五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治41年日誌 (1908年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治41.3.20
弥生二十日、噫、今日だ、今日だ。
 
 3月20日
 弥生二十日、噫、(と目をさまして枕の上で考へた。)今日だ、今日だ。去年の恰度今日は、渋民小学校の卒業生送別会。“梅こそ咲かね風がほる弥生二十日の春の昼 若き心の歌声に 別れの蓆興たけぬ”と、自分の作つて与へた“別れ”の歌を、絹ちやんと文子と福田のえき子とが、堀田女史のオルガン、自分のヰオロンに合せて歌つた日。慶三が開会の辞を述べ、栄二郎が金矢氏に一杯喰はせ、自分受持の尋常二年から兼吉、浩一、と七人迄演壇に立つた日。噫、この弥生二十日、今日だ、今日だ。
 今頃、自分の弟や妹共は、何をしてるだらうと、なつかしい渋民の村校の職員室やら教場やらを目に浮べ乍ら、朝飯を喰つた。
 五時帰宿。程近い宿に小泉君を訪ふと、北東社に新たに入社した菊池君が居た。衣川も行つて居たが、すぐ帰つて了つた。
 菊池君は漢文にアテられた男である。正直で気概があつて、為に失敗をつづけて来た天下の浪士である。年将に四十、盛岡の生れで、怖ろしい許りの髯面、昔なら水溝伝中の人物、今なら馬賊と云つだ様た人物。イザと許り小泉君と二人を引張つて、鹿嶋屋に行つた。市子はお座敷、一寸来て金色夜叉事件の嫌味を並べて行つた。
 一時間許りして鶤寅に鞍替。女将の愛嬌は此家繁昌の原因だ焉。小泉君は程なくして酔うて帰つた。快男子菊池、飲む事宛ら長鯨の百川を吸ふが如し。既にして小奴が来た。来てすぐ自分の耳に口を寄せて、“佐藤国司さんが心配してるのよ”と云ふ。何をと云ふと、“小蝶姐さんがネ、石川さんには奥様も子供さんもあるし、又、行末豪くなる人なんだから、惚れるのは構はないけれども、失敬しては可けないツて私に云つたの。”と云つて、“可笑いのネー。”と笑つた。自分も亦哄然として大笑した。“ほんとに可笑いのネー。”と奴は再云つた。
 十二時半頃、小奴は、送つて行くと云ふので出た。菊池とは裏門で別れた。何かは知らず身体がフラフラする。高足駄を穿いて、雪路の悪さ。手を取合つて、埠頭の辺の浜へ出た。月が淡く又明かに、雲間から照す。雪の上に引上げた小舟の縁に凭れて二人は海を見た。少しく浪が立つて居る。ザザーツと云ふ浪の音。幽かに千鳥の声を聴く。ウソ寒い風が潮の香を吹いて耳を掠める。奴は色々と身の上の話をした。十六歳で芸者になつて、間もなく或薬局生に迫られて、小供心の埒もなく末の約束をした事、それは帯広でであつた。渡辺の家に生れて坪に貰はれた事、坪の養母の貧婪な事、己が名儀の漁場と屋敷を其養母に与へた事、嘗て其養母から、月々金を送らぬとて警察へ説諭願を出された事、函館で或る人の囲者となつて居た事。釧路へ帰つてくる船の中で今の鶤寅の女将と知つた事。そして、来年二十歳になつたら必ず芸者をやめるといふ事。今使つて居る婆さんの家は昔釧路一の富豪であつた事。一緒に居るぽんたの吝な事、彼を自分の家に置いた原因の事。
 月の影に波の音。噫忘られぬ港の景色ではあつた。“妹になれ”と自分は云つた。“なります”と小奴は無造作に答へた。“何日までも忘れないで頂戴。何処がへ行く時は屹度前以て知らして頂戴、ネ”と云つて舷を離れた。歩き乍ら、妻子が遠からず来る事を話した所が、非常に喜んで、来たら必ず遊びにゆくから仲よくさして呉れと云つた。郵便局の前まで来て別れた。
 机の上に高橋美髯の置手紙があつた。明朝の一番で立つから、今夜は停車場前の旅屋へ泊ると。
 
 

 
明治41年3月20日
小説『菊池君』/啄木とかるた(お休み)
 
 起きて見ると腹中形勢不穏。朝飯に章魚を喰つて愈々痛み出した。社を休む。 (3月16日)
 
 十二時起床。何とはなく不快で今日も休む。 (3月17日)
 
 今日は出社。面白い事もない。 (3月18日)
 
 八時頃永戸に起された。此男の面を見るとイヤでイヤで仕様がない。一緒に湯に行つて帰りて朝飯を食はせる。そして一緒に出かけて社に行つた。何と運の悪い日だらう。 (3月19日)
 
