五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治41年日誌 (1908年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治41.2.2 社屋新築落成式
これで新聞記者とは驚いたものだ
 
 2月2日
 愈々今日の日曜は我社新築落成式だ。早朝出社して、編輯局を装飾するやら、福引の品物を整理するやら。
 日景君から借りた羽織袴を着る。一時頃から来賓が来た。予は先発隊となつて宴会場なる喜望楼に行き、席を作つて準備して居ると、四時に開会。来会者七十余名に芸妓が十四名。福引は大当りで、大分土地の人を覚えた。九時散会、小新の室で飯を喰ふて帰れば十一時。
 堀田秀子氏へ手紙かいた。
 
 2月3日
 今日は編輯局作日の噂で大繁昌。
 夜、生田葵君へ久振で手紙かいた。
 
 2月4日
 今暁四時浦見町釧路見番附近に失火あり、全焼十六戸半焼二戸に及ぶ。九時に起きて聞いてビックリ。日景主筆が正午から帰宅したので、大分急がしい目を見た。佐藤も上杉もまるで役に立たぬ。これで新聞記者とは驚いたものだ。七時帰る。
 野辺地の父から手紙来た。小樽から、四十日間一銭も送金せぬといふ手紙行つたとて大に心配して居る。誠に不将な事を云つてやつたもので、一月中に十五円、再昨日の十八円で三十三円、外に建具を売つた筈だから、一ケ月に四十円以上も使つて居るではないか。後日のため厳重な手紙出す。
 玉山の舅、及び札幌の向井君へも手紙認めた。
 少しく風邪の気味。
 
 2月5日
 午後四時、斧を揮つて編輯を〆切り、帰る。せつ子から金受取つたといふ手紙が来て居た。
 飯を喰ふ時、今日社で逢つた日報の小林の顔が目にちらついた。白石氏を訪問したが留守。昨夜認めた堀合の父や向井君や、斎藤大硯本田荊南君らへの手紙を投函した。
 此数日、気候は余程緩んで居るが、今夜帰りにはチラチラ白いものが降り出した。釧路に来て初めての雪である。
 
 2月6日
 上杉も佐藤もまるで活動せぬ。日景君の頭は相不変光つて居る。編輯局は天下太平だ。
 四時に帰つて、洗湯へ行つて来て晩餐。今月の雑誌が来たかと思つて本屋へ行つたが、まだ来て居ない。東京と釧路とは少なくとも十日が間時勢が違つて居る。東儀鉄笛の“音楽通解”と石原即聞の“仏教哲学汎論”とを持つて来た。釧路には唯一軒の本屋正実堂と云ふがあるきり。松屋でも取次はするが、本は一冊もない。
 白石社長を訪ひ、御馳走になつて十時帰る。社長は明日立つて上京する。議会に対する釧路築港の運動だ。
 
 

 
明治41年2月2日
これで新聞記者とは驚いたものだ
 
 佐藤も上杉も仕事せいよ!(笑)
 
 田舎のゆったりペースにかなり苛立っている啄木の様子がうかがえて面白い。(東京に行く白石社長がうらやましそうですね…) 釧路に来て一週間くらいが過ぎたあたりですか。着いた時のテンションが落ちて、ただの日常モードに入って、一週間、十日、一ヶ月…ってのが、いちばん危ないといえば危ない時期なのかもしれない。いったい俺はこんなところで何やってんだ…という感情がわらわらと湧いてきます。でも、これは啄木が天才だからじゃない。誰だって(気は確かなら)田舎暮らしって一度はこのレベルまで落ち込むんだと思いますよ。
 
 
 歌碑が25基も建っている釧路市に敬意を表して。
 
   浪淘沙
   ながくも聲をふるはせて
   うたふがごとき旅なりしかな
 
   (釧路市幸町9-1 交流プラザさいわい前)
 
 北畠立朴氏の啄木に関する文章はインターネットでも見られます。例えば、啄木―釧路での76日間について私が解説します…と力強く宣言された「啄木くしろ76日物語」。簡潔な文章の中に、啄木の研究者・ファンでもけっこう難問の「釧路の啄木」問題について、はっきりとした判断が述べられていて、いろいろな意味で他の研究者・ファンたちを励ますものではないでしょうか。
 
 「啄木くしろ76日物語」ホームページの「釧路市内25基の啄木歌碑を見る」から写真を一枚だけお借りしました。私にはめずらしい「浪淘沙(らうたうさ)…」の歌碑。(この歌を引用するのは初めてじゃないかな…) 普段、釧路というと、本郷新の啄木像脇の歌「さいはての駅に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき」とか、米町公園の大きな歌碑「しらしらと氷かがやき/千鳥なく/釧路の海の冬の月かな」などが有名ですが、でも、この歌碑もなかなかシブくて私は好きですね。
 この歌碑が建っている場所、「交流プラザさいわい前」と言われても全然感動も何もないけれど、「旧釧路駅」と言われれば、俄然話はちがってくる。ここだったんですよ!夜の九時半に釧路の地に啄木が汽車を降り立ったのは。明治41年1月21日ここから「さびしき町にあゆみ入りにき」だったんですよ!
 啄木が降りた釧路の駅は、現在の釧路駅の南西に五百メートルほど釧路川方向に寄ったところにありました。ここから冬の夜道を歩いて幣舞橋(ぬさまいばし)を渡ったのでした。そんな駅の跡に「浪淘沙…うたふがごとき旅なりしかな」の歌が建っている… うーん、凄いじゃないか!この歌をここに選んだ人は、なかなかの達人ではないだろうか。
 
 
 あっ、忘れるところでした。この週にはとてもおもしろい場面があるんです。
 
 飯を喰ふ時、今日社で逢つた日報の小林の顔が目にちらついた。 (2月5日日記)
 
 この「小林」は、あの小樽日報のヒットマン「小林寅吉」その人です。おめおめと啄木のいる釧路まで来たのでした。まだ生きてたのね…
 
次回は「2月7日」
 

 
啄木転々
「五月から始まる啄木カレンダー」改題
短歌篇 日記篇
 
絵葉書 / 付:2003.5〜2004.4カレンダー
各12枚組 プラスチック・ケース(スタンド式)入り
400円(送料共) ※スワン社で取り扱っています