Northern songs
 
2000年8月5日号
 
 

 
 
幽霊物語
《ヤングアダルト本の世界漫遊記D/季刊『SWAN』第6号(1989.7)》
 
大島 多美子
 

 夏の定番、といえば、いわずもがなの幽霊物語。そこで、今回は「児童文学小説ニオケル幽霊ト時間ノ一考察」です。

 どんな作品を取り上げるのかといいますと…

■20世紀の少女ペネロピーは古くからの荘園で暮し始めるようになってからというもの、別の時間(16世紀)と行き来ができるようになる。彼らは、エリザベス女王治世下の反逆者スコットランドの女王メアリを秘かに救おうとしていた。ペネロピーは彼らの不思議な友人として彼らの生活と愛をともに体験する。………@「時の旅人」(1939)

■イギリスの片田舎グリーン・ノウの屋敷で大おばあさんと暮らすことになった少年トーリー。他には誰もいないはずのお屋敷なのに、なぜか子どもたちの気配がある。 それは300年昔に生きていた子どもたちだった。トーリーはゆっくりと彼らの友だちとなっていく。
………
A「グリーン・ノウの子どもたち」(1954)

■夏休み、ロンドンからおじさんのアパートにやってきたトム。居間の時計が13を打つとき、彼は中庭に出て昔風の少女ハティと出会う。二人はいくたびか不思議な時を過ごすのだが…。説明不用の名作。………B「トムは真夜中の庭で」(1958)

■誰にも心をひらこうとしない少女アンナは海辺の転地先で始めてみた<しめっ地やしき>に心ひかれる。今は誰も住んでいない筈のその家で、アンナはひみつの友だちと知り合う。
………
C「思い出のマーニー」(1967)

■不思議な老人のおかげで古びたお屋敷に住むことになった貧しい母親と子どもたち。ある時、子どもたちは庭で幽霊の姉弟に出会う。彼らに救いを求められ、魔法の薬で<時の車輪>を渡り、 100年前に時を遡るルーシーとジェミー。はたして、彼らは運命を正すことができるだろうか。
………
D「幽霊」(1969)

■ 寄宿舎の第一夜を古風な車輪付きベッドで過ごしたシャーロットは、40年前の寄宿生クレアといれかわってしまう。二人は入れ替わるごとに日記をつけあい、連絡を取るが、なんとシャーロットがクレアになっているときに、寄宿舎から出なければならない羽目になってしまう。シャーロットはこのまま40年前で年をとっていくのだろうか。
………
E「ある朝シャーロットは…」(1969)

■古い小瓶に封印されていた魔術師の幽霊が魔術師業を開業しようとして、現代社会に相手にされずまきおこす騒動を一人の少年が経験する。
………
F「トーマス・ケンプの幽霊」(1973)
 

 さて、この7作、「これが幽霊物語?」と不審に思う方もいらっしゃるかもしれません。必ずしも<幽霊が現代に現われる>わけではないのです。機械を使わないタイム・トラベルといった趣のもある。
 ところが、英国では、これも立派な<幽霊>なんですね。作品中ではゴースト(D)とか、ファントム(C)という言葉を使っています。つまり<その時空間に本来存在しないものは幽霊である>という見解、とでもいうのかなぁ。例えばこんな考え方です。

 ルーシィはおずおずといいました「あなたたちは幽霊でしょ?」
 ジェミーは、気が狂ってしまったのかというみたいに、お姉さんを見つめました。
 背のたかい少女は顔をしかめるといいました。「それはあなたがたの見方しだいなの。いまあなたたちがいる所から見れば、わたしたちはある意味ではそうだと思うわ。でもいまわたしたちがいる所から見たら、わたしたちはけっして幽霊なんかじゃないの。」
(「幽霊」倉本護訳)