 じつに意外なことですが、啄木は、1月22日に釧路新聞社に初出勤してから、この3月16日まで会社を休んだことはありませんでした。あの性格、あの釧路での芸者遊びの様子から考えると本当に意外なのですが、じつは皆勤だったのです。
 
 その啄木が、ついに休み始めた…
 
 弥生二十日、噫、(と目をさまして枕の上で考へた。)今日だ、今日だ。去年の恰度今日は、渋民小学校の卒業生送別会。“梅こそ咲かね風がほる弥生二十日の春の昼 若き心の歌声に 別れの蓆興たけぬ”と、自分の作つて与へた“別れ”の歌を、絹ちやんと文子と福田のえき子とが、堀田女史のオルガン、自分のヰオロンに合せて歌つた日。慶三が開会の辞を述べ、栄二郎が金矢氏に一杯喰はせ、自分受持の尋常二年から兼吉、浩一、と七人迄演壇に立つた日。噫、この弥生二十日、今日だ、今日だ。 (3月20日)
 
 20日の朝、突然、渋民小学校のことを思い出します。これは何かの予兆なのでしょうか…
 
 そうであったかもしれません。16、17日と啄木は会社をずる休み(表向きは食ったタコにあたって病欠)するのですが、真相は、14、15日と連チャンした歌留多会の興奮の後遺症でしょう。「三尺事件」によって、暴力的といってもいいような勢いで眼前に登場してきた梅川操の「愛の永遠性なると言ふ事を信じ度候」的なド迫力に啄木はたじたじといった印象です。
 ちょうどこの頃、啄木は小奴といちばん親密、つまり、最もありきたりの田舎名士への道にふらふら入り込んでいた時期ですからね。頭からっぽの、いちばんヤワな時期だったのではないですか。そこへ突然、堅気の衆がかもし出すバイオレンス(本気の力)みたいなものが降って湧いたのですから、やっぱり啄木はガーンと一本とられたんではないかと思います。
 
 気を取り直して18日は出社。19日も(本当はずる休みしたかったのかもしれないが)友人たちとのからみでいやいや出社。そしてこの19日、啄木は、別方面からも堅気の衆の大打撃を受けます。会社から下宿へ帰ってくると、小樽日報社の高橋美髯が来ていたのでした。沢田信太郎からの手紙を携えて…
 沢田信太郎がどんな人であったかは小樽時代の文章(1月上旬頃に書いた「ちか子抄」など)をお読みください。函館時代からの啄木の親友です。この手紙の頃は、まだ小樽日報編集長を続けていましたし、また、小樽に残してきた啄木の家族の面倒を見ていた人です。その沢田が、わざわざ人を介して手紙をよこした。
 
 ………偖(さて)家族共処置の件兄の御配慮多謝、多謝、小生も一日も早くと存じ候へど、佐藤国司君の方で家をどうかして呉れねば、一軒の貸家さへなき当町の事とて、何とも致方なく、四月中旬頃までには必ず何とか出来る事と存居候、一方野辺地の父も呼び寄せねばならず、あれや、これや、密かに焦慮罷在候、それ迄老母妻子の方は何分よろしく御世話被下度願上候。 (3月19日/沢田信太郎宛書簡)
 
 手紙の内容がどんなものであったか…、(現物など残っていなくとも)啄木の慌てぶりから一目瞭然です。つい10日前には、「小奴」が写った絵葉書に、
 
 愛妓小奴お目にかけ候 穴賢/\  (3月9日/沢田信太郎宛葉書)
 
などと、ふざけきった言葉を平気で書く啄木なんだもの…(しかも、よりにもよって沢田信太郎に送るとは!)ものを知らないにもほどがある…沢田の怒りは、梅川操の激情とはまたちがった意味で、さぞかし激しいものだったでしょうね。
 
 そんな、波乱の一夜が明けた朝の(もう昼か…)、啄木の枕元にボーッと浮かんだ「渋民尋常小学校」の夢幻ではありました。
 
 啄木は、まだ知らない。今日の出社が、釧路新聞社最後の日となることを…
 
 
 
 五時帰宿。程近い宿に小泉君を訪ふと、北東社に新たに入社した菊池君が居た。 (3月20日)
 
 20日の日記は盛りだくさん。この日初めて、啄木の小説『菊池君』のモデル、菊池武治の名前が登場します。
 
 ふーん… 小説『菊池君』同様、なぜ今ここで「菊池君」なのか?全然理解できないんですけど(「三尺事件」から「釧路新聞退社」へと釧路ドラマがいちばん盛り上がっている真っ最中なのに)なぜか「菊池君」なんですね、啄木は。なにか気に入ったところがあったのでしょうか。
 
 小説の方も、不思議といえば不思議な小説。いったい、これが、小説で食って行く一大決心をして4月に釧路を出た啄木が、上京した5月に書かなければならなかった小説なのだろうか…というのが長い間の私の疑問でした。なんか、ポカーンとした小説なんですよね。
 
