五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治41年日誌 (1908年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治41.4.2
さうだ、函館へ行かう
 
 4月2日
 朝、鎌田君から十五円来た。新聞を披いて出帆広告を見ると、安田扱ひの酒田川丸本日午後六時出帆――函館新潟行――とある。自分は直ぐ決心した。“函館へ行かう。”“さうだ、函館へ行かう。”
 安田船舶部へ手紙やつて船賃などを問合せる。宮古寄港で三円五十銭との事(二等)、奴へは今夕立つと知らした。俣野へも手紙。
 カバンには手紙、原稿、手記など。委細は横山に含めた。
 一時頃上杉君来る。遠からず上京したいと云ふ話。函館行を話すと、日景君へ知らして行く方がよいといふので、手紙をやる。家族に関する用と許り。
 四時少し前、奴から手紙が来た、愈々お別れかと書いてある。お餞別として五金、私の志を受けて呉れと書いてある。
 宿の主婦を呼んで、函館へ行つて来ると許り話して、四時十分、横山高橋の二人に送られて出る。途中、“今夜船にて釧路を去る”と云ふ電報を、節子其他へ打つ。
 安田の店へ行くと、出帆は明日の午前十時迄延びたと云ふ。二等の切符(三円七十五銭)買ふ。荷は店に預けて、三人そば屋にゆく。酒が美味かつた。今迄に無い程美味かつた。窓の下を古瀬君が通つた、小若も通つた、小新も通つた、小福も通つた。既にして市子とてるちやんが通るので、呼ぶと這入つて来た。一緒に蕎麦を喰ふ。暮れては艀が面倒だと、四人に送られて波止場へ行つたがモハヤ駄目、店が閉つて居て荷物が出せぬ。
 宿に帰るも不見識と、途で横山らに別れて、行くと、上杉日景佐藤の三子に逢ふ。丸本旅館に投じて一夜を明す事にする。
 紙と筆を買はして小奴へ此夜の感じを書く。女中をして届けしめる。
 此家に泊つて居る北東の菊池馬賊君へ、置手紙して行かうと思つて書いて居ると、同君が帰つて来た。本行寺に催された記者月例会の帰りである。飲まぬと大人しい男だ。十二時迄語る。
 異様な感情を抱いて眠る。
 
 4月3日 乗船
 今日は神武天皇祭だ。八時起きる。欄に倚つて見ると、家々の軒には日の丸の旗が翻がへつて居る。一天晴れて雲もないが、海は荒れて居る。幾千幾万の鯉の鱗を散らした様に、白い波が港内に起きつ伏しつして居る。
 飯を食ふ間に、菊池君が宮古の道又金吾といふ医者へ紹介状を書いて呉れる。十時波止場へ行く。遠藤君に逢つた。波が高い。十時半波止場に菊池君と手を分つて艀に乗つた。二三度波を冠つて酒田川丸に乗る。
 三百四十九噸二、汚ない船だ。二等室は第二後室、畳を布いて、半円形に腰掛がある。窓が左右二つ宛、左舷の窓の下の高い所に陣を取る。唯一人だ。
 石炭を積まぬから明日の出帆だと云ふ。船がゆれて、気持が悪い。飯だけは普通に食つたけれど、寝て居た。
 窓から陸を見る。何とも云へぬ異様な感情が胸に湧く。寒い。
 うつらうつらと一夜。
 
 4月4日
 起きて甲板に出る。気分がよい。風も無ければ彼もない。
 船員は皆大屈さうに遊んで居る。何時の出帆かと聞くと、今日は潮が無くて炭が積めぬと云ふ。
 支庁と警察が、坂の上に明瞭と見える。釧路座の屋根には、昨日の如く国旗が翻りて居る。魚菜市場の催しにかゝる慈善演劇があるのだ。
 無聊……然し乍ら頭は色んな考へに乱された。
 夕方、漸々石炭を積んだ艀が一隻来た。落日の光は、釧路の町を浮々と明らかに見せる。思出多き此海区を、忘れぬ様にすつかり見て置けといふやうに。
 夜、千鳥を聴く。
 