 タイトルもそのままのアントニア・バーバ「幽霊」の一節。現代の姉弟ルーシーとジェミーが 100年前お屋敷に住んでいたセイラ(背のたかい少女)とジョージの幽霊の会話です。
 その時代に生きている人からみれば、未来からきた人間も一種の幽霊、というわけです。けれども、やはり法則はあって、今の人は過去に戻れるけれど、(今も)生きている過去の人は現代に来ることはできない。

 「つまり、クレアだけが未来に、そう、この現在に来られたっていうことよ。だって彼女は死んでいるんですもの…クレアは現在生きていないんですもの。」
(「ある朝シャーロットは…」川口絋明訳)

 という言葉のように、クレアがもし現在生きていれば、60歳近いおばあさんのクレアとシャーロットと入れ替わった10代のクレアが同時に存在してしまうというタイムパラドックスが生まれてしまうのです。
 

 では、この<幽霊>たちはどのように時を越えたのでしょうか。

 性格や資質、孤独であったり病弱であったり、あるいは夢みがちな少年少女の身の上に起きることもあります。あるいは、まったくふってわいた好運(?)の時(F)もあります。魔法の薬を飲むこと(D)や、二人の状況が似ていて、日付も曜日もぴったりだったせい(E)のときもあります。
 けれども、一番大きな要因は場所の力でしょう。「児童文学−はじめの一歩」でも<館を軸として展開するファンタジー>という一章で、今回取り上げる本の多くを紹介していますが、まさにそのとおり。サッカーズ荘園とペネロピー(@)<しめっ地やしき>とアンナ(C)という組合せでなければ時の扉は開かなかったことでしょう。

 当然、次の疑問としてはなんのために<幽霊>は必要だったのか、ですね。いい換えると、どうしてこれらの作家は、この現代に幽霊というものを借りて児童文学を書こうとしたのか、です。

 それを考えるために、「トーマス・ケンプの幽霊」をもう一度読んでみたいと思います。

 物語は主人公ジェームズの一家が買った古い家からはじまります。壊れた小瓶から現代にとびだした17世紀のトーマス・ケンプの幽霊。生前魔術師だった彼は目に見える姿こそないものの、かってにジェームズ少年を徒弟に採用し、あたりかまわず開業のお知らせをだしたり、わからずやの現代人に正しいまじないの処方を教えたり、それを一顧だにしなかったからといって腹をたてて呪いをかけたり…。あちらこちらに古語で書き散らし大騒ぎ。
 ところがもはや幽霊など頭から信じていない現代人(ジェームズの両親・先生など)には全く通用せずみんなジェィムズのいたずらということになってしまいます。被害てきめんなのはジェームズです。嘘つきの汚名をかけられ、おやつを減らされるのですから。しかも、幽霊はふがいない徒弟に腹をたて、彼の部屋中をめちゃめちゃにしてしまいます。進退極まった彼は幽霊を退治するエクソシストとやらを探し始めます…。

 途中までは、こっけいな話だなと思いながらも、読んでいるうちに「なかなかいいじゃない」。そして、最後はしみじみとページを閉じるという具合いですっかり気にいってしまいました。ライブリィの翻訳はこれだけなのかしら。この小説のユニークさは幽霊物語の型どおりでないところです。
 友だちの半信半疑の気のない反応(普通この手の小説だと男の子たちは夢中になって幽霊退治しそうなものじゃない?)や、幽霊など必要としない両親の合理主義、手帳に<財政状態/食べもの/将来の計画>という見出しを作って毎日書き入れているジェームズ少年、などが本当ぽくてついおかしくなってしまうのですが、<しみじみ>のきわめつけは後半です。
 ジェームズは、やはりケンプの幽霊に悩まされた 100年前の住人たちの日記を発見します。日記にでてくる腕白坊主アーノルド少年と、空想の友だちごっこで一喜一憂した日々のあと、彼は、学校の物置でしかつめらしい紳士となったアーノルド・ラケット氏の肖像画と出会い思わずある言葉が口をつきます。

