連休にも、日比谷公会堂では「第2回・横田めぐみさんたちを救出するぞ!国民大集会」がありましたが、今回は思うところあって参加しませんでした。集会の主旨に反対とか、自分の仕事が忙しいとか、そういうことではないのですが…
 集会に行けば、残された家族の人たちの話には感動もするし涙もとまらない。救出するために何とかしなければならないとも思うし、自分にできることなら何でもしようとも思います。その思いはいつでも変わらない。だが、だからこそなのですが、「第2回」には行かなかった。行けなかった。私が何度涙したところで、拉致された日本人たちが還ってくるわけではないだから。公会堂の客席に座って共感の拍手をすることしかできない自分の姿がひどくどうしようもないものに感じられました。
 そうかといって、(私が住んでいるのは小樽ですから)港に出かけていって、例の10万トンのコメを積み込んでいる北朝鮮の船に向かって怒鳴ってみたところで、これまたどうしようもない話ではあるのですが。

 

 じつは、今年の5月頃まで「救う会」の「北海道」があることを知りませんでした。情報ラインが本とかインターネットだけなので、そこに「北海道の会」の名前が見えない以上、「北海道」はないのだと思っていた。
 インターネット上(「拉致問題掲示板」という有名なホームページです)で「救う会・北海道」の名前を目にしたのが連休前の4月頃。5月3日の憲法記念日に、札幌の隣町の北広島市で講演会があるという。それまで、いわゆる「進歩的な」「民主的な」ものに批判的な活動などを北海道であまり聞いたことがなかった(北海道は今なお社会党ランドだから…)ので、やっぱりこういう土地柄でも「日本人を助け出そう」としている人たちがいたんだということに安心し期待も高まったことをよく憶えています。
 同じ行くのなら、日比谷ではなく、当然こちらだろうとも思いました。運動の規模は小さくとも、自分の生活圏で、拉致された人たちのための何か確かな行動の方がいいに決まっている。
 だが、実際には、この5月3日の集会にはがっかりすることが多かった。いつか、この連載のどこかで書くこともあるだろうかと思いますが、じつは、この集会は「救う会・北海道」の主催ではなかったのです。集会は、憲法記念日に集まった改憲論者たちの集会であり、「拉致問題」は客寄せのための派手な看板のひとつだったのです。会が始まるなり、いきなり「ご起立を」、そして「君が代斉唱」…

 ちょっとシラけました。これじゃぁ、一般の人は誰も近づけないよ… こういうことに「拉致」のような問題を便利に使うと、真剣に拉致被害者の救出を願っている人たちの気持ちを踏みにじることになるのではないだろうかとは思いました。
 ただ、ここが、いわゆる拉致問題の微妙なところなのですが、私にしても誰にしても、あまりこういうことにいちいち頓着する気になれないのです。この「日本人拉致」問題についてだけは。
 拉致された人たちが生きて還ってくるかどうか…の問題の前には、そんなこと、どうでもいいだろうという気がします。平和な日本で不自由なく暮らしている私たちのささやかなプライドだの生活信条だの、そんなこと、どうでもいいだろうという気が心のどこかにある。北朝鮮に拉致され、もう二十年以上になんなんとする人たちの苦しみを思えば、私が「君が代」歌おうと歌うまいと、どうでもいいことだ。歌うことくらいで拉致された人たちが還ってこられるのならば、いくらでも私は歌いますよ…という気にさせる何かがこの運動にはあると思う。
 会の始まりのところで「君が代」拒否とか騒いで、「救う会」のメンツをつぶしたりすることは、本当に私の本意ではありませんでした。こんな歳まで生きていると、こんな風に、政治勢力の頭数にちゃっかり数えられたり、知らない内に政争の場所に動員されていたりということは何回もあります。怒って会場を出たり、主催者に抗議したり、態度はその時々でいろいろですが…
 しかし、少なくとも、この集会については私には騒ぐ気持ちは全然なかったです。「君が代」くらいどうだっていい…と思いました。さすがに斉唱までつきあわない(戦後民主主義教育の成果だろう、ほんとに私は「君が代」フル・バージョン歌えない…)が、プロレス会場やサッカー場でそうであるように起立まではつきあいました。読売新聞とかが来ていたけど、たとえカメラに写って改憲論者にまちがえられたところで「それがどうした」って感じです。

 

 まあ、そんな5月3日のいきさつがあった後の、7月7日の集会ではありました。そして今回は、横田めぐみさんのご両親も集会にいらっしゃるという。
 その会場で、始まる前に配られた資料のひとつが、以下に掲載する「拉致問題についての参考書籍」です。作成者が「北朝鮮に拉致された日本人を救出する北海道の会」なのか、東京の「日本人を救出する会」なのかはわかりませんでした。

 

 拉致問題についての参考書籍

 □ これでもシラをきるのか北朝鮮 石高健次著 光文社 \848
 □
金正日の拉致指令 石高健次著 朝日新聞社 (朝日文庫) \660
 □
宿命−「よど号」亡命者たちの秘密工作 高沢皓司著 新潮社 \2300
 □
闇に挑む! 西岡力著 徳間書店 (徳間文庫) \590
 □
北朝鮮拉致工作員 安明進著 徳間書店 \1500
 □
北朝鮮日本人拉致の背景 佐藤勝巳著 現代コリア \250
 □
スーパーKを追え! 高世仁著 旬報社 \1800
 □
北朝鮮が戦争を起こす5つの証拠 佐藤勝巳[ほか]著 KKベストセラーズ \1500
 □
飢餓とミサイル 西岡力著 草思社 \1600
 □
金正日への宣戦布告 黄長■回顧録 文芸春秋 \1714
 □
金正日の核弾頭 宮崎正弘著 徳間書店 \1800
 □ 娘をかえせ息子をかえせ 高世仁著 旬報社 \1500

