五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治41年日誌 (1908年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治41.3.24
兎も角も自分と釧路とは調和せぬ
 
 3月24日
 新聞を見ると、昨日の編輯日誌に、自分の欠勤届が遅かつたので日景君が頬をふくらしたと書いてある。馬鹿奴。
 今日も一日床の上。
“明星”募集和歌の選を済して投函させる。別に与謝野氏へ長い手紙を認めた。釧路へ来て酒を飲み習つた事、歌妓小奴の事。胸の不平のありツたけを。
 二時頃、小奴から使が来て、今日来られぬ申訳。
 夕刻上杉君が来て、衣川が梅川事件で日景君に叱られた事、日景君が自分に対して不愉快で居る事など話す。九時頃帰つて行つた。
 
 3月25日
 今日も床上の人。
 石川啄木の性格と釧路、特に釧路新聞とは一致する事が出来ぬ。上に立つ者が下の者、年若い者を嫉むとは何事だ。語らぬ、語らぬ。新機械活字は雲海丸で昨日入港した。二週間の後には紙面が愈々拡張する。誰が其の総編輯を統率するか。頭の古い主筆に出来る事でない。さればと云つて自分にやらせる事も出来まい。否恁麼事は如何でもよい。兎も角も自分と釧路とは調和せぬ。啄木は釧路の新聞記者として余りに腕がある、筆が立つ、そして居て年が若くて男らしい。男らしい所が釧路的ならぬ第一の欠点だ。
 早晩啄木が釧路を去るべき機会が来るに違ひないと云ふ様な気が頻りに起る。
 夜、小泉君が来て語つた。踊は、足を見るべしと云ふ論を吐く。
 
 3月26日
 十二時頃、俗悪愚劣の人間古川薄水に起されて、三時までのお合子。頭が一層痛くなつた。日景君からの間者だと思つたから、妙な事許り云つてやつた。
 少し許り神経衰弱が起つたのらしい。立つと動悸がする。横になつてると胸が痛む。不愉快だ。立花直太郎から手紙が来た。
 夜、北東の奇漢子菊池武治君が来た。自分で手を打つて女中を呼んで、ビールを三本云附けた。横山君も来て飲む。既にして唐詩を吟じ出した。自分も吟じた。鷲南筆をとつて柳暗花明の詩をかく。
  柳暗花明楼又楼
  月島沈曲響愈幽
  艶姿二人倚欄立
  笑弄春風心暗愁
慷慨淋漓、九時頃帰る。
 世の中は色々だ。過去に生くる人、現在に生くる人、未来に生くる人。酒に生くる人もあり、理由なく生くる人もある。
 横に見た人生は未解決だ。涯が無い。波と波。――結論は虚無。
 
3月27日
 九時頃衣川に起された。真面目腐つた病気見舞。一時頃遠藤隆君が来て一時間半許り居て帰つた。夕刻上杉小南、衣川を伴ふて来る。晩餐を喰はして語る。京都の話、奈良の話、邪気のない話であつたが、明朝の新聞に小奴の事を日景君が書いたと云ふ。そんなに社の者の事を書いたりするなら、僕は何日でも釧路を去るサと云ふと、二人目を見合した。日景君の僕に対する意志は此二人の目に読まれる。
 鈴木の本屋から、予て頼んで置いたカルコ集(二葉亭訳)が来た。
 十一時、横山君をつれてそば屋へ行つた。帰りて一時枕につく。自分が釧路を去るべき機会は、意外に近よつて居る様な気がする。
 
 

 
明治41年3月24日
兎も角も自分と釧路とは調和せぬ
 
 早晩啄木が釧路を去るべき機会が来るに違ひないと云ふ様な気が頻りに起る。 (3月25日)
 
 もう、3月22日の日記のあたりからこんなことばっかり書き続けていて、いったい何が釧路を去る原因なんだかさっぱりわからない… わからんぞ、啄木!
 釧路新聞社からも代わる代わる様子を見に(折伏しに?)人が来ているみたいだけど、全然理由がわからんかったでしょうね。だって、当の啄木自身にだって、何がこんなに私を不快にさせるのか…あんまり掴めていないみたいだもの。
 
 
 ここから先は完全に私の邪推です。今まで書いてきた「釧路/今日の啄木」の、ない知恵を無理矢理かき集めて考えてみました。
 
 原因・その1=沢田信太郎の手紙
 
 釧路新聞社最後の出勤となった3月20日の夜に届いた手紙です。手紙の内容がどんなものであったのかは、現物が残っていない以上なんとも言えないところなのですが、おそらくは、釧路での啄木の生活や態度を諫める、かなり手厳しい内容であっただろうことは想像に難くありません。実際、沢田は2月に釧路に行った時に、夜通し芸者遊びをして朝帰りしてくる啄木の生活を目のあたりにしてもいますから、その筆鋒は(憶測や杞憂なんかではない)はっきりと正面から啄木を諫めるものであったと確信します。
 図星であるだけに啄木はぐうの音も出ない。「妻子の面倒はどうするんだ!」と書かれたら、啄木には「面倒を見る」と答えるほかに道はありません。けれど、啄木には、その「家族を釧路に呼ぶ」だけの器量も金ももはやないのでした。みんな芸者遊びや飲み食いに浪費してしまった後ではあったのです…
 
 野口雨情も『石川啄木と小奴』の中で、小奴の口をかりて
 石川さんが釧路へ来て間もなく、社(釧路新報社のこと)の遠藤決水さん達と一緒に逢つたのが、初めてで、それから始終石川さんとお逢ひしてゐましたが、初めの中は料理屋の勘定なども無理な工夫をして支払つてゐましたし、私も出来るだけお金の工面もしましたが、たうとう行きづまつて………
と書いているように、プロの女性と遊ぶにはけっこうなお金がかかるのです。小奴は都合のいいボランティアではありません。
 
