五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治41年日誌 (1908年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治41.4.13-19
小樽の六日間
 
家族は小樽から函館へ
 十三日夕七時十分、郁雨兄から十五金を得て函館発。
 
 十四日朝八時小樽着。俥を走せて花園町畑十四星川方の我家に入る。感多少。京子が自由に歩き廻り、廻らぬ舌で物を云ふ。一時頃野口雨情君を開運町に訪ひ、共に散歩。明日立つて札幌にゆき、本月中に上京するとの事。夜、沢田来る。いくら努めても、合はぬ人とは矢張合はぬ。
 
 十五日。二葉亭の“平凡”鏡花の“草迷宮”読む。午后札幌より小国善平君来る。自分の代りに釧路に行くとの事。夜、藤田武治高田紅果二人来り、一時迄語る。
 
 十六日。晴、夕小国君と公園に散歩し、佐田君を訪ふ。奥村君と四人にて十二時迄語る。小樽日報が谷子やめ、山県との手きれて形勢頗る不穏との話をきく。
 
 十七日。郁雨兄より手紙。実際的常識の必要を説いてある。七円。其返事と、白村正二君へと、立花直太郎、釧路の上杉小南等へ手紙書く。夜、社会主義者塚原新人来る。
 
 十八日。小樽日報今日より休刊、実は廃刊。不思議なるかな、自分は日報の生れる時小樽に来て、今はしなくも其死ぬのをも見た。小国佐田奥村諸君来る。夜奥村再来、十二時快談。
 
 十九日。古道具屋を招いで雑品を売る。夜、図らずも本田荊南君来る。荷物の事奥村に置手紙で頼んで、八時十分、一家四人小樽駅から汽車に乗つた。切符は函館迄。
 
 

 
明治41年4月13日〜19日
小樽の六日間
 
 十八日。小樽日報今日より休刊、実は廃刊。不思議なるかな、自分は日報の生れる時小樽に来て、今はしなくも其死ぬのをも見た。
 
 ほんとうに、そうだなぁ… いろいろあったけれど、小樽や釧路の新聞は、結局、啄木の新聞として私たちの記憶に残った。そういうことです。
 
 釧路新聞主筆の日景が晩年に「こんなに啄木が有名になるとは思わなかった…」といったことを述懐しているのを読んだことがありますけれど。なんか、俗物は最後までもの悲しいなぁ…といった感想しかありませんね。
 
 同じ後日談でも、政界を引退して故郷に帰った小林寅吉が、郷里の自分の地所にひっそりと啄木の歌碑を建てた…という話の方が少しばかり心動かされます。
 
 
 今回と次回(最終回)に分けて、啄木の『北海の三都』を青空化してみます。明治41年5月6日に書かれた未完のエッセイ。離道直後の啄木の心境が窺われて大変興味深い。しかし、(一)は、内容的には、以前引用しました『初めて見たる小樽』とほぼ同じです。
 

 
 
北海の三都 (一)
 
