五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治41年日誌 (1908年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治41.3.28
五厘銅貨二枚の晦日
 
 3月29日
 今日は日曜日。目をさまして、此頃何日でも寝汗の出てるのが誠に厭な気持。起きて顔を洗ふたのが十一時。自分の下駄を穿いて出た横山の帰るを待つて、一時頃、約の如く奴を訪ねる。
 六畳間、衣桁やら箪笥やら茶棚やら長火鉢やら、小ヂソマリとした一室に、小机の上には、何日ぞや持つて来た梅川の薔薇の花が飾つてあつた。
 這入つた時は、ヒドク動悸がして居た。長く出歩かなかつた故か、それとも又病気の故か。ぽんたは留守、お稽古に打つたとの事。
 さし向つて、薬の様な名知らぬ酒を酌む。何と云ふ事はない変な気がする。生れてから初めての変な気だ。奴はいろいろと無邪気な事や身の上の悲しい話などをする。兄なる人の話もした。沢山の写真を出して見せた。そのうちから一枚、最も素人らしく撮れた奴の写真を貰ふた。
 何を考へるとも無い、唯恁う、自分の心臓の鼓動を数へて居る様な、打沈んだ心地であつた。時々奴の若々しい笑声に、驚いて顔をあげると云つた調子。自分では何を話したか、薩張解らぬ。恐らく何も話さずに、唯打沈んで居たつたらしい。
 四時頃。隣室にはぽんたの帰つた様子、低い声で義太夫を稔つて居る。その低い声がまた、自分の心を一層沈ませた。
 辞して出た時は、既に夕暮時であつた。泥深い路を、人々は寒さうに往来する。自分の脳には、依然打沈んだ調子が続いて居た。
 宿に帰つて、床にもぐり込んで、何をするでも無い、唯洋燈の火を見つめたまゝ、打沈んで半夜を過した。死といふ事が、怎やら左程困難な事ではない様な気がする。
 
 3月30日
 目をさましたのは九時頃だつたが、頭が鍋を冠つた様で、冷たい、冷たい室の中に唯一人取残された様な心地がする。女中の顔までが獣の様に見える。天井の隙から屋根の穴の見えるのが、運命と云ふ冷酷な奴が自分の寝相を覗いてる様だ。何とも云へぬ厭な心持である。
 十二時頃起きると日景君が這入つて来た。“顔色が悪い、医者に見せなくちや不可。”と云つて、すぐ向ひの笠井病院長へ手紙をやつた。“僕に対して何か不平があるなら、云つて呉れ玉へ。”と云ふ。“不平のあらう訳もないが、此電報に対しては大不平だ、人間を侮辱するにも程がある。”と云つて、社長からの電報を見せると、変な顔をして、何も云はなかった。自分も不遠編輯の方から手を抜いて、実業界に立つのだから、アト宜敷頼むと云ふ事、一日も早く全癒して出社して呉れと云ふ事、但し横山入社の件は絶対に不賛成だと云ふ事などを話して帰りて行く。
 二十分程して、石沢医学士が来た。“不平病なら僕の手では兎ても癒せぬですが、”と云つて聴診器をとる。神経衰弱だとの事で、種々其理由を尋ねたが、自分でば可笑くてたまらぬ程であつた。アトで薬を寄越すと云つて帰る。
 薬は、便通をつげる頓服と、例の臭没とか云ふやつ。嘗て一年余も口にしたので、単に睡眠薬にすぎぬ。フンと自分は腹の中。
 此日は朝からの雨。風さへ窓硝子を礑めかして、不愉快此上もない。
 夕刻、衣川が来て居る所へ、梅川が院長の命だと云つて熱をとりに来た。客があるからとて追ひ返してやる。八時頃また来た。験温器といふものが、若し自分にも信ずる事が出来るものなら、此夜の自分の体温は三十七度一分であつた。
 梅川は長尻の女である。自分も横山も、今夜は大分不機嫌な顔をして居たに不拘、早く寝なけれや病気に悪い悪い、と云ひ乍ら、遂々十二時迄居て打つた。自分は、何でも、盛んに医者を罵倒した様だつた。医者が増るから病気が増る。神武天皇が風邪を引いたことも、天照大御神が赤痢に罹つた事も、記録に載つて居ないと云つた。それから、露西亜に行きたいと云ふ事、トルストイの、“The Cossacks”にあつた少女マリアンナの事などを語つた。
 人々は知らぬらしい、自分との別れの、モハヤ目前に迫つてる事を。!!
 
