五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治四十丁未歳日誌 (1907年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治40.9.23 小樽日報社へ確定
野口雨情君と初めて逢へり
 
 9月23日
 秋の日ホカホカと障子を染めて、虻の声閑かに、いと心地よき日なり。午前ひき籠りて宮崎君並木君へ手紙かけり。事志と違はゞ十一月我と共に函館に帰れ、飢ゆるも死ぬも諸共といふ宮崎郁雨君は、げに世に稀なる人なり、予彼を呼ぶに京ちやんの叔父さんを以てす。並木君へは五七調の韻文にて二間許り手紙かけり。
 加地燧洋(国平)来る。
 夜小国君の宿にて野口雨情君と初めて逢へり。温厚にして丁寧、色青くして髯黒く、見るから内気なる人なり。共に大に鮪のサシミをつついて飲む。嘗て小国君より話ありたる小樽日報杜に転ずるの件確定。月二十円にて遊軍たることと成れり。函館を去りて僅かに一旬、予は又滋に札幌を去らむとす。凡ては自然の力なり。小樽日報は北海事業家中の麟麟児山県勇三郎氏が新たに起すものにして、初号は十月十五日発行すべく、来る一日に編輯会議を開くべしと。野口君も共にゆくべく、小国も数日の後北門を辞して来り合する約なり。
 小国君は初め向井君より頼まれて予を北門新報杜に紹介入社せしめたる人なり、今更に予と共に小樽にゆかむとす。意気投合とは此事なるべし。
 
 9月24日(秋季皇霊祭)
 朝小樽なるせつ子へ来札見合すべき電報を打てり。北門新報社に於ける予の後任としては、西堀秋潮君の推薦にかゝる新詩社々友園田愛緑君と内定したり。この日より予が「梁川氏を弔ふ」の文北門に出づ、三回にて了る筈。
 午後小栗君来る。
 夜 向井君の室にて大に宗教を論じ虚無を論じたり。予は予の意志二面観に出立する哲学を以て最高の思想と断定せり。予は他の人々の頭脳の何故明晰ならざるかを怪しまざるをえず
 
 9月25日
 午前小国書来る。
 吉野君より、第二子を予の与へたる浩介と名つげたる由のハガキ、小林君より問安のハガキ来る。十二日函館出立の前日出したる日高大島君宛のハガキ「本人出発後行方不明」との附箋をえて帰り来れり。
 小樽及宮崎郁雨君、岩崎吉野諸君、東京与謝野氏、岩本氏等へ小樽日報社へ転任の事を報ず。小林君来る
 夜、野口君を訪ひ、更に小国君をとふ。菅原来り合して大に談じ、一時帰る。
 
 9月26日
 夢さむれぱ雨。心蕭々たり。
 盛岡なる小野清一郎君より来簡あり
 吉野君より令弟遂に死去、明日葬儀執行のため帰国すとのたよりあり。友が上に幸あれかし、少なくともこの後は再び我が友を苦しむる勿れ、予は悲しき思したり
 
 

 
明治40年9月23〜26日
小樽日報社へ確定
 
 「9月17〜18日」のところでも紹介しました、函館の友人・並木武雄(ターちゃん)に宛てた9月23日付の手紙が、「青空文庫」の「石川啄木詩集」の中に『無題』の名で収められていますので引用します。
 
 
 無題
 
札幌は一昨日(おとつひ)以来
ひき続きいと天気よし。
夜に入りて冷たき風の
そよ吹けば少し曇れど、
秋の昼、日はほかほかと
丈ひくき障子を照し、
寝ころびて物を思へば、
我が頭ボーッとする程
心地よし、流離の人も。
 
おもしろき君の手紙は
昨日見ぬ。うれしかりしな。
うれしさにほくそ笑みして
読み了へし、我が睫毛には、
何しかも露の宿りき。
生肌の木の香くゆれる
函館よ、いともなつかし。
木をけづる木片(こっぱ)大工も
おもしろき恋やするらめ。
新らしく立つ家々に
将来の恋人共が
母ちゃんに甘へてや居む。
はたや又、我がなつかしき
白村に翡翠白鯨
我が事を語りてあらむ。
なつかしき我が武(ター)ちゃんよ、――
今様のハイカラの名は
敬慕するかはせみの君、
外国(とつくに)のラリルレ語(ことば)
酔漢(よひどれ)の語でいへば
m...m...my dear brethren!――
君が文読み、くり返し、
我が心青柳町の
裏長屋、十八番地
ムの八にかへりにけりな。
 