 

 以上の書籍に続いて、『現代コリア』や『産経新聞』など、「北朝鮮」情報に詳しい雑誌・新聞がいくつか紹介されています。

 集会が始まる前にパーッと読んでしまいましたが、なんと(『北朝鮮日本人拉致の背景』を除けば)ここに紹介してある参考書籍は全部読んでしまっていることに自分でもちょっと驚きました。(のぼせ上がって言うのではありませんが…)なにかしら、こういう集会に参加して運動の最新情報を得ようとして参加する段階は、私の場合は終わりつつあるのではないかとも感じました。「なんでも問題の解決にプラスになることなら協力したい…」といった熱意のレベルでは越えられない段階に入っているのかもしれません。
 どう言い表せばいいのでしょう。例えば、署名集めの活動に人手が足りなかったなら、私はいくらでも仕事の時間を調節して街頭活動に参加するつもりです。でも、やらなければいけないことはそういうことなのだろうか。それだけなのだろうか。例えば、私は図書館に勤めています。ある意味「本を読む」プロです。そういう人間が、こういう一枚の血の滲む「ブックリスト」を目にした場合、そういう「ブックリスト」との出会いから自分を関係づけて行くことの方が自然なのではないだろうか…、もしも自分の参加で微力でも拉致問題が解決に向かって進むことがあるとすれば、私の場合は、選び取るべきは今目の前にあるこの「ブックリスト」ではないのだろうか…、しきりにそんなことを考えていました。
 「血の滲む」という表現を使いましたが、誇張でも何でもありません。行方不明になったまま何の手がかりもなく20年間が過ぎたある日、わが子は「北朝鮮」で生きているらしい…と知らされた時の、親の驚きはいかばかりかではあったでしょう。「北朝鮮」って何だ、何で娘(息子)はそんなところへ行ったのだろう…とそれこそ血眼になって五十にも六十歳にもなった老人が「北朝鮮」を調べ読んできた結果がこのブックリストなのです。「証拠はあんの?」と笑う国会議員たちに、けれどもそんな議員たちでさえ動かさなくてはならないほどこの国は哀しく心の貧しい国だから、運動を続けてきた人たちは必至に立証し、国民の生命・財産を守るべき国会議員の本義を国民が国会議員に教えてやる…という異常な事態にも耐えてきたのです。その結果がこのブックリストなのです。

 

 次回より、このブックリストの本を幾分補完し詳しく解説・紹介して行きたいと思います。その際には、今まで集会やインターネット上で頻繁に出された初歩的な質問・疑問・意見などを取り上げ、その疑問については関連してこの本…という形で進めて行きたい。例えば、
 

  ■拉致の証拠はあるのか?
  ■右翼ではないのか?
  ■左翼ではないのか?
  ■(20年も経ってしまった今)もはや無効ではないのか?
  ■署名など無駄ではないか?
  ■実力で奪還することはできないのか?
  ■食料支援は行うべきだ
  ■マスコミに訴えかけては?
  ■北朝鮮(韓国)の人たちに訴えかけてはどうか?
  ■アメリカ(中国・ロシア)の力を借りることはできないのか?

 

 これらの質問は拉致問題のことを話す時には必ず出てくる質問です。こういう難しい問題に何か解答を探すのに私が適任などとはまちがっても思いませんが。(そんな思い上がったことは考えたこともない。) こういう形式をあえて選ぶのは、あくまで、これは自分のためなのです。こういう単純で初歩的な疑問にひとつひとつきちんと書き言葉で考えて行くことで、自分の中にもある同じような疑問や問題についても考えを深めて行きたいということです。考えて迷いなく動きたい。正確に、そして、速く動きたい。この問題の解決のために残された時間があまりに少ないことが私はとても悔しいのです。
 
 

2000年8月26日号 あとがき

■書こうかどうしょうか…かなり迷ったのだけれど、書くことにしました。北朝鮮の日本人拉致のことです。まがいなりにも自分のホームページを持ってるということは、微力でも自分の言論手段があるということです。そうである以上、こんな大事な時期に口を紡ぐわけにはゆかないと思いました。これに関してだけは、「知らなかった…」「私の力では何もできない…」といった言い訳はしないつもりです。

■と同時に、これからの無益な誤解を防ぐ意味でも、最初に私の政治的な立場を明らかにしておきたい。私は、政治的には「右」でも「左」でもありません。高校生だった二十数年前にノンセクトの反戦デモに何回か参加したことはあるけれど、それ以後、今に至るまで、どこの党派を応援したこともないし、どこの党派・団体からも金や便宜をもらったこともない。よく世間で言われる「無党派層」のひとりです。選挙投票くらいが現在の私の「政治的活動」のすべてです。

■こういう書き方に、なにか不真面目な態度を感じられた方がいたら、ごめんなさい。ただ、私は怒り呆れているのです。例えば、この前の選挙。あれだけいた立候補者の内、いったい何人が「日本人拉致」について言及したでしょうか。誰もいないのです。いちばん発言し動くべき人たちなのに、こういうタブーについてはしっかり口を紡ぐ。でも、北朝鮮の利権については抜け目なく群がる。私はこういう人間が嫌いなのです。自分の利益や幸せのためなら、拉致された人たちがどうなろうと知ったことではない…とする風潮には断固として反対したい。<新谷>