五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治41年日誌 (1908年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治41.4.20-24
最後の函館
 
 車中の一夜はオシャマンベ駅で明けて、四月二十日の日は噴火湾から上つた。午前八時四十分函館着。郁雨兄に迎へられて同家に入る。横山城東来る。午后鈴木方(栄町二三二)の二階の新居に移る。米から味噌から、凡てこれ宮崎家の世話。吉野君来る。
 
 二十一日。風烈しく砂塵硝煙の如し。岩崎君朝来て郁兄と共に夜九時迄語る。夜に入りて雨。大嶋兄へ手紙書く。
 
 二十二日。一日雨。岩崎兄の母堂来る。
 
 二十三日。明後日出帆の横浜行三河丸で上京と決す。郁兄と共に岩崎君を誘うて一日語る。夕刻吉野君も来て、四人でビールを抜いて大に酔ひ、大に語る。これが最後の一夜。
 
 二十四日。午前切符を買ひ、(3.50)大硯君を公友会本部に訪ふ。郁雨白村二君と共に豚汁をつついて晩餐。夜九時二君に送られて三河丸に乗込んだ。郁兄から十円。
 舷窓よりなつかしき函館の燈火を眺めて涙おのづから下る。
 老母と妻と子と函館に帰つた! 友の厚ぎ情は謝するに辞もない。自分が新たに築くべき創作的生活には希望がある。否、これ以外に自分の前途何事も無い! そして唯涙が下る。唯々涙が下る。噫、所詮自分、石川啄木は、如何に此世に処すべきかを知らぬのだ。
 犬コロの如く丸くなって三等室に寝た!
 
 

 
明治41年4月20日〜24日
最後の函館、そして、最後の北海道
 
 自分は直ぐ決心した。“函館へ行かう。”“さうだ、函館へ行かう。” (4月2日)
 
 犬コロの如く丸くなって三等室に寝た! (4月24日)
 
 慌ただしい四月。終ってみれば、長かったのか、短かったのか…もうよくはわからない「北海道」ではあった。雪がとけた野原の黒土にふきのとうやエゾエンゴサクが顔を見せると、つらかった吹雪の夜のことを忘れてしまう。つい忘れて、また一年を生きてしまう。
 
四月はいちばん酷(むご)い月、不毛の地から
リラを花咲かせ、追憶と
欲情をつきまぜて、春雨で
無感覚な根をふるい立たせる。    (T.S.エリオット「荒地」,鮎川信夫訳)
 
 
 
 『北海の三都』の(二)です。「明治四十一年五月六日」に啄木があえてこの一文を起稿したのは、たぶん、心の中で「北海道一周年」を期す意味があったからではないでしょうか。ちょうど一年前の明治40年5月5日、啄木は函館の地に足を踏み入れたのでした。あの日から一年が経った…東京の片隅にひっそりと残った「北海道」。
 

 
 
北海の三都 (二)
 