 3月31日
 五厘銅貨二枚の晦日。
 
卯月 4月1日
 目をさまして寝て居ると、福嶋が来た。意志の極めて弱い、云ひ知れぬ愛嬌を目に湛えた、男振のよい二十五六の男で、金さへあれば米廓へ駆けつける。仙台生れのロール廻し、風船玉の様に世の中を渡つて歩く。喰逃位はするかも知れぬが、窃盗などは出来ぬ人柄。目的の無い生活と云ふ事が頭に浮んだ。目的の無い生活! 生存の理由も価値もない生存! そんなら死んで了へばよいのにと思ふが、…………
 今日は何とかして、金を拵へなければならぬ、と考へた。其次は、イヤ、何とかして東京に行かねばならぬ。…………
 坪仁子、乃ち小奴へ手紙書いて、横山君に行つて貰ふ。一時頃返事が来た。用件は駄目。
 横山と相談して、釧路病院長の俣野景吉君へ手紙、七八日迄に十五金貸すといふ返事。
 
 此日、早朝の一番汽車で、北東の小泉奇峯君、誰にも知らせずに帰京の途についた。送つたのは横山許り。
 人知れず小泉君が去つたと云ふ事は、異様の衝動を自分の胸に与へた。然うだ、異様の衝動とだけ書いて置かう。
 彼も亦、或は目的なき生活をして居る一人かも知れぬと考へた。朝も酒、夜も酒、酔うて居さへすれば万事足りる。誤つて釧路に来た彼は、遂に、さうだ、遂に、人知れず都に帰り去つた。都に帰つた彼は、矢張十五円二十円の下級記者! 噫、塵挨の中で一杯二杯の酒を唯一の趣味として、彼も亦何日か此世を終るであらうと思ふと、何かは知らぬ悲しい心地がする。目的の無き生活と云ふ事が、此夜また自分の頭に浮んだ。
 
 

 
明治41年3月29日
五厘銅貨二枚の晦日
 
 先に書いておいた方がフェアかと思いますので、まず「4月2日」日記を引用します。
 
 朝、鎌田君から十五円来た。新聞を披いて出帆広告を見ると、安田扱ひの酒田川丸本日午後六時出帆――函館新潟行――とある。自分は直ぐ決心した。“函館へ行かう。”“さうだ、函館へ行かう。” (4月2日)
 
 前日、啄木の財布には五厘銅貨が2枚あるだけ。そこへ、ようやく降ってきた「十五円」ですからね。たとえそれが小奴との手切れ金であったとしても、啄木に拒む理由はない。十五円あれば、東京は無理でも、函館までは行ける。
 
 安田船舶部へ手紙やつて船賃などを問合せる。宮古寄港で三円五十銭との事(二等)、 (4月2日)
 
 「鎌田君」というのは、啄木の下宿していた関荘に同宿していた鎌田ミです。根室銀行の社員で、以前「3月23日」の日記で、啄木を料亭丸コに引っ張り出して小奴から手を引くことを説得した人ですね。小奴と離れること。これは単に、丸コの女将や鎌田ミの義侠心とかそういう問題ではなく、いわば釧路という町が啄木に出した結論でした。鎌田ミの言葉の裏には、釧路新聞社の日景をはじめ、釧路の町を牛耳っている旦那衆すべての意向が隠れているのです。
 