 もう啄木としては、二進も三進も行かない状態に追い詰められた…ということではないでしょうか。函館〜札幌〜小樽〜釧路と危ない綱渡りを続けて来ましたが、もう釧路の先に啄木が食いつなげるような都会はないのでした。(明治のシティ・ボーイゆえ「樺太」という選択肢は啄木には似合わない…困ったもんだ) 「もう一度東京」というアイデアは、啄木の決心というよりは、単純に放蕩息子のみっともない帰宅に見えます。なるべく沢田の目につかないように小樽の家族とうまく話をつけて、一目散で東京へ舞い戻りたい一心でモヤモヤしていたのではないですか。
 
 
 原因・その2=梅川操の涙
 
 沢田の手紙にガーンと一撃をもらった翌日、今度は梅川操の一撃。もう一度、前々回の「3月21日」深夜1時に戻ります。会社のずる休みも次第に長期化するのでは…という様相を見せ始め、けれど夜遊びはやめられない啄木。酔っぱらって、小奴に手をとられながら12時ようやく下宿に戻ってきました。そのまま部屋で小奴といっしょにいると、1時頃、窓の下に“石川さん”と呼ぶ梅川操の声。啄木は小奴にうながされて梅川操を部屋に入れます。
 
 夜が闃として、人は皆鼾のモナカなのに、相対して語る四人の心々。鶏の声が遠近に響いて暁が刻々に近いて来る。遂に四時になつた。懐に右手を入れて考へ込んで居た梅川は、此時遂々“どうも晩くまで失礼しました”と云つて帰つて行つた。“私の方が勝つた”と奴は無邪気に云つて笑つた。“勝つ筈ですワ、お呪符を二つやりましたもの。”見れば、小さい箆甲の髪差を逆さにさして居て、モ一つは、蹴出しの端を結んで居た。これを以て客を帰す呪符だと、我が無邪気な妹は信じて居る−
 “私が勝つたんだから、これを貰つてつても好いでせう。
と奴は云つた。梅川が拵へて来た一輪の紅の薔薇の花は、かくて奴の物となつた。五分許りして奴も亦独り帰つて打つた。 (3月21日)
 
 ダッセーなぁ、石川くん! 要するに、お前は小奴のヒモじゃねぇか!
 
 …と、(ここの箇所に来るといつも)こう言ってやりたい衝動にかられます。文無しのくせに、酒が飲みたい遊びたいというだらしない根性。佐藤衣川となんら変わるところのない下半身。だから小奴から離れられない。芸者、職場のつまらぬ権力争い…、こうやってずるずると田舎名士の序列に組み込まれて行く。これじゃあ、まるで、『病院の窓』に出てくる「野村」そのものじゃないか!
 
 …と、(たぶん)私が言うまでもないのだ。翌日の朝(昼?)になれば、啄木自身が自分で気づくことではあります。根っこまでバカに成り下がっているわけじゃないから。たぶん、前夜、梅川操の前で見せてしまった自分の情けない姿を思い出すので、プライドの高い啄木はいてもたってもいられなくなるのです。つまり、「つくづくと、真につくづくと、釧路がイヤになつた」と。
 
 
 つまりは、啄木の「自己嫌悪」ね。ビョウキの名前は。
 
 ナヲセヌカ?
 
 目覚めると、前夜小奴とつるんでしまった「啄木」という人間を示す動かぬ証拠がひとつ。梅川が拵へて来た一輪の紅の薔薇がない! 小奴さんが「私の方が勝つた」と言って持って行ったとさ…
 
次回は「3月28日」

 
 
 
予約受付中!
受付期間2004年4月28日(水)まで

昨年来、「おたるの図書館」ホームページ上で発表してまいりました「今日の啄木」を一冊の本にまとめます。価格は780円(送料とも)。予約部数のみの制作です。主な内容は、

明治四十年丁未歳日誌 石川啄木著 (5月〜12月原文)
明治41年日誌 石川啄木著 (1月〜4月原文)
明治40年・函館大火 (函館/明治40年5月5日〜9月13日)
北門新報社 (札幌/明治40年9月14日〜9月27日)
小樽と樺太 (小樽/明治40年10月13日〜10月31日)
忘れがたき人人・1 (函館〜小樽/明治40年5月〜7月/11月)
小樽日報と予 (小樽/明治40年12月11日〜明治41年1月3日)
東十六条 (札幌〜小樽/明治40年9月〜10月)
浪淘沙 (小樽〜釧路/明治41年1月19日〜2月2日)
啄木とかるた <4月号予定> (釧路/明治41年2月7日〜)
忘れがたき人人・2 <4月号予定> (小樽〜釧路/明治41年1月〜)
かの蒼空に〜小説家・啄木 <書き下ろし予定> (東京/明治41年5月〜7月)

 
 

 
絵はがき通信 啄木転々
石川啄木、明治40年北海道放浪の一年間を
毎月の絵はがき通信に載せてお送りします。
啄木、22歳。瑞々しい明治の青春。
 
HP連載の「今日の啄木」をベースにして、5月1日より、毎月1日発行。
申し訳ありませんが、ご希望の方は送料分をご負担ください。無料サンプル配布中。

 
啄木転々
「五月から始まる啄木カレンダー」改題
短歌篇 日記篇
 
絵葉書 / 付:2003.5〜2004.4カレンダー
各12枚組 プラスチック・ケース(スタンド式)入り
400円(送料共) ※スワン社で取り扱っています