石川 啄木
 
 北海道とは果して甚麼(どんな)所であらうか。
 誰か北海道から帰つてくると、内地の人は必ず先づ熊とアイヌの話を聞く。聞くのは可(よ)いが、聞かれる方では大抵返事に窮する。何故と云えば、如何に北海道でも、殊に今日に於ては、さう熊が出て来て大道に昼寝をする様な事は無い。熊が出ると云つても、それはズット山中の村の話。それすら年に一度ある事もあれば無い事もある。されば北海道から帰つた人でも、千人中の九百九十九人、否(いな)万人中の九千九百九十九人迄は、熊を見ぬ人である。此等の人が若し質問者の声に応じて二度も三度も熊に出会つた話でもしようものなら、それは大抵人から聞いた五年も十年も以前(まえ)の話の取次である。
 アイヌにしても然(さ)うだ。旅行家とか、さもなくば特別の便宜ある土地に居た人でなければ、随分北海道に永く住んで居ても、アイヌを知らぬ人が多い。偶(たま)にあるとしても、道で遭遇(でつくは)したとか、汽車が過る時停車場に居たのを見た位なもの。地図には蝦夷島(えぞたう)と書いてあつても、さう行く人の数がアイヌと隣同志になつて熊祭の御馳走に招待される訳ではない。
 それから又、北海道には到る所に金が転がつて居て、誰に構はず人の拾ふに委してあるかの様に、内地の人は思つて居た。(今でもさう考へる人が大分ある。)そして一度津軽海峡さへ渡れば、何かしら職業の口があつて、何職業によらず内地に比して滅法高い報酬が得られるかの様に考へて居る。目を開いてさへ居れば毎日一攫千金の機会に邂逅(めぐりあ)ふ様に考へて居る。そして又、若し北海道に行つて金を貯める事が出来ぬとすれば、それは金が沢山取れると共に気が大きくなつて、取つただけを惜しまず費(つか)つて了ふからだと考へて居る。
 これは、若し今から十年も以前(まへ)だつたら或は事実であつたかも知れぬ。否、確かに事実であつたさうな。然し、若し今日に於て猶(なほ)此の様な想像を持つて行かうものなら、それこそ直ぐに華厳(けごん)か浅間へ駆けつけたくなるか、でなければ北海道特有の、悲惨(みじめ)な、目的なき生活をする一種の浮浪人堕して了ふ。
 そんなら北海道とは果して甚麼(どんな)所であらうか。今日に於ては既に内地と殆んど同様の程度まで社会状態が進歩して来てるのだらうか。曰く、否。成程、函館小樽札幌、此北海道の三都は、或点に於て内地の都府と比肩して遜色なきのみならず、却(かへ)つて優つて居るかも知れぬ。けれども、北海道は矢張北海道である。飽く迄も内地と違つた、特有の趣味を保つて居る。諸国の人が競ふて入込むに従つて、雑然として調和の無い中にも、猶(なほ)一道の殖民的な自由の精神と新開地的趣味、乃ち北海道的色彩が溢れて居る。
 熊を見たい人は動物園に行くべしである。アイヌの話はアイヌ学者の方が詳しく知つて居る筈だ。自分は今北海三都の比較を中心にして、此北海道的色彩の、輪郭だけでも読者諸君に伝へようと思ふ。(未完)
(明治四十一年五月六日起稿)
 
 
  底本:石川啄木全集 第4巻
  筑摩書房 1967年9月30日初版
  入力:新谷保人
  2004年4月20日公開
 
 
(この一年間のご愛読に感謝いたします/新谷)

 
 
この一年間の連載に、新たに書き下ろし「ミサホ(東京/明治41年5月)」を加えました。
 
 
予約受付中!
受付期間2004年4月28日(水)まで

昨年来、「おたるの図書館」ホームページ上で発表してまいりました「今日の啄木」を一冊の本にまとめます。価格は780円(送料とも)。予約部数のみの制作です。主な内容は、

明治四十年丁未歳日誌 石川啄木著 (5月〜12月原文)
明治41年日誌 石川啄木著 (1月〜4月原文)
明治40年・函館大火 (函館/明治40年5月5日〜9月13日)
北門新報社 (札幌/明治40年9月14日〜9月27日)
小樽と樺太 (小樽/明治40年10月13日〜10月31日)
忘れがたき人人・1 (函館〜小樽/明治40年5月〜7月/11月)
小樽日報と予 (小樽/明治40年12月11日〜明治41年1月3日)
東十六条 (札幌〜小樽/明治40年9月〜10月)
浪淘沙 (小樽〜釧路/明治41年1月19日〜2月2日)
啄木とかるた <4月号予定> (釧路/明治41年2月7日〜)
忘れがたき人人・2 <4月号予定> (小樽〜釧路/明治41年1月〜)
ミサホ 小説家・啄木 <書き下ろし予定> (東京/明治41年5月)

 
 

 
絵はがき通信 啄木転々
石川啄木、明治40年北海道放浪の一年間を
毎月の絵はがき通信に載せてお送りします。
啄木、22歳。瑞々しい明治の青春。
 
HP連載の「今日の啄木」をベースにして、5月1日より、毎月1日発行。
申し訳ありませんが、ご希望の方は送料分をご負担ください。無料サンプル配布中。

 
啄木転々
「五月から始まる啄木カレンダー」改題
短歌篇 日記篇
 
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