 そんな「鎌田君」が都合してくれた「十五円」ではありました。
 
 十五円持って、とっとと釧路を出て行きな…ということです。
 
 
 今日は何とかして、金を拵へなければならぬ、と考へた。其次は、イヤ、何とかして東京に行かねばならぬ。 (4月1日)
 
 「函館」と、「東京」と、啄木は適当なことを言っていますが、結局、「4月1日」までの言動は啄木の妄想だと思いますね。結局、「十五円」という釧路が出した啄木の値段によって、次の啄木の動き方が決まったのだから。(情けない…)
 
 そんな、「4月1日」までの日記を読むのは、正直言って切ないです。
 
 十二時頃起きると日景君が這入つて来た。“顔色が悪い、医者に見せなくちや不可。”と云つて、すぐ向ひの笠井病院長へ手紙をやつた。“僕に対して何か不平があるなら、云つて呉れ玉へ。”と云ふ。“不平のあらう訳もないが、此電報に対しては大不平だ、人間を侮辱するにも程がある。”と云つて、社長からの電報を見せると、変な顔をして、何も云はなかった。自分も不遠編輯の方から手を抜いて、実業界に立つのだから、アト宜敷頼むと云ふ事、一日も早く全癒して出社して呉れと云ふ事、但し横山入社の件は絶対に不賛成だと云ふ事などを話して帰りて行く。 (3月30日)
 
 ほんとに腹立つなぁ…この俗物がぁ! もう絶対に釧路新聞社には戻れないように仕組んだ張本人が、つらっとして「一日も早く全癒して出社してくれたまえ」などと言う。「ただし横山君の入社は絶対にダメよ」と付け加えることも忘れない陰険さ。
 
 “不平病なら僕の手では兎ても癒せぬですが、” (3月30日)
 
 医者までグルになって啄木を笑う…
 
 なんて町だい…(啄木の言いぐさではないが)なんか私も「つくづくと、真につくづくと、釧路がイヤになった。噫。」 今日は申し訳ないが、これまでです。悲しくて、とてもやりきれない。
 
次回は「4月2日」

 
 
 
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昨年来、「おたるの図書館」ホームページ上で発表してまいりました「今日の啄木」を一冊の本にまとめます。価格は780円(送料とも)。予約部数のみの制作です。主な内容は、

明治四十年丁未歳日誌 石川啄木著 (5月〜12月原文)
明治41年日誌 石川啄木著 (1月〜4月原文)
明治40年・函館大火 (函館/明治40年5月5日〜9月13日)
北門新報社 (札幌/明治40年9月14日〜9月27日)
小樽と樺太 (小樽/明治40年10月13日〜10月31日)
忘れがたき人人・1 (函館〜小樽/明治40年5月〜7月/11月)
小樽日報と予 (小樽/明治40年12月11日〜明治41年1月3日)
東十六条 (札幌〜小樽/明治40年9月〜10月)
浪淘沙 (小樽〜釧路/明治41年1月19日〜2月2日)
啄木とかるた <4月号予定> (釧路/明治41年2月7日〜)
忘れがたき人人・2 <4月号予定> (小樽〜釧路/明治41年1月〜)
かの蒼空に〜小説家・啄木 <書き下ろし予定> (東京/明治41年5月〜7月)

 
 

 
絵はがき通信 啄木転々
石川啄木、明治40年北海道放浪の一年間を
毎月の絵はがき通信に載せてお送りします。
啄木、22歳。瑞々しい明治の青春。
 
HP連載の「今日の啄木」をベースにして、5月1日より、毎月1日発行。
申し訳ありませんが、ご希望の方は送料分をご負担ください。無料サンプル配布中。

 
啄木転々
「五月から始まる啄木カレンダー」改題
短歌篇 日記篇
 
絵葉書 / 付:2003.5〜2004.4カレンダー
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400円(送料共) ※スワン社で取り扱っています