五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治四十丁未歳日誌 (1907年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治40.12.29
今日は京子が誕生日なり
 
 12月29日
 今日は京子が誕生日なり。新鮭を焼きまた煮て一家四人晩餐を共にす。
 人の子にして、人の夫にして、また人の親たる予は、噫、未だ有せざるなり、天が下にこの五尺の身を容るべき家を、劫遠心を安んずべき心の巣を。寒さに凍ゆる雀だに温かき巣をば持ちたるに。
 一切より、遂に、放たるる能はず。然らば遂に奈何。
 
 12月30日
 日報社は未だ予にこの月の給料を支払はざりき。この日終日待てども来らず、夜自ら社を訪へり。俸給日割二十日分十六円六十銭慰労金十円、内前借金十六円を引いて刺す所僅かに十円六十銭。帰途ハガキ百十枚を買ひ煙草を買ふ。巻煙草は今日より二銭宛高くなれり刻みも亦値上げとなれり。嚢中剰す所僅かに八円余。噫これだけで年を越せといふのかと云ひて予は哄笑せり。老母の顔を見るに忍びず、出でゝ北門床に笹川君を訪ふ。
 
要領を得ず。
 夜年賀状を書いて深更枕に就く。衾襟垢に染みて異様の冷たさを覚ゆ。
 この日函館なる岩崎君より手紙ありき。
 
 

 
「小樽日報と予」に見る小樽日報社人事関係
 
小樽日報社
 
事業主 山県勇三郎・中村定三郎(山県勇三郎の弟)
社長  白石義郎(道会議員、前福島県衆議院議員)
 
10月 1日






 
・第一回編輯会議 白石義郎社長ほか七名
 岩泉江東(主筆)
 野口雨情(三面)
 石川啄木(三面)
 西村樵夫(外交)
 佐田鴻鐘(二面/外交)
 金子孤堂(二面/外交)
 野田黄州(商況)
 
10月 5日

 
・啄木と野口雨情との間で主筆岩泉江東排斥の企て。佐田鴻鐘、西村樵夫も加はる。
・金子孤堂、この企てを岩泉江東に密告。事が露顕する。
 
10月15日


 
・初号18頁を発行
・夜、社主中村定三郎の招待で静養軒において発刊記念パーティ。
・この夜、主筆岩泉江東より野口雨情に注意・警告あり。
・工場で不平起こる。在原清次郎(事務)弾劾の声社中に満つ。
 
10月16日
 
・前日の野口雨情の一件を同志たちで相談。諦めムードの中、啄木だけが強行路線を主張。しかし、企ては頓挫。
 
10月23日
 
(一週間の休刊の後)第二号を発行。しかし、工場整理が未だ終らず、第三号よりはしばらく4頁の新聞となる。
 
10月30日

 
・野口雨情、退社。
・啄木の給料、契約の二十円がなぜか二十五円に上がる。また、野口雨情のやっていた三面主任は啄木になる。(岩泉江東の懐柔策?)
 
10月〜11月








 
【啄木の仕事ぶり】
予が毎日筆にする処三百行以上に上る事敢て珍らしからざりき。剰(あまつ)さへ一面の文苑と新刊紹介亦予の分担に属せりき。之実に社中其任に当るの人を得ざりしが為めのみ。朝は九時に出社し、夜は多く九時十時に帰れり。主筆は五時六時に至りて漸く編輯を〆切り、余事を予に一任して帰れり。当時社中には電報を満足に訳する人さへあらざりしなり。且つ若し電報来らざれば、予は他紙を参照して必ず数通の電報を偽造せざるべからざりき。
世上の反響をきくに、日報社の信用はあれども、日報の信用は殆んど皆無なりき。之一に主筆の罪に帰せざるべからず。予は日夜之が為めに憂惧し、一度大硯斉藤哲郎君を入れて現状を打破せんと企てて成らず。
 
11月上旬


 
・啄木、園田愛緑を呼んで校正係とするが、二日で退社。
・啄木、京極高明を入れて主筆とするが、これも二日で退社。
・主筆岩泉江東、ふたたび佐々木律郎を入れて校正係とするが、「社中皆不平の色あり」。
 
11月 9日
 
・社長白石義郎、啄木に主筆岩泉江東解任の意をもらす。後事を啄木に託して札幌(道議会出席)に去る。
 
11月10日



 
・啄木、白石義郎に会うため札幌へ。会えなかったため、
@新編集長に沢田天峯を推薦
A啄木及び佐田鴻鐘を除く、すべてを弾劾する
旨の手紙を残して小樽に帰る。
・鈴木志郎、事務より三面記者に。
 
11月15日
・岩泉江東、社内の主筆排斥の気運を察知して『最後の一言』を書く。
 
11月16日
 
・社長白石義郎、札幌より手紙をもって主筆岩泉江東を解任。「社中騒擾」。
・小林寅吉事務長、校正係の佐々木律郎を解雇。
 
11月19日



 
・『小樽日報』紙上に、啄木の『主筆江東氏を送る』を掲載。
金子狂せるが如く、小林事務長は岩泉のために籠絡せられて、社中第二の禍根茲に根ざせり。予は衆人環視の中に立ちて陰謀の張本人を以て目せられ、一挙一動社中の人の進退に関するが如く思惟せられき。乃ち社を騒がすを快からずとし、辞意を社長に訴ふ。社長笑うて用ゐず。
 