石川 啄木
 
 新らしき声の最早響かずなつた時、人は其中から法則なるものを選み出すと或人が云つた。階級と云ひ習慣といふ一切の社会的法則の形成せられた時は、即ち其社会に最早新しい声の死んだ時、人が徒らに過去に心を残して、新らしい未来を忘るる時、保守と執着と老人とが夜の梟の如く跋扈して、一切の生命が其新らしい希望と活動とを抑制せられる時である。人性本然の向上的意力が斯くの如き休止の状態に陥る事愈々(いよいよ)深く愈々動かすべからずなつた時、人は此社会を称して文明の域に達したと云ふ。一史家が鉄の如き断案を下して「文明は保守的なり」と云つたのは、能く這般(しゃはん)の所謂文明を冷評し尽して、殆んど余地を残さぬ。
 叙上の如き状態が、若し真の文明と称せらるるものならば、凡ての人の誇りとする其文明なるものも、余り有難いものものではない。人は誰しも自由を欲するものである。服従と自己抑制とは時として人間の美徳ではあるけれども、人生を司配する事此自由に対する慾望許り強く且つ大なるは無い。謂つて見ようなら、人生を色々の糸で織り出して行くのが、全く此欲望のある為だ。人によつて強弱があり、大小があるが、此慾望は今迄史上に現はれた様な政治上又は経済上の束縛から個人の意志を解放せむとする許りでなく、自己自らの世界を自己自らの力によつて創造し、開拓し、司配せむとする。我自ら我が王たらむとし、我が一切の能力を我自ら使用せむとする。
 自由に対する慾望は、然し乍ら、既に煩多なる死法則を作り上げた保守的社会にあつては、常に蛇蝎(だかつ)の如く嫌はれ悪魔の如く恐れられる。何故なれば、幾十年若くは幾百年幾千年の因習的法則を以て個人の権能を束縛する社会に対して、我と我が天地を創造せむとする人は、勢ひ先づ奮闘の態度を余儀なくせられ、侵略の行動に出なければならぬのだ。階級と云ひ習慣と云ひ社会道徳と云ふ、我が作れる縄に縛られ、我が作れる狭き獄室に惰眠を貪る徒輩は、茲(ここ)に於て狼狽し、奮激し、有らむ限りの手段を以て、血眼になつて、我が勇敢なる侵略者を迫害する。四囲の抑制が漸く烈しくなるに従つて、自由の児は遂に社会に反逆し破壊せむとするの挙に出る。斯て人生は永劫の戦場だ。個人が社会と戦ひ、青年が老人と戦ひ、進取と自由が保守と執着に組みつき、新らしきものが旧きものと鎬(しのぎ)を削る。勝つ者が少くて、敗るるもののみ多い。
 茲(ここ)に於て精神界と物質界とを問はず、若き生命の活火を胸に燃やした無数の風雲児は相率ゐて無人の境に走り、我自らの新らしき歴史を我自らの力によつて建設せむとする。殖民的精神と新開地的趣味とは、斯て驚くべき勢力を人生に植ゑつけて居る。見よ、欧羅巴(ヨーロッパ)が暗黒時代(ダアクエージ)の深き眠りから醒めて以来、幾十万の勇敢なる風雲児が、如何に男らしき遠征を、亜米利加(アメリカ)、阿弗利加(アフリカ)、濠州及び我が亜細亜(アジヤ)の大部分に向つて試みたかを。又見よ、北の方なる蝦夷(えぞ)の島辺、即ちかの北海道が、如何に多数の風雲児を内地から吸収して、今日あるに至つたかを。
 北海道は、実に我々日本人の為に開かれた自由の国土であつた。劫初以来(ごうしょこのかた)人の足跡つかぬ白雲落日の山、千古斧入らぬ蓊鬱(おううつ)の大森林、広漠として露西亜(ロシヤ)の田園を偲ばしむる大原野、魚族群つて白く泡立つ無限の海、嗚呼此大陸的な未開の天地は、如何に雄心勃々たる天下の自由児を動かしたらう。独自一個の力を以て男子の業をなさむとする者、歴史を笠に着る多数者と戦つて満身創痍を被つた者、皆其住み慣れた先祖墳墓の地を捨てて、期せずして勇ましくも津軽の海の速潮(はやしほ)を乗り切つたものだ。
 
 
  底本:石川啄木全集 第4巻
  筑摩書房 1967年9月30日初版
  入力:新谷保人
  2004年4月20日公開
 

 
 (今、違星北斗の青空化も同時進行で行っているので、つい比較してしまうのですが…)違星北斗の方が、思想も柔軟で、かつ、自由に対する感覚も鋭いですね。啄木は、都会に戻ってひと月も経っていないのに、すでにただの都会の若造です。(戻った直後って、誰でもこんなもんかもしれないけれど…)
 
次回は「4月20日(最終回)」

 
 
この一年間の連載に、新たに書き下ろし「ミサホ(東京/明治41年5月)」を加えました。
 
 
予約受付中!
受付期間2004年4月28日(水)まで

昨年来、「おたるの図書館」ホームページ上で発表してまいりました「今日の啄木」を一冊の本にまとめます。価格は780円(送料とも)。予約部数のみの制作です。主な内容は、

明治四十年丁未歳日誌 石川啄木著 (5月〜12月原文)
明治41年日誌 石川啄木著 (1月〜4月原文)
明治40年・函館大火 (函館/明治40年5月5日〜9月13日)
北門新報社 (札幌/明治40年9月14日〜9月27日)
小樽と樺太 (小樽/明治40年10月13日〜10月31日)
忘れがたき人人・1 (函館〜小樽/明治40年5月〜7月/11月)
小樽日報と予 (小樽/明治40年12月11日〜明治41年1月3日)
東十六条 (札幌〜小樽/明治40年9月〜10月)
浪淘沙 (小樽〜釧路/明治41年1月19日〜2月2日)
啄木とかるた <4月号予定> (釧路/明治41年2月7日〜)
忘れがたき人人・2 <4月号予定> (小樽〜釧路/明治41年1月〜)
ミサホ 小説家・啄木 <書き下ろし予定> (東京/明治41年5月)

 
 

 
絵はがき通信 啄木転々
石川啄木、明治40年北海道放浪の一年間を
毎月の絵はがき通信に載せてお送りします。
啄木、22歳。瑞々しい明治の青春。
 
HP連載の「今日の啄木」をベースにして、5月1日より、毎月1日発行。
申し訳ありませんが、ご希望の方は送料分をご負担ください。無料サンプル配布中。

 
啄木転々
「五月から始まる啄木カレンダー」改題
短歌篇 日記篇
 
絵葉書 / 付:2003.5〜2004.4カレンダー
各12枚組 プラスチック・ケース(スタンド式)入り
400円(送料共) ※スワン社で取り扱っています