世の中はあるがままにて
怎(どう)かなる。心配はなし。
我たとへ、柳に南瓜(かぼちや)
なった如、ぶらりぶらりと
貧乏の重い袋を
痩腰に下げて歩けど、
本職の詩人、はた又
兼職の校正係、
どうかなる世の中なれば
必ずや怎かなるべし。
見よや今、「小樽日々」
「タイムス」は南瓜の如き
蔓の手を我にのばしぬ。
来むとする神無月には、
ぶらぶらの南瓜の性(さが)の
校正子、記者に経上り
どちらかへころび行くべし。
 
一昨日はよき日なりけり。
小樽より我が妻せつ子
朝に来て、夕べ帰りぬ。
札幌に貸家なけれど、
親切な宿の主婦(かみ)さん、
同室の一少年と
猫の糞他室へ移し
この室を我らのために
貸すべしと申出でたり。
それよしと裁可したれば、
明後日妻は京子と
鍋、蒲団、鉄瓶、茶盆、
携へて再び来り、
六畳のこの一室に
新家庭作り上ぐべし。
願くは心休めよ。
 
その節に、我来し後の
君達の好意、残らず
せつ子より聞き候ひぬ。
焼跡の丸井の坂を
荷車にぶらさがりつつ、
 (ここに又南瓜こそあれ、)
停車場に急ぎゆきけん
君達の姿思ひて
ふき出しぬ。又其心
打忍び、涙流しぬ。
 
日高なるアイヌの君の
行先ぞ気にこそかかれ。
ひょろひょろの夷希薇(いきび)の君に
事問へど更にわからず。
四日前に出しやりたる
我が手紙、未だもどらず
返事来ず。今の所は
一向に五里霧中なり。
アノ人の事にしあれば、
瓢然と鳥の如くに
何処へか翔りゆきけめ。
大したる事のなからむ。
とはいへど、どうも何だか
気にかかり、たより待たるる。
 
北の方旭川なる
丈高き見習士官
遠からず演習のため
札幌に来るといふなる
たより来ぬ。豚鍋つつき
語らむと、これも待たるる。
 
待たるるはこれのみならず、
願くは兄弟達よ
手紙呉れ。ハガキでもよし。
函館のたよりなき日は
何となく唯我一人
荒れし野に追放されし
思ひして、心クサクサ、
訳もなく我がかたはらの、
猫の糞癪にぞさわれ。
 
猫の糞可哀相なり、
鼻下の髯、二分程のびて
物いへば、いつも滅茶苦茶、
今も猶無官の大夫、
実際は可哀相だよ。
 
札幌は静けき都、
秋の日のいと温かに
虻の声おとづれ来なる
南窓、うつらうつらの
我が心、ふと浮気出し、
筆とりて書きたる文は
見よやこの五七の調よ、
 
其昔、髯のホメロス
イリヤドを書きし如くに
すらすらと書きこそしたれ。
札幌は静けき都、夢に来よかし。
 
   反歌
白村が第二の愛児(まなご)笑むらむかはた
泣くらむか聞かまほしくも。
なつかしき我が兄弟(おとどひ)よ我がために
文かけ、よしや頭掻かずも。
北の子は独逸語習ふ、いざやいざ
我が正(ただし)等よ競駒(くらべごま)せむ。
うつらうつら時すぎゆきて隣室の
時計二時うつ、いざ出社せむ。
  四十年九月二十三日
          札幌にて啄木拝
並木兄 御侍史
 
 
 
 夜小国君の宿にて野口雨情君と初めて逢へり。温厚にして丁寧、色青くして髯黒く、見るから内気なる人なり。
(9月23日/日記)
 
 この時期の、もうひとつトリビアな出来事。それは、ここで、啄木―小国露堂のラインに、ついに「野口雨情」の名が合流してくることです。これで、小樽日報社を舞台とした啄木人生劇場「小樽版」の役者たちは、ほぼ全員出揃った…かな。
 
次回は「9月27日」

 
 
九月、啄木は小樽の街へ…
 
カレンダー価値の減却により、9月からの「啄木カレンダー」は
400円の定価になります。さっさとカレンダー部分を取り外して
単純な「啄木絵葉書」で売れば…というご意見もあるのですが、
スワン社独立の「2003年」を心に刻んで生きていたい想いが
まだ残っているのです。9月一月間、よく考えてみます。<新谷>
 
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