 「人間って幾重にも層があるんだなあって、玉ねぎみたいに」

 この小説の醍醐味はこの一言です! ちょっと長い引用になりますが、あとがきの著者の言葉を借りて説明させてもらいましょう。

 ………私はいろいろな場所というものを作り上げている記憶の層について考えるのです。
 この本は、今の世の中に生きている男の子が、17世紀の魔術師のポルターガイストと関わり合うはめになったらどういうことになるかというおもしろおかしい話なのですが、しかしそれだけではなく、記憶の持つ意味−つまり場所と言うのは今存在しているだけではなく、昔から今までずっと存在してたのだということ。そしてさらに大事なことは、人間もまた同じように時の積み重なりによってできているのだということ、つまり、おばあさんは同時にかつての子どもであり、子どもはいつかなる大人なのだということに気付き始めたこどものことを書いた物語でもあるのです。 
(田中明子訳)

 子どもが時間の<玉ねぎ性>に気が付くとき、その子はもはやわけのわからない社会の中にぽーんと放り出されたよるべない一人ぼっちではありません。大人は昔から大人だったのではなく、かつてはわんぱくをしたり、はにかんだり、親に叱られたりした子どもだったんだ! と真に気付くことはなんと驚くべき発見でしょう。あとがきにも書かれているようにそれは<成人への第一歩です>。
 

 他の幽霊物語を見てみましょう。

  7歳にしてビルマからイギリスの片田舎グリーン・ノウまで、まだ見ぬ大おばあさんをたずねてくるトーリー。(@)
 両親と祖母を相次いでなくし、孤児院から引き取ってくれた<おばちゃん>も評議委員会からお金をもらっていることに気付いてしまったアンナ。(C)
 幽霊物語のほとんどのヒロイン・ヒーローたちがいかによるべない身であるか、心を閉ざしているか、あるいは一時的にでも疎外感を味わっているか…。<幽霊>と出会うことによって、彼らは再生します。(再生という言葉がおおげさかなと感じられる作品もあったりしますが…。まぁ、その場合は、人生のより深い姿を知る、とでも読みかえて下さい)

 これらの幽霊物語は、主人公が(実は)過去の幽霊の血縁者であった、という謎解きの形をとることが多いのですが、これは単なる因縁話のレベルにとどまらず、孤独な主人公にとって、自分が過去の時間の流れとつながっていることを実感することは、つまり幽霊の血縁であることは不可欠なのです。そして、そういった古い記憶がゆっくりとつもり、時間が緩やかに流れている<館>こそが、出会いの場となるのでしょう。

 一連の幽霊騒動の後、ジエームズは夕暮れの道を家に向かって歩いています。そして、「トーマス・ケンプの幽霊」はこのように結ばれるのです。

 ………時は後ろにも前にもつづいています。さかのぼれば、十字軍の騎士にゆきつき、トーマス・ケンプにゆきつき、ファニー伯母さんにゆきつき、アーノルドにゆきつきます。そして前方には、この同じ場所に名を残し、同じ通り、同じ屋根、同じ木々をちがった目で眺めるであろうべつの人たちにゆきつくのです。そしてそのどこか真中あたりに、ジェームズがいるのです。混乱した、でもこころよい思いに頭をいっぱいにし、おなかをすかせ、少し疲れてはいるものの、心みちたりて、お茶に間に合うように家路にむかうジェームズが。 (田中明子訳)
 

□ 時の旅人 アリスン・アトリー著 小野章訳 (評論社) 1980年
□ グリーン・ノウの子どもたち L.M.ボストン著 亀井俊介訳 (評論社) 1972年
□ 思い出のマーニー ジョーン・ロビンソン著 松野正子訳 (岩波少年文庫) 1980年
□ 幽霊 アントニア・バーバ著 倉本護訳 (評論社) 1986年
□ ある朝シャーロットは… P.ファーマー著 川口絋明訳 (篠崎書林) 1977年
□ トムは真夜中の庭で フィリパ・ピアス著 高杉一郎訳 (岩波書店) 1967年他
□ トーマス・ケンプの幽霊 P.ライブリィ著 田中明子訳 (評論社) 1986年
□ 新版児童文学−はじめの一歩 三宅興子他 世界思想社 1983年

