Northern songs
 
2000年7月25日号 (復刊No.3)
 
わが家の猫、しーちゃんです…ちょうど7月で1歳

 
 
Was it a cat I saw ?
 
大島 多美子
 

 わが家に猫がやってきて、もう1年たちました。「ネコ踏んじゃった」事件。ハイベッド墜落事件。ローズマリー壊滅事件、と、あっという間の1年でした。フキの茂みのかたわらにいた、手のひらにのるほどの赤ちゃんネコも、今では3kg。悠然とボディを伸ばして寝ている姿には、オバサンの風格さえただよいます。
 ネコって見飽きないですね。全力で駆け抜けたかと思うと、次の瞬間にはごろ寝。リズミカルに動くひもを見ると、構えの姿勢でお尻をふりふり。追えば逃げるのに、物音も立てずに足元にすりよって甘えのポーズ。くるくると表情の変わる瞳。
 無邪気なまん丸い瞳で見つめているのも、愛嬌を振りまいているわけじゃないし、縦にぴんと張った糸の目を向けられても悪意があるわけじゃない………んでしょう、たぶん。

 街を歩いているとあちこちのネコが気になるように、本を読んでいてもネコ関係のコトバが目に飛び込んで来ます。たとえば、あのポーズ、ネコが四肢を折り畳んだ正座状態で、部屋の隅にじっと座り込んでいる姿勢です。わが家では「ボックス状態」とか「スフィンクスになってる」などといっていましたが、先日読んだ時代小説に「猫が香箱になって…」というフレーズがありました。なるほどねー。
 それから、「猫松」。わかりますか? 群ようこのエッセイなんですが、「腹這いになった猫を後ろから見ると、中央に胴体の大きな山、左右に足の部分が盛り上がり、まるで松のようにみえるから」だそうです。なるほどねー。

 さらにネコウォッチングの本が読みたくなります。
 加藤由子の『雨の日のネコはとことん眠い』。ネコのしぐさや行動の意味を、自分の周りのネコを観察しつつ、あれこれと考えている………といった感じ。年期の入った愛猫家の観察や実験は、なかなか面白いです。ネコとの暮らし方案内、というところかな。

 日高敏隆の『ネコたちをめぐる世界』は、動物行動学者ならではの異色の味わい。たとえば「ネコを飼う」とは、どういうことなのでしょうか。ネコと暮らす、のが加藤由子流であるなら、「ネコのなわばりの中にぼくらが住まわせてもらうこと」なのだと語るのが日高敏隆の考え方です。
 新調した布団を、あっという間に尿や糞でぐしょぐしょにされても、びっくりしたあとは、なるほどなわばりの中の異物に不安を感じてマ−キングしたのか、と納得する飼い主。雄ネコのテリトリ−争いを、(家中、騒音と悲鳴と悪臭だらけにされつつも)わが家のネコに味方して野良ネコを追い払うでもなく観察している飼い主。
 同じ頃、読んだのは工藤久代の『ワルシャワ猫物語』。ことばも通じない異国で、彼女とポーランド社会をつなぐ糸口になったのは、初代の愛猫チャルをはじめとした何匹ものネコたちでした。
 ある時代の社会主義国滞在記であり、また、「猫物語」でもありますが、もうひとつ興味深いのは、(おそらく本人も気づかないでしょうが)著者の品の良さと、それゆえのポーランド庶民とのギャップが、行間に滲みだしているところでしょう。
 『…めぐる世界』も『ワルシャワ…』も、ネコの出産にたちあった飼い主のエピソードがでてきます。同じことを体験しても、この二人の見ているもの、思うことはかなり違うんですね。それぞれのつちかってきたものがあらわれてしまいます。たぶん、ネコを語ることは自分(飼い主)を語ることなのでしょう。私たちはネコの瞳の中に、自分が見たいものを見るのです。

さて、私は、ネコと公園ごっこです。公園で幼児が遊び、母親がベンチでみているでしょ。あれです。うちのネコが庭から道路に出ないように、隣の庭に忍び込まないようにさりげなさをよそおいつつ見張っています。(ネコのおかげで、今年は庭の雑草が少ない)

 当分、日高センセイのようには達観できないことでしょう。

 
 

 
 