 でも、しかし、ポカーンとはしてるが、まずい小説だとは思いません。というか、以前ご紹介した『札幌』と同じく、無駄な叙述をバッサバサと切り落として、詩的結晶のような部分だけで再結合を施せば、そこら辺の現代バブル作家なんか問題にもならないくらいのレベルに行くと信じてます。
 ヴァレリー・ラルボーの短編(「アンファンテヌ」?)に、ベッドに寝ている子が天井の染みを見ながら、その形の組み合わせからいろんな物語を夢想して行く…という、その夢想のあれこれだけで一編の小説に仕立て上げた作品がありますけれど、あの技なんかをうまく使えないだろうか。物語の定位置を、
 
 何といふ不愉快な日であらう。何を見ても何を聞いても、唯不愉快である。身体中の神経が不愉快に疼く。頭が痛くて、足がダルイ。一時頃起きて届けをやつて、社を休む。
 終日寝て暮した。隣室の横山君も不快だと云つて寝て居る。
 天井板の隙から、屋根の穴が見える。灰色に曇つた空が一寸四方程覗はれる。 (3月23日)
 
といったような、会社サボって(社会的な約束事から離脱してして)蒲団にふて寝してる人間の目から、
 
 二十日、ああ…(と目をさまして枕の上で考へた) 今日だ、今日だ。
   【渋民小学校の回想】
 目をさまして枕の上で考へた。ああ…今日だ。
   【小樽日報社の回想】
 目をさまして枕の上で考へた。ああ…今日だ。
   【菊池君の回想】
 目をさまして…
 
と、回想のカメラをまわして行くとか。時々、現実に力業で引き戻して、場面を切換えてくれる声の役目を女中の「お芳」にやってもらうとか(笑)
 
 「私(わし)貰つてくだよ。これ。」
 「やるよ。」
 「本当がね。」
 「貴方が泣くべさ。」
 
 いやー、啄木は、眼がいいだけじゃなくて、耳もかなりいい! かねがね小林多喜二の小説に出てくるような北海道弁がなんかウソくさい…(というか、東京のインテリが頭でこさえたような北海道民だ)と感じている私には、この『菊池君』に出てくる「お芳」のセリフがとても耳に(目に)心地よい。私の死んだばあちゃんの言葉づかいとまったく同じだ。たった一年しか北海道にいなかったのに、よくぞここまで道民の言葉を写しとったものだと感嘆します。やっぱり言葉の天才だ。
 
 
 さて…
 
 あまりにも「3月20日」一日の日記文に長々と書いてしまったので、時間がなくなってしまいました。先日来続けてきた北海道の「下の句かるた」については、別の機会に書くことにします。ちょうど、今年一年続けてきた「今日の啄木」を冊子にまとめるつもりですので、そっちに書き下ろしで付け加えるかもしれません。よろしかったら注文してください。では、また明日…
 
次回は「3月21日」

 
 
 
予約受付中!
受付期間2004年4月28日(水)まで

昨年来、「おたるの図書館」ホームページ上で発表してまいりました「今日の啄木」を一冊の本にまとめます。価格は780円(送料とも)。予約部数のみの制作です。主な内容は、

明治四十年丁未歳日誌 石川啄木著 (5月〜12月原文)
明治41年日誌 石川啄木著 (1月〜4月原文)
明治40年・函館大火 (函館/明治40年5月5日〜9月13日)
北門新報社 (札幌/明治40年9月14日〜9月27日)
小樽と樺太 (小樽/明治40年10月13日〜10月31日)
忘れがたき人人・1 (函館〜小樽/明治40年5月〜7月/11月)
小樽日報と予 (小樽/明治40年12月11日〜明治41年1月3日)
東十六条 (札幌〜小樽/明治40年9月〜10月)
浪淘沙 (小樽〜釧路/明治41年1月19日〜2月2日)
啄木とかるた <4月号予定> (釧路/明治41年2月7日〜)
忘れがたき人人・2 <4月号予定> (小樽〜釧路/明治41年1月〜)
かの蒼空に〜小説家・啄木 <書き下ろし予定> (東京/明治41年5月〜7月)

 
 

 
絵はがき通信 啄木転々
石川啄木、明治40年北海道放浪の一年間を
毎月の絵はがき通信に載せてお送りします。
啄木、22歳。瑞々しい明治の青春。
 
HP連載の「今日の啄木」をベースにして、5月1日より、毎月1日発行。
申し訳ありませんが、ご希望の方は送料分をご負担ください。無料サンプル配布中。

 
啄木転々
「五月から始まる啄木カレンダー」改題
短歌篇 日記篇
 
絵葉書 / 付:2003.5〜2004.4カレンダー
各12枚組 プラスチック・ケース(スタンド式)入り
400円(送料共) ※スワン社で取り扱っています