五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治41年日誌 (1908年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治41.2.11 紀元節
寺の奥様が娘の三尺ハイカラと一緒に居た
 
 2月11日
 今日は、大和民族といふ好戦種族が、九州から東の方大和に都して居た蝦夷民族を侵撃して勝を制し、遂に日本嶋の中央を占領して、其酋長が帝位に即き、神武天皇と名告つた紀念の日だ。第一学校の式に臨むつもりであったが、朝寝をしたため駄目。今朝の新聞には、僕が釧路婦人会を幽霊婦人会と罵倒した記事が載つて居る。釧路の発達は斯くして刺激を与へる外に、仕方がない。
 野辺地の父から、前便を取消す手紙が来たので、小樽の母と、父へ手紙を書いた。
 午后一時頃、上杉小南子がやつて来た。物理学校を卒業して六十五円の中学教師を勤めた人だが、敗残の人ははかないもので、今二十円の新聞記者とは可哀相でもある。無能な代りに頼るの好人物だ。世間話に花が咲いたが、今日は紀元節だからと、連立つて鹿嶋屋に行つたのは三時頃。平常着の儘の歌妓市子は、釧路でも名の売れた愛嬌者で、年は花の蕾の十七だといふ。フラフラとした好い気持になって、鳥鍋の飯も美味かったが、門を出たのは既に黄昏時であった。芝居にはまだ早しと丸コへ時化込む。例の五番の室は窓に燃ゆる様な紅のカアテンを垂れて、温かである。小静はお座敷といふので助六を呼んだが、一向面白くない。女中のお栄さんと云ふのが、其社会に稀な上品な美人で、世慣れぬ様がいぢらしいと小南子が浮かれる。芝居につれて行かうぢやないかと云ふので交渉したが、今夜は釧路懇話会があるので急しいとの事。八時頃に飛出して釧路座の慈善演劇へ行った。昨夜よりは見上げる許り上手に演つて居る。同じ桟敷に本行寺といふ真宗の寺の奥様が娘の三尺ハイカラと一緒に居たが、釧路病院の俣野君や太田君も来合せて仲々賑やかであった。娘の手は温かであつた。帰りは午前一時半。
 
 2月12日
 今日は編輯局が賑やかであった。日景緑子に播州赤穂で芸者をして居る“みどり”といふ女から長い手紙が来た。緑子はそれを読んで聞かせる。早速それを編輯日誌にかいた。小南子、宿酔の気味で時々女中美論を称へる。
 三時半に〆切つて、宿へ帰つて小南子と夕飯を共にし、仏教論や人生論が出た。そして人間といふものは、考へれば考へる程ツマラヌ者だと云ふに帰着した、不如、そんな事は考へずに人生の趣味を浅酌低唱裡に探るベしと、乃ち相携へて丸コに進撃した。
 二階の五番の室を僕等は称して新聞部屋と呼ぶ。小玉と小静、仲がよくないので座は余りひき立たなかったが、それでも小静は口三味線で興を添えた。煙草が尽きて帰る、帰りしなに小静は隠して居た煙草を袂に入れてくれた。
 此日は余程好い日であつた。朝に、小樽の沢田信太郎君、藤田高田両少年詩人、及び本田荊南君からの詳しい消息に接し、社に行つて京なる与謝野氏のハガキを見た。
 寝たのが一時。
 
 2月13日
 夕方、日景君と共に鶤寅といふ料理店へ行って、飲み乍ら晩餐を認めた。歌妓ぽんた の顔は飽くまで丸く、佐藤国司君の愛妾たる小蝶は一風情ある女であった。八時頃隣室に来て居た豊嶋君讃井君及び福西とかいふ人々と一緒になり、座を新らしくして飲み出した。すゞめと云ふ芸妓は、実に小癪にさわる奴であった。十時頃辞して帰つて来ると、第三学校の遠藤君が来た。
 十一時、二人で鹿島屋を襲ふた。例の愛嬌者の市ちやんと清子、景気よく騒がしたが、今朝の新聞に市子の事を出してあるので、少なからず脂を絞られた。二人を唆かして色々と粋界の裡面を覗ひ、市ちやんから“釧路粋界”一部に自筆の名前とデヂケーシヨンを書かして貰つて来た。寝たのが一時。
 
 2月14日
 昨日の酔のためか、十一時に漸く起きて出社。風邪の気味で、何となく躯の加減がよくない。昨日入社した編輯助手永戸?水は、女にかけては訥言敏行といふ人相をして居る。
 今日の編輯局は南畝氏太田氏を初め有馬君古川君らの来訪で大分賑やかであった。然し僕にとっては少し風向が悪くて、市ちやんの“粋界”事件が曝露し、小静が問題になり、緑子はぽんたの事まで引合に出して、散々大笑ひをした。
 〆切つてから、富士屋といふ宿屋に今度来た薩摩琵琶手有馬正彦君を訪間、晩餐を御馳走になつて八時帰る。
 久振に宿に居る様な気がする。一月中に来た年始状を調べた。
 