 4月5日 出航
 七時起床。荷役の人夫に頼んで、ハガキを三枚出す。石炭を積み了つて七時半抜錨。波なし。八時港外に出た。氷が少し許り。
 後には雄阿寒雌阿寒の両山、朝日に映えた雪の姿も長く忘られぬであらう。知人岬の燈台も、程なくして水平線上に没した。
 十一時半、十勝国大津港沖で、浪間に潮を吹く巨鯨を見る。一時頃から風、波が甲板を洗はむとする。夕刻漸く凪いで、襟裳岬の燈台が光り出した。船も燈火を提げた。此処から船は真直らに宮古港をさすのである。
 ケーシングの上で暖をとり乍ら、水夫らと話して見る。燈台の話などが興を引いた。賄方の不平談も面白い。夜、当直室で老船長や機関長と十時過まで語る。陸奥丸事件では、老船長頻りに郵船会社の亡状を憤りて居た。海賊の話。船を盗む話。樺太の話。
 自分は少しも船に酔はぬ。食慾が進んで食事の時間が待たるる。海上生活の面白さ。
 然し、海上に生活して居る人は、皆一様に陸上の人を羨んで居る。
 
 4月6日 宮古港入港
 起きて見れば、雨が波のしぶきと共に甲板を洗うて居る。灰色の濃霧が眼界を閉ちて、海は灰色の波を挙げて居る。船は灰色の波にもまれて、木の葉の如く太平洋の中に漂うて居る。
 十時頃瓦斯が晴れた。午后二時十分宮古港に入る。すぐ上陸して入浴、梅の蕾を見て驚く。梅許りではない、四方の山に松や杉、これは北海道で見られぬ景色だ。菊池君の手紙を先きに届けて置いて道又金吾氏(医師)を訪ふ。御馳走になつたり、富田先生の消息を聞いたりして夕刻辞す。街は古風な、沈んだ、黴の生えた様〔な〕空気に充ちて、料理屋と遊女屋が軒を並べて居る。街上を行くものは大抵白粉を厚く塗つた抜衣紋の女である。鎮痛膏を顳?に貼つた女の家でウドンを喰ふ。唯二間だけの隣の一間では、十一許りの女の児が三味線を習つて居た。芸者にするかと間へば、“何になりやんすだかす。”
 夜九時抜錨。同室の練取の親方の気焔を聞く。
 
 4月7日 (函館)到着
 風強く、波が高い。船は可成海岸に沿うて北に進んで、尻矢岬の燈台から斜めに津軽海峡の早潮を乗切つた。宮古から恰度一昼夜で、午后九時二十分函館に着いた。背後から大森浜の火光を見て、四十分過ぎて臥牛山を一週。桟橋近く錨を投じた。あはれ火災後初めての函館。なつかしいなつかしい函館。山の上の町に燈火の少ないのは、まだ家の立ち揃はぬ為であらう。
 昨年五月五日此処に上陸して以来将に一週年。自分は北海道を一週して来たのだ。無量の感慨を抱いて上陸。俥に賃して東浜町に斎藤大硯君を誘うたが留守。青柳町に走らして、岩崎君宅に泊る。何といふ事もない異様の感情が胸に迫つて、寝られぬ。枕を並べた友も、怎やら寝られぬ気であつた。
 
 4月8日
 吉野君が朝早く来てくれた。鼻の下に、あるか無いかの髯を蓄へて居る。
 岩崎君、今日は仮病して郵便局を休む。午前、相携へて公園を散歩する。目に触るるもの何れか思出の種ならぬはない。午后、旭町に宮崎君を訪ふ。相見て暫し語なし。
 夜、吉野君が宿直なので、東川小学校の宿直室で四人で飲む。
 宮崎君と寝る。
 ああ、友の情
 
 

 
明治41年4月2日
さうだ、函館へ行かう
 
 啄木のバイオリズムでいうと、「財布に五厘銅貨が2枚」の3月31日あたりが釧路の下放曲線のどん底だったのでしょうか。ここまで絶不調に陥れば、後は、どうしたって何したって上へ(マシな方へ)向かって行くしかないだろう…といった印象を受けます。
 
 朝、鎌田君から十五円来た。新聞を披いて出帆広告を見ると、安田扱ひの酒田川丸本日午後六時出帆――函館新潟行――とある。自分は直ぐ決心した。“函館へ行かう。”“さうだ、函館へ行かう。” (4月2日)
 
