Northern songs
 
2000年8月5日号
 
 

 
 
速報!「道の駅」2000 第4回
 
新谷 保人
 

 スタンプ・ラリーは「基本的には日帰り」が大原則なのだが、あまり原則原則でやっていてもしょうがない。人生に潤いがない。職場も夏休みに入ることだし、ここらでルール破りの敢行です。
 実力的にはお判りですね…、別に「晩成温泉」に泊まらなくても、帰るつもりなら、いくらでも「おとふけ」や「しほろ」からその日の内に帰れるんですよ、私は。(と、負け惜しみ)

 

7月29日(土)
43.サラブレッドロード新冠→E静内灯台→18.みついし→D襟裳岬灯台→9.忠類→62.さらべつ→36.なかさつない→31.おとふけ→(晩成温泉)
7月30日(日)
(晩成温泉)→C十勝太ロラン→4.しらぬか恋問→30.阿寒丹頂の里→B釧路崎灯台→16.厚岸グルメパーク→11.摩周温泉→10.足寄湖→44.ピア21しほろ

 

 「晩成(ばんせい)温泉」は十勝沖の大樹(たいき)町というところにある海岸線の温泉です。海岸に沿って隣の町が豊頃町〜浦幌町〜音別町〜白糠町〜釧路市と続きますが、昔は、「道の駅」といっても「しらぬか恋問」くらいしかなく、羅臼(知床)方面へ行く時の一通加点にすぎなかったのですが、「灯台スタンプ」が加わった今年からは一躍「スタンプ街道」としてかなり強力ラインになってきました。いいことです。だからこそ!なんですが、泊まるところも、定説の「帯広」ナイトではなく、予想外の「晩成」が浮上してくる。これも、いいことですね。
 「晩成」の名は、やや北海道の歴史に詳しい人ならば誰でも知っている名前です。北海道への農業移民の最初の人たちが入植してきた土地がここです。明治十五年ですから、かなり遠い昔のメイフラワー号の人たち。
 それまでの北海道というのは、漁業だけが産業の「島」ですからね。(たとえば松前藩は江戸幕府に「米」ではなく「鮭・昆布」などの海産物で年貢を納めていた唯一の藩です。)開かれていた町も、例えば「函館」、例えば「根室」というように、海沿いにポツンポツンとつながって、それはそのまま「千島」や「カムチャッカ」や「樺太」の島々の港の連なりと何の区別もないわけです。そういう島々のひとつ…という認識であったろうと思います。後年、私たちが抱いている「広大な大地」といった北海道の「大陸」イメージは、じつは、この「晩成社」から始まった農業移民の入植とか、石炭の発掘などで、内陸へ内陸へ、上流へ上流へと人が入り込んでいった結果の近代イメージなんですね。

 その北海道の近代がまさに始まった第一歩がここなんだ…と、夜の海岸に立って感慨にふけっていたわけでは決してない。小樽から襟裳岬をキッチリまわって帯広までやってきた身には、晩成温泉のモール泉はあまりに心地よく、夕食のカツ丼はあまりに美味しく(北海道は豚肉が内地に比べて格段に美味しいのだが、ここ帯広・十勝の豚肉はその「北海道レベル」すら大幅に上回って美味しい!)、テレビの道内ニュースで「コンサドーレ」の浦和レッズ戦・勝利を確認するやいなや泥のように眠ってしまいました。地縛霊がどうのこうのとか考える暇もなく、次の日の朝の四時半まで眠りこけた。
 

 翌朝7時にスタート。「十勝太ロラン」へ。今回のドライブのいちばんのねらいは、じつは、この早朝の十勝沖、それも、海に近い幹線道路ではなく、海岸線の道路そのものを釧路・厚岸まで走ってみたい…というところにあったのです。その夢はかなった。じつに、じつに美しい朝ではあったよ。ほんとに、これだけは、ちょっと札幌の奴らには内緒にしておきたいところだな。

 「美瑛デッカ」「十勝太ロラン」の謎、解明。十勝太ロラン局の灯台守のおじさんに直接聞きました。「ロラン」は「Long Range Navigation」、長距離電波航法システムの略だったのです。伊豆七島の「新島」を主局とし、「十勝太」、沖縄の「慶佐次」、小笠原の「南鳥島」、韓国東岸の「浦項(ポーハン)」の4局を従局とした「北西太平洋チェーン」の中の1局とのことです。なかなか雄大なネットワークではありますね。
 「デッカ」というのは、「ロラン」の一昔前のシステムで、電波の送信距離が「ロラン」ほど長くないとのこと。昔は各地域にデッカ局があったけれど、現在はだんだん数が少なくなってきているのでした。北海道でも、もう「美瑛」の1局だけになっています。命名は、このシステムを開発した会社の名前に由来するわけで、たぶん私たちがレコード会社の名前として良く知っている(ストーンズやアニマルズのレコードを出していた)「デッカ」と同じ会社ですね。朝の8時に押しかけたのに、厭な顔ひとつせず、素人のこんな初歩的な質問にも丁寧に答えていただき、最後にはパンフレットまでいただいて、本当に感謝感激です。
 この朝の十勝太ロラン局には、もう一人、スタンパーのおじさん(おじいさん?身体がけっこう鍛えてる感じで若々しく見える…)が来ていて、帰り道、ロラン局の敷地入口までの1〜2kmをご一緒したのですが、話を聞いてビックリ!なんと、歩きで北海道一周をやっているんですって。昨日も、近くに泊まる適当なところがなかったので野宿した…とか、こともなげに言うのね。いやー、世の中には凄い人がいるもんだ。ほとんど松浦武四郎。
 こういう人たち、私の普段の生活範囲ではあまり見かけないタイプの人たちです。どうしても学校や会社社会の人たちとつきあう時間が多くなってしまうので、たまに、このような灯台守とか退役軍人風(と勝手に私が思いこんでいるだけかもしれないが…)の、なんて言うのかな、タフで孤独に強い人たちに出会うと、ちょっとだけ感動しますね。来年はオレも歩こうかな…、なんか、車に乗っているのがとてもマヌケに思えた日でもありました。

