五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治四十丁未歳日誌 (1907年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治40.11.7〜12.5
(空白)
 
明治40年11月19日小樽日報
(主筆江東氏を送る)
 

 
主筆江東氏を送る
 
 窓うつ夜半の雨は、唯しと/\として、其囁きの深き言葉、人の身の我等に聞分くべくもあらず。打沸る白湯の音は、三尺の炉中ながらに深山の松風を立てたり。燈火かきたてゝ独り物思ふ。
 人は何処より来り、何処に往くや、人之を知らざる也。之を知らず、然も人の来り又去る、旦暮時を期せず、其数かぞへ難く其跡趁(お)ひ難し。我何が故に生れ、何が故に活くるや。
 ………
 
(小樽日報 明治40年11月19日・第25号)

 
 あー、疲れる!
 
 さすがのカナ漢字入力の名手の私でも、この『主筆江東氏を送る』は勘弁ね… 「人は何処より来り、何処に往くや…」以下、延々3ページに渡ってぎっしり卒業式の学長挨拶みたいな人生哲学もどきのオンパレード。(←こんなの誰も読めないっちゅーの!)
 

 ………
 主筆江東岩泉氏、昨日を以て突如「最後の一言」を草せらる。言々情切にして、之を読む者声涙共に下る、今日に至り、改めて我等編輯局裡の残党に慇懃なる告別の辞を賜はりぬ。
 噫、足下?に我が社を去られむとす。
 ………

 
 言いたいことは、これだけなんですね。でも、啄木は、この数行を、3ページぎっしりの無内容作文の言葉の森の中にそーっと隠す。やっぱり、主筆・岩泉江東排斥の張本人だけに、ちっとはばつの悪い想いもあったのでしょうかね。(なんとも殺伐とした会社…)
 
 
 岩泉江東は、野口雨情と同じく、札幌にあった北鳴新報社より小樽日報社への移籍組でした。北鳴時代からすでに雨情と江東の仲は悪く、その確執がそのまま小樽日報社に持ち込まれたような形です。そこに、札幌の北門新報社から移ってきた啄木が加わり、いわば火に油を注ぐような状態になったものと思われます。その勢いは、入社して五日後の10月5日啄木日記に、すでに
 
 遂に予等は局長(岩泉江東)に服する能はざる事を決議せり。予等は早晩彼を追ひて以て社を共和政治の下に置かむ。
 
という記述が見えるほどの凄まじさ。10月1日の第1回編集会議で全員顔を合わせて、わずか五日後のことですからね。しかし、この雨情−啄木の共闘戦線は失敗してしまいます。10月15日の『小樽日報』創刊の日、精養軒での祝賀パーティの席上で、この岩泉江東排斥の企みは露見してしまいます。その結果、あの有名な10月31日の日記、
 
 野口君遂に退社す。主筆に売られたるなり。
 
に至るわけですが、ここらあたりの江東−雨情−啄木のそれぞれの動き方は、三人のそれぞれ変な思惑がからんでよく意味がわからないことが多い。
 
 日記の、啄木側からの記述で見る限りは、江東排斥の謀議が発覚したのは、たぶん雨情−啄木の仲間割れが原因でしょう。つまり、「虫が好かない」式で単純に江東に対して憤っていた啄木とはちがって、雨情にはもっと陰険な計算があるように思えます。片方ではこういう単細胞の若造たちを煽っておきながら、もう片方の江東には、抜け目なく啄木たちの情報を流している…というような。この二つをぶつけておいて、どっちに転んでも、雨情がまんまと漁夫の利を得るような「陰謀の子」らしい線を狙っていたのではないでしょうか。
 でも、啄木はそれほどバカなわけじゃないから、この雨情−啄木の関係はどんどんギクシャクしたものになってきます。10月いっぱい、大好きな豚汁を食べながらも、二人は反目したり仲直りしたり、騙された振りをして騙したりといったことを繰り返していますが、この足下の不安定さをズバッと突いたのが主筆・江東の狡賢さではなかったかと思います。10月31日、社を辞めたのは野口雨情の方でした。啄木は月給が25円に増額され、さらに雨情がやっていた三面主任の地位までもが転がり込んできます。
 じゃ、啄木は江東にまんまと懐柔されたのでしょうか。江東一派に組み込まれたのでしょうか? いや、全然そうじゃないんですね。(ここが啄木という人の面白いところなんですけど…)この31日に至って、啄木の心は逆に「江東、排斥すべし」でピタッと決まるんですね。「野口君は悪しきに非ざりき、主筆の権謀のみ」の最終結論になります。それで結局、社長の白石東泉まで抱き込んでの11月16日主筆・江東解任という事態までエスカレートしてしまうのですが…
 
 
(白石東泉と「小樽日報」)
 
 
 『主筆江東氏を送る』。だから、11月19日の記事は、ある意味、啄木陣営の勝利宣言ともいえるものなのですが、それにしては、なんか燃えない文章なんですね。だらだら美辞麗句を並べただけの…意味ありそうで、じつは何の意味もない文章。かえって「これから何をすればよいのかわからない」混乱の内面が透けて見えそうな、隙だらけの文章に思えます。(事実、この半月後、岩泉江東の報復を胸に誓ったフセイン残党・小林寅吉の自爆テロを啄木はものの見事に食らうわけですが…)
 
 
 この10月〜11月の頃の江東−雨情−啄木の関係を上手く描写した作品があります。それは啄木の『札幌』という小説。青空文庫に入ってきましたのでさっそく次回で使わせていただきます。無駄な表現や描写(←啄木は小説が下手)をどんどん削ぎ落としてしまえば、この『札幌』は、埴谷雄高の『死霊』クラスまでは行くんじゃないか…と、そんな感想を持ちました。啄木の小説読んで、初めてオッ!と思いましたです。(←畏れ多いことですが、素人はものを知らないから平気でこんなことも言ってしまいます。)
 
次回は「11月23日」

 
 
啄木、小樽の街へ…

カレンダー価値の減却により、9月からの「啄木カレンダー」は400円の定価になります。さっさとカレンダー部分を取り外して単純な「啄木絵葉書」で売れば…というご意見もあったのですが、考えた末、スワン社独立の「2003年」を心に刻んで生きて行くことにしました。カレンダーは役に立たなくとも、啄木が小樽にやってきた九月は、永遠に九月だ…と想いきめることにしました。<新谷>
 
五月から始まる啄木カレンダー 短歌篇 日記篇
表/カレンダー,裏/ハガキ仕様 各12枚組
プラスチック・ケース(スタンド式)入り
 
案内はこちらです。