11月22日
・『小樽日報』紙上に、沢田天峯と鯉江天涯の入社の辞を掲載。
 
11月23日

 
・白田北洲を校正係に。
・岩泉江東の手下だった金子孤堂と札幌支社の宮下某。宮下某は退社。
・金子孤堂は、奥村寒雨の編集局入りと同時に、札幌支社に左遷。
 
12月 1日




 
・野田黄州、西村樵夫を解雇。
・「理髪師」(?)笹川某を三面担当に入れる。
第一回編輯会議以来編輯局を去らざる者、僅かに予と佐田君とのみ。編輯局裡既に新面目あり、紙面亦多少の活気を帯び来る。但事務の成績毫も揚らず小林事務長の如き徒らに職務以外の事にのみ奔馳して社業遂に空しからむとす。
 
12月12日

 
十二月十一日予札幌に行き翌十二日夕帰社す。偶々小林言を構へて遂に腕力を揮ふに至れり。予乃ち翌日より出社せず、諸友に飛ばすに退社の通知を以てしたり。
 
 

 
 
明治40年12月29日
今日は京子が誕生日なり
 
 前回青空化してお伝えした「小樽日報と予」の中から、今度は、小樽日報社内の人事に関する動きを月日に分けて並べてみました。
 
 つぶれる直前の会社なんて、本当にどこでも同じようなもんだなぁ…と、ある種の感慨を持って表を作りましたですよ。白石義郎みたいな、「よきにはからえ」みたいな社長、どこかの短大にもいたなぁ。岩泉江東みたいな学力の足りない大先生もいたし、寅吉みたいな熱血のアホもいた。もちろん、金子孤堂みたいなパシリ野郎も。破産に必要なワンセットは、ここに全て揃いましたという感じですね。(これに「ボトルアップ」頭がかぶさって、まさにバカの鉄壁!)
 
 私は、啄木が(啄木にしては珍しく)冷静に「日報社の信用はあれども、日報の信用は殆んど皆無なりき」と、小樽日報の新聞としてのクォリティそのものを考えるスタンスを残していることに微かな救いを感じますけどね。苦しい時こそ、こういう視点を手放さない人がいるか、いないかは、会社にとっては大きな分かれ道だ。そういった意味では、啄木を殴った激バカの罪は重いと思っています。啄木のいない小樽日報社、岩泉江東ごときの駄文で金がとれると考えるなどとは、まったくもって笑止千万。
 
 
 まだ、「東十六条」問題を考えています。
 
 ここに引用する図版は、札幌市教育委員会編集、北海道新聞社発行になる「さっぽろ文庫」シリーズの別冊、『札幌歴史写真集・明治編』に収録されている「札幌市街明細案内図」(蒼龍館発行)です。明治39年の札幌。啄木がやってくる一年前の札幌の街です。
 
 
 
 天下の代用教員一躍して札幌北門新報の校正係に栄転し、年俸百八十円を賜はる、
 明十三日午后七時、君が立つた時と同じプラツトフオームから汽車にのる。
      四十年九月十二日               函館 キツツキ
 宮崎大四郎様
  (石川啄木・宮崎大四郎宛書簡/明治40年9月12日)
 
 というわけで、函館を発って札幌に着いたのが明治40年9月13日。以来、9月27日に小樽へ向かうまでの札幌滞在時代の約2週間、啄木が住んでいたとされる下宿先「北7条西4丁目の未亡人田中サト方」。地図では、大通りを起点として北に7丁上がったところが「北7条」、創成(そうせい)川を起点として西に4丁ほど行ったところが「西4丁目」。つまり、「北7条西4丁目」は札幌駅の裏手にあたる区画です。当然、街中。何回地図を見直したって、野口雨情が言っているような「藪の中の細い道をあつちへ曲りこつちへ曲り」するような場所では絶対にないのです。
 
 
 夜小国君の宿にて野口雨情君と初めて逢へり。温厚にして丁寧、色青くして髯黒く、見るから内気なる人なり。共に大に鮪のサシミをつついて飲む。嘗て小国君より話ありたる小樽日報杜に転ずるの件確定。月二十円にて遊軍たることと成れり。函館を去りて僅かに一旬、予は又滋に札幌を去らむとす。凡ては自然の力なり。小樽日報は北海事業家中の麟麟児山県勇三郎氏が新たに起すものにして、初号は十月十五日発行すべく、来る一日に編輯会議を開くべしと。野口君も共にゆくべく、小国も数日の後北門を辞して来り合する約なり。
(石川啄木「明治四十丁未歳日誌」より「9月23日」)
 
 
 石川啄木よ、君が野口雨情に会ったのは、この9月23日が初めてのことなのか?
 
 たぶん、野口雨情がなにかを勘違いして大ボケをかましている…か、あるいは、逆に、啄木が意図的に「日記」を操作している…ということだと思います。操作しているという言い方がおかしかったら、こう言い換えても良い――「啄木日記」は、ある種のフィクション作品なのだと。自分が読むだけでは終らない。後生の私たちが「啄木日記」を読むであろうことを充分に意識して、これは書かれている小説の始まりなのだ、と。
 
 事は「啄木日記」の質そのものにも疑問が及ぶことなので、少しばかり慎重に論を進めて行きたいと思います。せっかくの京子ちゃんの誕生日なのに、無粋な文章で申し訳ありません。が、次回も「新聞記者・啄木」話題が続きます。私は、年末年始も関係ないヒマ人なもので…
 
次回は「12月31日」
 

 
啄木転々
「五月から始まる啄木カレンダー」改題
短歌篇 日記篇
 
絵葉書 / 付:2003.5〜2004.4カレンダー
各12枚組 プラスチック・ケース(スタンド式)入り