五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治41年日誌 (1908年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治41.3.18
此女も泣くのかと思つた
 
 3月18日
 今日は出社。面白い事もない。四時頃小南君と伴なつて帰宿。隣りの横山君の室に三尺の声がする。十分許りして帰つた様子。横山が来ての報告によると、態々呼びつけて今後此下宿に訪ねぬ様忠告してやつたとの事。七時頃一寸外出。
 三尺は必ず梅川に寄つて行つたに違ひない。何と云つたらうといふので、横山から梅川へ手紙やつた。今行きますといふ返事。軈て来た。泣いて居る。涙がとめどもなく流れる。何といふても泣いて居る。此女も泣くのかと思つた。
 漸々にして解つた事は、三尺が帰りに寄つて“今後石川さんに途中で逢つても言葉もかけぬから御安心なさい”と云つて行つた事。上杉君が先刻来て、三尺の事を云つた時、何か気に障る言を発したとかで、アトで口惜くて口惜くて、一人人の居ない診察所に入りて声を放つて泣いた事、そこへ衣川子が来て親切な言を以て慰めた事。そして頻りに泣く。横山も自分も、殆んど持余した。
 泥酔した声が下に聞えて、グデングデンになつた永戸と刑事の三浦がやつて来た。永戸は是非今夜一つ飲まして呉れと云ふ。何と恁う人間といふものは浅間しいものだらうと、自分は不愉快でたまらたかつた。永戸一人なら剣突を喰はしてやるが、三浦が来てゐるので、仕方なく、アトで行くからとて二人を梅本楼へやつた。迎ひが来た。又来た。十一時半漸く行つて見ると、二人共マルで獣の如く見える。芸者小梅も獣、半玉雛子の声は鰹食つた猫の様だ。
 十二時出た。路次の雪に倒れた三浦を永戸に任して、月明らかなる真砂町を帰る。ぽんたが客を送つて来るのに出会して、気の毒な思ひをした。
 
 3月19日
 八時頃永戸に起された。此男の面を見るとイヤでイヤで仕様がない。一緒に湯に行つて帰りて朝飯を食はせる。そして一緒に出かけて社に行つた。何と運の悪い日だらう。昨夜帰つた時、小樽日報の高橋美髯が来て居た、此室に泊めた。沢田君からの手紙を持つて来た。
 医師の俣野君が来て、社で種痘して貰つた。夕刻帰る。下の室に居る盛中出の銀行員増田が一寸来た。佐藤氏宅の書生富安君が来て十時頃まで居た。一緒に出かけて散歩して、そばを喰つて帰ると高橋や工場の者。沢田君とせつ子へ手紙かく。
 十五日、汽車が通じてから今日までの受信、在京の社長からの長い便り。岩崎正君。小樽の白田北洲は新聞配達をしてるといふ。本田君から通信料の催促。与謝野氏の手紙。せつ子から二通・高田紅果の絵葉書。都のてい子さんから二通。沢田君一通。小国善平君一通。二戸の小田嶋孤舟から葉書。秋浜三郎から無邪気な葉書。遂々北門の校正をやめて代用教員になつた加地燧洋から一通。外に明星の歌稿二十余通。
 
 

 
明治41年3月18日
此女も泣くのかと思つた/啄木とかるた(3)
 
 此女も泣くのかと思つた。 (3月18日)
 
 頑張れ、梅川操!
 
 釧路での、弛んだ「啄木日記」の毎日にガツーンと活を入れてくれたもの。それこそは、この梅川の涙だ! 遊び呆けて、感度も田舎文士レベルに堕ちてしまった啄木の頭に、今一度「東京」という火を灯してくれたのだ。
 
 「あしたのジョー」でいえば、三尺事件は、ドサ拳闘「対稲葉粂太郎戦」のような味わい。(梅川は白木葉子か…)
 
 
 さて、啄木たちがやっていた「下の句歌留多」、北海道「百人一首」を始めましょう!
 
 まず最初の一枚。
 
 久方の〜光のどけき 春の日に〜 しづ心なく 花の散るらむ
 
 ハイッ!一枚ゲット!
 …と、ここまでは、内地も北海道も同じです。でも、ここからが(内地から来た人には)悪夢のかるた大会の始まり。
 
 しづ心なく 花の散るらむ〜 人知れずこそ 思ひそめしか
 
 [内地人] えっ…
 [道 民] ハイッ!連続ゲット!
 