 2月15日
 毎晩就寝が遅いので、起床は大抵十時過であるが、今朝は殊に風邪の気味で十一時に起きた。寒気は余程緩んで来た。南の窓に日が一杯さして、春めいた心持もする。屋根には鳩がポツポと啼く。
 社に行つて、並木翡翠君からの上京の通知に接した。午后三時編輯を締切つて帰る。手紙が三本来てゐた。野辺地の父からは、早く此方へ来たいといふ事。堀合の父からは詳しい消息。モウ一本は京なる植木女史の長い長いたよりで、封じ込めた白梅の花に南の空の春を忍ばしめる。三年前の四月十五日、隅田川辺の桜老いたる伊勢平楼で新詩社の演劇をやった時、一曲春の舞を舞ふた村松某といふ少女が昨年あへなくも亡き人の数に入り、其母君も間もなく物故せられたといふ。世の中は恁うしたものかと書いてる。世の中といふ言葉はヒシと許り胸に応へた。
 四時半頃から有馬君のために催した釧路座の薩摩琵琶会に行つた。定刻の六時過ぐる十分の頃には既に木戸〆切といふ盛会、釧路初めてだといふ。琵琶は左程でもなかったが、琴、ヴァイオリン、剣舞、独吟など、仲々に陽気であった。佐藤衣川子の剣舞には僕が詩吟をやった。
 鶤寅と鹿島屋から芸妓が来て居た。背の低い丸顔の、本行寺といふ寺の娘の伊藤某女は、明後日の愛生婦人会総会は、貴君に攻撃されるから、時間は正確に午前十一時から初めるといふて居た。植木の千ちやんから来た白梅の花を、どこやら面影の似通つて居る鹿島屋の市ちやんにやつた。
 会が済んでから、明晩は釧路北東二新聞合同して余興に文士劇を三幕やるといふ事が決定した。僕も亦出演するので、筋は新聞社探訪の内幕といふ話。僕の役は日景君と共に記者になるのだ。
 北守夫人や鈴木信子女史や、釧路婦人会の連中も来て居たので、先日紙上で幽霊婦人会と攻撃してやった話が出た。不遠会員を募集するといふて居た。これは自分の記事の反応だ。
 十時半帰る。正実堂へよって“滝口入道”買ふ。
 
 

 
明治41年2月11日
寺の奥様が娘の三尺ハイカラと
 
 釧路に入ってからの明治41年日記は、文章が長い… 毎日毎日、よく遊び、よく書くなぁ!とあきれます。(よく眠ってもいるらしい…) この「今日の啄木」の区切りも、釧路まではそれぞれの事件や出来事の展開を区切りとしていたのですが、釧路に入ってからは文章の長さで区切っている始末です。ドラマというほどの展開もなく、仕事と宴会の往復の毎日。要するに、そこら辺のサラリーマン金太郎たちと何も変わらない。
 
 
 釧路の啄木といえば誰もが「小奴」の名を思い浮かべると思いますが、釧路はそれだけではありません。日記に見える名前だけでも、例えば、前回ご紹介した「小静」。釧路に来た啄木が最初に知った料亭・喜望楼のお抱え芸者でした。
 
 小静の事を少し書いて置かうか。彼自身の語る所では、生れは八戸、小さい頃故郷を去ったといふ。両親は今此町に居て、姉なる小住と二人で喜望楼の抱妓になって居るが、家には二才になる小供があるとの事、一昨年から昨年へかけて半年許りも脳を煩らうたと云ふが、成程其目付が、何処か恁うキラキラして居て、何となき不安を示して居る。そして札幌の大黒座で堀江四郎、川上薫、稲葉喜久雄等と共に壮俳になつて居る朝霧映水と云ふのが、彼女の兄だと云ふ。兄は声がよくて、且つ三味線や唄は、妹が師匠から稽古するのを、聞いて居ただけに覚える程、芸にさとい方ださうな。…… (2月10日)
 
 あるいは、今回、11日の日記に見える鹿嶋屋の「市子」。
 
 午后一時頃、上杉小南子がやつて来た。……世間話に花が咲いたが、今日は紀元節だからと、連立つて鹿嶋屋に行つたのは三時頃。平常着の儘の歌妓市子は、釧路でも名の売れた愛嬌者で、年は花の蕾の十七だといふ。フラフラとした好い気持になって、鳥鍋の飯も美味かったが、門を出たのは既に黄昏時であった。 (2月11日)
 
 昼間っから遊んでばっかりですね…
 
 この後も、釧路座の芝居の時間にはまだ早いということで料亭・丸コへ時化込みます。「小静」を呼ぼうとしたがお座敷に出ていました。一向に盛り上がらないので、夜八時頃に一人で飛び出して釧路座へ。
 
 はい、ここで「三尺ハイカラ」。
 
 昨夜よりは見上げる許り上手に演つて居る。同じ桟敷に本行寺といふ真宗の寺の奥様が娘の三尺ハイカラと一緒に居たが、釧路病院の俣野君や太田君も来合せて仲々賑やかであった。娘の手は温かであつた。帰りは午前一時半。 (2月11日)
 
 芸者さん以外で啄木に近寄って来た女性もいました。例えば、この「三尺ハイカラ」。別名「歌留多寺」といわれた真宗・本行寺の娘、小菅まさえでした。なんで「歌留多寺」と言われていたかというと、この本行寺でよく歌留多会が催されていたからなんですね。啄木も渋民時代から好きでよく歌留多会をやっていましたから、自然と本行寺にも顔を出すようになったのでしょう。ここで「三尺ハイカラ」や、当時釧路共立笠井病院の看護婦だった「梅川操」に出会ったと思われます。日記にも「梅川と三尺が来て歌留多」といった記述が見られます。
 
 まあ、カルタはいいとして… 啄木、大胆ですねぇ。おっ母さんと一緒にいる娘の手を握るとは!いったい何事なんだ…相手はプロの芸者さんたちじゃないんだよ。少しは気をつけてくれたまえ! (しっかし荒んだ生活だなぁ…紀元節の夜だというのに何やってんだか)
 
次回は「2月16日」
 

 
啄木転々
「五月から始まる啄木カレンダー」改題
短歌篇 日記篇
 
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