 
 

 
▼前回「NS2000年7月25日号(復刊No.3)」まで
 
5月19日(金)
40.ニセコビュープラザ→57.くろまつない→20.よってけ!島牧→I弁慶岬灯台→14.いわない→35.オスコイ!かもえない→J神威岬灯台→K積丹岬灯台→49.スペース・アップルよいち→L日和山灯台
5月27日(土)
M石狩灯台→17.サンフラワー北竜→45.田園の里雨竜→58.たきかわ→26.ハウスヤルビ奈井江→1.三笠→60.つるぬま
6月4日(日)
37.マオイの丘公園→38.樹海ロード日高→3.南ふらの→2.スタープラザ芦別→56.うたしないチロルの湯
6月24日(土)
55.森と湖の里ほろかない→5.ぴふか→12.おといねっぷ→32.ピンネシリ→54.さるふつ公園→P宗谷岬灯台→O稚内灯台→8.富士見→N金比羅岬灯台→50.ほっと・はぼろ→27.おびら鰊番屋
7月8日(土)
7.望羊中山→33.フォーレスト276大滝→39.そうべつサムズ→47.みたら室蘭→Fチキウ岬灯台
7月15日(土)
21.てっくいランド大成→25.ルート229元和台→19.あっさぶ→6.江差→H鴎島灯台→34.上ノ国もんじゅ→42.横綱の里ふくしま→41.しりうち→59.なとわ・えさん→G恵山岬灯台→60.つどーる・プラザ・さわら→23.YOU・遊・もり
7月22日(土)
S美瑛デッカ局→48.とうま
 
 
 

 
 
速報!「道の駅」2000 第4回
 
 
新谷 保人
 

 スタンプ・ラリーは「基本的には日帰り」が大原則なのだが、あまり原則原則でやっていてもしょうがない。人生に潤いがない。職場も夏休みに入ることだし、ここらでルール破りの敢行です。
 実力的にはお判りですね…、別に「晩成温泉」に泊まらなくても、帰るつもりなら、いくらでも「おとふけ」や「しほろ」からその日の内に帰れるんですよ、私は。(と、負け惜しみ)

 

7月29日(土)
43.サラブレッドロード新冠→E静内灯台→18.みついし→D襟裳岬灯台→9.忠類→62.さらべつ→36.なかさつない→31.おとふけ→(晩成温泉)
7月30日(日)
(晩成温泉)→C十勝太ロラン→4.しらぬか恋問→30.阿寒丹頂の里→B釧路崎灯台→16.厚岸グルメパーク→11.摩周温泉→10.足寄湖→44.ピア21しほろ

 

 「晩成(ばんせい)温泉」は十勝沖の大樹(たいき)町というところにある海岸線の温泉です。海岸に沿って隣の町が豊頃町〜浦幌町〜音別町〜白糠町〜釧路市と続きますが、昔は、「道の駅」といっても「しらぬか恋問」くらいしかなく、羅臼(知床)方面へ行く時の一通加点にすぎなかったのですが、「灯台スタンプ」が加わった今年からは一躍「スタンプ街道」としてかなり強力ラインになってきました。いいことです。だからこそ!なんですが、泊まるところも、定説の「帯広」ナイトではなく、予想外の「晩成」が浮上してくる。これも、いいことですね。
 「晩成」の名は、やや北海道の歴史に詳しい人ならば誰でも知っている名前です。北海道への農業移民の最初の人たちが入植してきた土地がここです。明治十五年ですから、かなり遠い昔のメイフラワー号の人たち。
 それまでの北海道というのは、漁業だけが産業の「島」ですからね。(たとえば松前藩は江戸幕府に「米」ではなく「鮭・昆布」などの海産物で年貢を納めていた唯一の藩です。)開かれていた町も、例えば「函館」、例えば「根室」というように、海沿いにポツンポツンとつながって、それはそのまま「千島」や「カムチャッカ」や「樺太」の島々の港の連なりと何の区別もないわけです。そういう島々のひとつ…という認識であったろうと思います。後年、私たちが抱いている「広大な大地」といった北海道の「大陸」イメージは、じつは、この「晩成社」から始まった農業移民の入植とか、石炭の発掘などで、内陸へ内陸へ、上流へ上流へと人が入り込んでいった結果の近代イメージなんですね。