 人知れずこそ 思ひそめしか〜 花ぞ昔の 香ににほひける
 
 [内地人] えっ…(まだ事情がわかっていない)
 
 …と、まあ、事態はこのように推移し、一枚の札もとれなかった内地人は、最後に「もっと百人一首くらい勉強しろよ!ほんとに教養がないなぁ…」くらいのことを道民に言われかねない。ほんとに恐ろしい話ではありますね。
 
 
 なんでこのような「下の句」〜「下の句」でつなげる「かるた」が北海道で成立したのか全然わからない。小樽市立博物館の学芸員さんの話では、この「下の句歌留多」は明治の北海道開拓の早い時期から、ニシン漁のために東北から出稼ぎに来ていたヤン衆を中心にすでに北海道中に蔓延していたようです。江戸期の松前〜函館あたりでは正調の「百人一首」が行われていたが、それもあっという間に駆逐されてしまったとのこと。啄木の来た明治40年代ならば、全道中がこの「下の句歌留多」ランドであったことは疑いをいれません。
 
 まあ、なんと申しましょうか…(笑) 私も物心ついた時にはすでにこの「百人一首」で洗脳されているわけで、語るべき言葉もないのです。以前、北朝鮮に帰国していった在日朝鮮人の二世・三世が「お母さんの歌っていた歌です」といって双葉百合子を歌っているテレビを見たことがありますけれど、ああいう驚きの気持ちに近い。こんな「日本」もあるのねー、という。
 
 しかし…すごいかるた大会ではあります。戯れに、これを啄木の歌に置き換えてみましょうか。
 
 さいはての駅に下り立ち〜 雪あかり〜 さびしき町にあゆみ入りにき
 
 さびしき町にあゆみ入りにき〜 釧路の海の冬の月かな
 
 釧路の海の冬の月かな〜 涙ながれぬともしびの下
 
 涙ながれぬともしびの下〜 耳朶なども忘れがたかり
 
 うわーっ、たまりません。(これ以上やったら、啄木ファンに殴られそう…)
 
 
 下の写真は、以前ご紹介した北畠立朴氏の『啄木に魅せられて』(北龍出版,1993)に出ていたものです。ほんとに、この本、他の釧路ものの啄木本でもなかなか出てこない「三尺ハイカラ」の写真が巻頭を飾っていたり、「くしろ啄木一人百首かるた」の取り札百枚がバーンと載っていたり…と、啄木ファンの欲しいものをパッと出してくるドラえもんのポケットみたいな本ですね。
 
 
 
 百人一首の読み札を見ていると、なにかしら、こういうヴィジュアルがあの啄木独特の三行分かち書きの歌のアイデアを与えて行ったのかなぁ…なんて想像したりします。
 
 まあ、いろいろ辛いこともあった北海道だけれど、いいことも、ひとつふたつはあったじゃないの。過ぎてしまえば、みんな懐かしい思い出さ。
 
次回は「3月20日」
 

 
(仮題)
 
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受付期間2004年4月28日(水)まで
 

 昨年来、「おたるの図書館」ホームページ上で発表してまいりました「今日の啄木」を一冊の本に
まとめます。価格は
780円(送料とも)。予約部数のみの制作です。主な内容は、

 □ 明治四十年丁未歳日誌 石川啄木著 (5月〜12月原文)
 □ 明治41年日誌 石川啄木著 (1月〜4月原文)

 ■ 明治40年・函館大火 (函館/明治40年5月5日〜9月13日)
 ■ 北門新報社 (札幌/明治40年9月14日〜9月27日)
 ■ 小樽と樺太 (小樽/明治40年10月13日〜10月31日)
 ■ 忘れがたき人人・1 (函館〜小樽/明治40年5月〜7月/11月)
 ■ 小樽日報と予 (小樽/明治40年12月11日〜明治41年1月3日)
 ■ 東十六条 (札幌〜小樽/明治40年9月〜10月)
 ■ 浪淘沙 (小樽〜釧路/明治41年1月19日〜2月2日)
 ■ 啄木とかるた <4月号予定> (釧路/明治41年2月7日〜)
 ■ 忘れがたき人人・2 <4月号予定> (小樽〜釧路/明治41年1月〜)
 ■ かの蒼空に〜小説家・啄木 <書き下ろし予定> (東京/明治41年5月〜7月)

 
 

 
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受付期間2004年5月31日(月)まで
 

 
啄木転々
「五月から始まる啄木カレンダー」改題
短歌篇 日記篇
 
 
絵葉書 / 付:2003.5〜2004.4カレンダー
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