 
 
 

 
▼前回「NS2000年7月25日号(復刊No.3)」まで
 
5月19日(金)
40.ニセコビュープラザ→57.くろまつない→20.よってけ!島牧→I弁慶岬灯台→14.いわない→35.オスコイ!かもえない→J神威岬灯台→K積丹岬灯台→49.スペース・アップルよいち→L日和山灯台
5月27日(土)
M石狩灯台→17.サンフラワー北竜→45.田園の里雨竜→58.たきかわ→26.ハウスヤルビ奈井江→1.三笠→60.つるぬま
6月4日(日)
37.マオイの丘公園→38.樹海ロード日高→3.南ふらの→2.スタープラザ芦別→56.うたしないチロルの湯
6月24日(土)
55.森と湖の里ほろかない→5.ぴふか→12.おといねっぷ→32.ピンネシリ→54.さるふつ公園→P宗谷岬灯台→O稚内灯台→8.富士見→N金比羅岬灯台→50.ほっと・はぼろ→27.おびら鰊番屋
7月8日(土)
7.望羊中山→33.フォーレスト276大滝→39.そうべつサムズ→47.みたら室蘭→Fチキウ岬灯台
7月15日(土)
21.てっくいランド大成→25.ルート229元和台→19.あっさぶ→6.江差→H鴎島灯台→34.上ノ国もんじゅ→42.横綱の里ふくしま→41.しりうち→59.なとわ・えさん→G恵山岬灯台→60.つどーる・プラザ・さわら→23.YOU・遊・もり
7月22日(土)
S美瑛デッカ局→48.とうま
 
 
 
 

 

■現在、フロント・ページから入る「過去の記事」部分を大幅に改訂中です。現在は、私の「紙の《Northern songs》」時代の文章が一部分、HPテストを兼ねて出ているだけですが、ネットワーク時代の仕事はとてもこんなものじゃない…、もっともっとさまざまな図書館人の英知が積み重なった規模の大きいものです。その一端だけでもなんとか予告紹介できる方法はないかと考え、この時期、季節的に合うものをいくつか復刻でアップしてみることにしました。

■10年の歳月を越えてのホームページ再デビューですけれど、そんなに古びてもいないでしょう。(言われなければ、今の、2000年の「文章」として読んだ人もいるのではないでしょうか?)かえって、こういう時代の今だからこそ、図書館なんかは率先して意識的に『グリーン・ノウ』や『マーニー』の話をしなければいけないのではないかとさえ感じます。これらの本、10年前には、ごく普通に町のどんな本屋にも置いてあったんですけどね。でも、もう今となっては、篠崎書林や評論社の児童書を地元の書店・古本屋で探すのはかなり大変な作業じゃないかなぁ。もはや図書館しかない…といった状態です。

■冷静に考えてみれば、私たちは、なにもかも図書館や書店の検索システムを通じて「自分の一冊」を選びとるわけではありません。図書館でいつも見かける人がなんかカッコいい本を手に持っていたり、好きだった女の子が読んでいた本を古本屋で偶然見つけたり、深夜のラジオでアイドルが今読んでいる本の話をしたり、部室に誰かが置き忘れていった本を拾ったり、そんな、一見ぐちゃぐちゃの、意味のなさそうな経路を通じて、でも、最後はちゃんと「自分の一冊」の本に選びとられているのではないでしょうか。

■もうじき21世紀を迎える図書館世界なんだから、検索システムやもろもろの機械化なんて、できて当然だ…と私は思っています。(今頃、そんなことを自慢している図書館はかなり頭が悪いとさえ思う) 自慢するほどのことじゃない。黙って実行すればいいだけ。でも、私は心配なのですが、最近、なにか、「検索システム」みたいなIT(笑)技術の完成をもって、その図書館がもっている「図書館の存在意義」までが完了したかのような風潮ってないでしょうか? 「全国を結ぶ高速情報ネットワーク」とか…言葉は気宇壮大でカッコいいけれどね、なにか言ってることが怪しい。そこに至るまでに、けっこういろんなものを切り捨てたりサボったりしてきているんじゃないだろうか。

■ネットワークを生きている時(今もそうですが)、私たちも人並みに「情報ネットワーク」化を志向して来ましたけれど、それが全力だったわけではない。現実の労働力の半分は、必ず自分たちで運転する「連絡車」に時間を割くようなバランス感覚があったと思う。また、そういう具体的な手応えがネットワークをやっている楽しさでもあったのです。(後年、スタンプ・ラリーにのめり込むような今の私の姿は、なにか、北海道で今「連絡車」ができないが故のストレスの産物かもしれません。) そして、理念としての「図書館ネットワーク」では、力の半分は、いつもこういう本の話をすることに時間を使い続けてきたわけです。そういう姿勢が吉と出るか凶と出るか…、徒労だったのかどうか…については今は言いようがない。いつか時間が証明してくれるでしょう。けれど、なんとなくですが「ネットワーク」の王道を歩んでいるような変な自信はありますね。HPといった表現手段に慣れてくるにつれ、ネットワークを生きる楽しさみたいなものも次第にまた正体を現して来るのではないでしょうか。<新谷>