 その北海道の近代がまさに始まった第一歩がここなんだ…と、夜の海岸に立って感慨にふけっていたわけでは決してない。小樽から襟裳岬をキッチリまわって帯広までやってきた身には、晩成温泉のモール泉はあまりに心地よく、夕食のカツ丼はあまりに美味しく(北海道は豚肉が内地に比べて格段に美味しいのだが、ここ帯広・十勝の豚肉はその「北海道レベル」すら大幅に上回って美味しい!)、テレビの道内ニュースで「コンサドーレ」の浦和レッズ戦・勝利を確認するやいなや泥のように眠ってしまいました。地縛霊がどうのこうのとか考える暇もなく、次の日の朝の四時半まで眠りこけた。
 

 翌朝7時にスタート。「十勝太ロラン」へ。今回のドライブのいちばんのねらいは、じつは、この早朝の十勝沖、それも、海に近い幹線道路ではなく、海岸線の道路そのものを釧路・厚岸まで走ってみたい…というところにあったのです。その夢はかなった。じつに、じつに美しい朝ではあったよ。ほんとに、これだけは、ちょっと札幌の奴らには内緒にしておきたいところだな。

 「美瑛デッカ」「十勝太ロラン」の謎、解明。十勝太ロラン局の灯台守のおじさんに直接聞きました。「ロラン」は「Long Range Navigation」、長距離電波航法システムの略だったのです。伊豆七島の「新島」を主局とし、「十勝太」、沖縄の「慶佐次」、小笠原の「南鳥島」、韓国東岸の「浦項(ポーハン)」の4局を従局とした「北西太平洋チェーン」の中の1局とのことです。なかなか雄大なネットワークではありますね。
 「デッカ」というのは、「ロラン」の一昔前のシステムで、電波の送信距離が「ロラン」ほど長くないとのこと。昔は各地域にデッカ局があったけれど、現在はだんだん数が少なくなってきているのでした。北海道でも、もう「美瑛」の1局だけになっています。命名は、このシステムを開発した会社の名前に由来するわけで、たぶん私たちがレコード会社の名前として良く知っている(ストーンズやアニマルズのレコードを出していた)「デッカ」と同じ会社ですね。朝の8時に押しかけたのに、厭な顔ひとつせず、素人のこんな初歩的な質問にも丁寧に答えていただき、最後にはパンフレットまでいただいて、本当に感謝感激です。
 この朝の十勝太ロラン局には、もう一人、スタンパーのおじさん(おじいさん?身体がけっこう鍛えてる感じで若々しく見える…)が来ていて、帰り道、ロラン局の敷地入口までの1〜2kmをご一緒したのですが、話を聞いてビックリ!なんと、歩きで北海道一周をやっているんですって。昨日も、近くに泊まる適当なところがなかったので野宿した…とか、こともなげに言うのね。いやー、世の中には凄い人がいるもんだ。ほとんど松浦武四郎。
 こういう人たち、私の普段の生活範囲ではあまり見かけないタイプの人たちです。どうしても学校や会社社会の人たちとつきあう時間が多くなってしまうので、たまに、このような灯台守とか退役軍人風(と勝手に私が思いこんでいるだけかもしれないが…)の、なんて言うのかな、タフで孤独に強い人たちに出会うと、ちょっとだけ感動しますね。来年はオレも歩こうかな…、なんか、車に乗っているのがとてもマヌケに思えた日でもありました。