 十五円あれば、宮崎郁雨のいる函館に行ける。宮崎郁雨にいくらか借りれば、その金額で次の動きが考えられるだろう。これはもはや思考とか決心といった類のことではなく、単純に身体がより光明の多い方の生活に動いて行く…ということではないですか。頭でいくら「死のう」と思っても、身体が生きようとして必死にもがく姿に似ている。
 ま、動き出してしまったものは、もう止められない。でも、身体が少しでも「暖かい」「明るい」方向に移動して行くにつれて、頭が抱えていた問題が少しずつ少しずつ曖昧化して行くようにも見えますが…
 
 
 昨年五月五日此処に上陸して以来将に一週年。自分は北海道を一週して来たのだ。無量の感慨を抱いて上陸。俥に賃して東浜町に斎藤大硯君を誘うたが留守。青柳町に走らして、岩崎君宅に泊る。何といふ事もない異様の感情が胸に迫つて、寝られぬ。枕を並べた友も、怎やら寝られぬ気であつた。 (4月7日)
 
 吉野君が朝早く来てくれた。鼻の下に、あるか無いかの髯を蓄へて居る。
 岩崎君、今日は仮病して郵便局を休む。午前、相携へて公園を散歩する。目に触るるもの何れか思出の種ならぬはない。午后、旭町に宮崎君を訪ふ。相見て暫し語なし。
 夜、吉野君が宿直なので、東川小学校の宿直室で四人で飲む。
 宮崎君と寝る。
 ああ、友の情 (4月8日)
 
 8日の日記なんか、黙ってパッとここだけ見せられたら、昨年5月に函館に来た時の日記だと言われても信じてしまいそう。それくらい文章の調子が一時的に去年の函館時代に戻っている。(ちょっと暗く沈んだ感じがしないでもないが…)
 
 一昨年、日本に帰ってきた拉致被害者の人たちは、その後日本人としての言葉をどんどん取り戻して行きました。でも、私の心にいつまでも残っているのは、あの人たちが生還してきた直後の日々のことです。たしかに、あの人たちは、この2004年を生きる日本人の姿に戻る前に、一時的に時計の針を自分が拉致された二十何年前にまで戻していたように私には見受けられたのです。単純に2002年10月15日からこの2004年に来られたわけではない。どの人も、一度は拉致されたあの日にまで遡り、あの日から一週間を一年に数えるような猛スピードで2004年の現在へ帰ってきたような印象を受けたのです。
 
 啄木の4月8日の日記は、そんなことを思い出させます。ここはもう釧路ではない…という実感が啄木の身体の中でじわじわと動き出し始めます。
 
 そう、良くも悪くも、ここはもうすでに釧路ではない…
 
次回は「4月9日」

 
 
 
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受付期間2004年4月28日(水)まで

昨年来、「おたるの図書館」ホームページ上で発表してまいりました「今日の啄木」を一冊の本にまとめます。価格は780円(送料とも)。予約部数のみの制作です。主な内容は、

明治四十年丁未歳日誌 石川啄木著 (5月〜12月原文)
明治41年日誌 石川啄木著 (1月〜4月原文)
明治40年・函館大火 (函館/明治40年5月5日〜9月13日)
北門新報社 (札幌/明治40年9月14日〜9月27日)
小樽と樺太 (小樽/明治40年10月13日〜10月31日)
忘れがたき人人・1 (函館〜小樽/明治40年5月〜7月/11月)
小樽日報と予 (小樽/明治40年12月11日〜明治41年1月3日)
東十六条 (札幌〜小樽/明治40年9月〜10月)
浪淘沙 (小樽〜釧路/明治41年1月19日〜2月2日)
啄木とかるた <4月号予定> (釧路/明治41年2月7日〜)
忘れがたき人人・2 <4月号予定> (小樽〜釧路/明治41年1月〜)
かの蒼空に〜小説家・啄木 <書き下ろし予定> (東京/明治41年5月〜7月)

 
 

 
絵はがき通信 啄木転々
石川啄木、明治40年北海道放浪の一年間を
毎月の絵はがき通信に載せてお送りします。
啄木、22歳。瑞々しい明治の青春。
 
HP連載の「今日の啄木」をベースにして、5月1日より、毎月1日発行。
申し訳ありませんが、ご希望の方は送料分をご負担ください。無料サンプル配布中。

 
啄木転々
「五月から始まる啄木カレンダー」改題
短歌篇 日記篇
 
絵葉書 / 付:2003.5〜2004.4カレンダー
各12枚組 プラスチック・ケース(スタンド式)入り
400円(送料共) ※スワン社で取り扱っています