▼前回「NS2000年7月15日号(復刊No.2)」まで
 
5月19日(金)
40.ニセコビュープラザ→57.くろまつない→20.よってけ!島牧→I弁慶岬灯台→14.いわない→35.オスコイ!かもえない→J神威岬灯台→K積丹岬灯台→49.スペース・アップルよいち→L日和山灯台
5月27日(土)
M石狩灯台→17.サンフラワー北竜→45.田園の里雨竜→58.たきかわ→26.ハウスヤルビ奈井江→1.三笠→60.つるぬま
6月4日(日)
37.マオイの丘公園→38.樹海ロード日高→3.南ふらの→2.スタープラザ芦別→56.うたしないチロルの湯
6月24日(土)
55.森と湖の里ほろかない→5.ぴふか→12.おといねっぷ→32.ピンネシリ→54.さるふつ公園→P宗谷岬灯台→O稚内灯台→8.富士見→N金比羅岬灯台→50.ほっと・はぼろ→27.おびら鰊番屋
7月8日(土)
7.望羊中山→33.フォーレスト276大滝→39.そうべつサムズ→47.みたら室蘭→Fチキウ岬灯台
7月15日(土)
21.てっくいランド大成→25.ルート229元和台→19.あっさぶ→6.江差→H鴎島灯台→34.上ノ国もんじゅ→42.横綱の里ふくしま→41.しりうち→59.なとわ・えさん→G恵山岬灯台→60.つどーる・プラザ・さわら→23.YOU・遊・もり
 
 
 

 
 
速報!「道の駅」2000 第3回
 
新谷 保人
 

7月22日(土)  S美瑛デッカ局→48「とうま」

 札幌の実家に用事があったので、午後からの時間を利用して、かねてより謎の「美瑛デッカ」に行ってみることにしました。「とうま」は、さらに、そのまたついでというか、夏のお客様用に「当麻鍾乳洞」の詳しいパンフレットが必要だったので足を延ばしたものです。

 「美瑛デッカ」の何が謎なのか? それは、その名前なんですね。今回の「灯台」エントリーでは、20灯台の内、「美瑛デッカ」と「十勝太ロラン」の二つが、何というか「灯台」型の灯台でない、「ポール」のように上に伸びた形の灯台として入っているのですが。どうして「ポール」型の灯台だけは「デッカ」とか「ロラン」とかカッコイイ名前が付くのでしょうか。こういう形のポール、いろいろな場所で見かけますよね。あれが「灯台」なのかどうか知らないけれど、あれも内陸部の「灯台」なのだとしたら、やっぱりあれにも、「江別ミッシェル」とか「名寄オデオン」とか、そんな名前が付いているのかな。それとも「デッカ」とか「ロラン」というのは、灯台の機能の名前なのかな?「デッカ」系列の富良野局、士幌局、足寄局とか… 謎です。
 美瑛デッカ局に行ったら、職員の人に必ず聞こうと思っていたのですけれど、見事肩すかし。入り口にスタンプ入れた木箱が置いてあるだけで、誰もいませんでした。残念。時あたかもラベンダーの最盛期。美瑛・富良野は観光客でごったがえしていました。絵葉書そのものの風景の中で、何とかの丘だとか、何とかの木だとか、何とかアイスだとか、ああ、うっとおしいなぁ…と思いながら、旭川方面へさっさと逃げました。

 
 

 
2000年7月25日号 あとがき

■コンサドーレ札幌、破竹の15連勝! 29日の対浦和レッズ戦にも勝って(たぶんエメルソン抜きで「3−0」くらいで勝つでしょう)、さらに16連勝! 29日の試合に負けてようやくレッズは気がつくのではないですか。来年もJ2だ…ということに。今年の岡ちゃんは使っている算数が明らかにちがう。真に「試される大地」の名に値するのは、この人だけじゃないかなぁ。

■がんばろう!という標語を募集し、東京向けにきれいなポスター作ったら、あと何も思いつかない…というのが道庁の役人です。内地の人が本気で勝ちをとりに行った時の、あの手堅さや泥臭さって、ちょっと北海道の人にはない感覚ですね。

■岡ちゃん、「サッポロビール」のテレビCMにナレーションで出演しているのですけれど、ほのぼのしてて最高。「白い恋人」の「村田さん…」も好きですけれど、やっぱり、このCMが、手堅く、けれど汗臭くなく行かなければならない、今年2000年という年を象徴するベストかな。2000年の日々をなんとなく生きた人間には、たぶん21世紀は来ないでしょうね。来年もJ2よ。<新谷>