 
 

 

■現在、フロント・ページから入る「過去の記事」部分を大幅に改訂中です。現在は、私の「紙の《Northern songs》」時代の文章が一部分、HPテストを兼ねて出ているだけですが、ネットワーク時代の仕事はとてもこんなものじゃない…、もっともっとさまざまな図書館人の英知が積み重なった規模の大きいものです。その一端だけでもなんとか予告紹介できる方法はないかと考え、この時期、季節的に合うものをいくつか復刻でアップしてみることにしました。

■10年の歳月を越えてのホームページ再デビューですけれど、そんなに古びてもいないでしょう。(言われなければ、今の、2000年の「文章」として読んだ人もいるのではないでしょうか?)かえって、こういう時代の今だからこそ、図書館なんかは率先して意識的に『グリーン・ノウ』や『マーニー』の話をしなければいけないのではないかとさえ感じます。これらの本、10年前には、ごく普通に町のどんな本屋にも置いてあったんですけどね。でも、もう今となっては、篠崎書林や評論社の児童書を地元の書店・古本屋で探すのはかなり大変な作業じゃないかなぁ。もはや図書館しかない…といった状態です。

■冷静に考えてみれば、私たちは、なにもかも図書館や書店の検索システムを通じて「自分の一冊」を選びとるわけではありません。図書館でいつも見かける人がなんかカッコいい本を手に持っていたり、好きだった女の子が読んでいた本を古本屋で偶然見つけたり、深夜のラジオでアイドルが今読んでいる本の話をしたり、部室に誰かが置き忘れていった本を拾ったり、そんな、一見ぐちゃぐちゃの、意味のなさそうな経路を通じて、でも、最後はちゃんと「自分の一冊」の本に選びとられているのではないでしょうか。

■もうじき21世紀を迎える図書館世界なんだから、検索システムやもろもろの機械化なんて、できて当然だ…と私は思っています。(今頃、そんなことを自慢している図書館はかなり頭が悪いとさえ思う) 自慢するほどのことじゃない。黙って実行すればいいだけ。でも、私は心配なのですが、最近、なにか、「検索システム」みたいなIT(笑)技術の完成をもって、その図書館がもっている「図書館の存在意義」までが完了したかのような風潮ってないでしょうか? 「全国を結ぶ高速情報ネットワーク」とか…言葉は気宇壮大でカッコいいけれどね、なにか言ってることが怪しい。そこに至るまでに、けっこういろんなものを切り捨てたりサボったりしてきているんじゃないだろうか。

■ネットワークを生きている時(今もそうですが)、私たちも人並みに「情報ネットワーク」化を志向して来ましたけれど、それが全力だったわけではない。現実の労働力の半分は、必ず自分たちで運転する「連絡車」に時間を割くようなバランス感覚があったと思う。また、そういう具体的な手応えがネットワークをやっている楽しさでもあったのです。(後年、スタンプ・ラリーにのめり込むような今の私の姿は、なにか、北海道で今「連絡車」ができないが故のストレスの産物かもしれません。) そして、理念としての「図書館ネットワーク」では、力の半分は、いつもこういう本の話をすることに時間を使い続けてきたわけです。そういう姿勢が吉と出るか凶と出るか…、徒労だったのかどうか…については今は言いようがない。いつか時間が証明してくれるでしょう。けれど、なんとなくですが「ネットワーク」の王道を歩んでいるような変な自信はありますね。HPといった表現手段に慣れてくるにつれ、ネットワークを生きる楽しさみたいなものも次第にまた正体を現して来るのではないでしょうか。<新谷>