五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治四十丁未歳日誌 (1907年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治40.9.12 橘智恵子を訪れる
我が心は今いと静かにして、然も云ひ難き楽しみを覚ゆ
 
 空はれて高く、秋の心何となく樹々の間に流れたり。この日となりて、予は漸やく函館と別るるといふ一種云ひ難き感じしたり。
 朝のうちに学校の方の予が責任ある仕事を済し、ひとり杖を曳いて、いひ難き名残を函館に惜しみぬ。橘女史を訪ふて相語る二時間余。
 我が心は今いと静かにして、然も云ひ難き楽しみを覚ゆ。
 恋ひする者をして恋せしめよ。怒る者をして怒らしめよ、笑ふ者をして笑はしめよ、悲しくして泣き、楽しくして笑ふ、これ至理なり、止まるべくして止り、去るべくして去る。この身この心唯自然の力の動くに委して又何の私心なし。この函館に来て百二十有余日、知る人一人もなかりし我は、新らしき友を多く得ぬ。我友は予と殆んど骨肉の如く、又或友は予を恋ひせんとす。而して今予はこの紀念多き函館の地を去らむとするたり。別離といふ云ひ難き哀感は予が胸の底に泉の如く湧き、今迄さほど心とめざりし事物は俄かに新らしき色彩を帯びて予を留めむとす。然れども予は将に去らむとする也、これ自然の力のみ、予は予自身を客観して一種の楽しみを覚ゆ。
 この日、昨日の日附にて依願解職の辞令を得たり、
 午后高橋女史をとひ、一人大森浜に最後の散策を試みたり
 
 

 
明治40年9月12日
橘智恵子を訪れる
 
 今回は、私の発行しています「図書館ネットワーク・マガジン『SWAN』」2003年8月号に載せました「牛鍋蝸牛−2ちゃんねるに札幌を教えてもらう」という文章から「啄木/橘智恵子」に関連した部分を転載します。『SWAN』、『Northern songs』とも、単純に北へのガイドブックとわりきってもそれなりに面白く読める雑誌ですので、どうかご一読を。
 
 
図書館ネットワーク・マガジン
2003年8月号
 
牛鍋蝸牛 2ちゃんねるに札幌を教えてもらう
たるげい 2003年8月17日号
新谷 保人
 
 見知らぬ店に入るのはなんとなく鬱陶しい。旅先で昼飯を食う時間になっても、よほど必要に迫られないと店を探そうとしない。なんでもいいや…と思っているわりには、飲食街の店の前に立つと、こんなのは厭だなぁ…とか、もっと先の方にマシな店があるんじゃないか…とか考えてしまっては、ウロウロ。結局、昼は抜いて、夜昼兼用の晩ご飯を必要以上に食べてしまってお腹が苦しい…とか、そんな馬鹿なことをよくやっている。
 
 そんな優柔不断が、あの「2ちゃんねる」に行きつけの店ができたというのだから、なかなかこれはビックリなのです。毎夜ススキノのバーに出入りするのと同じくらいの豹変でしょうか。最近足繁く通っている2ちゃんねるの「板」はこちらです。で、お店の名前は「【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌」と言います。
 
    (中略)
 
 最後に、引用をもうひとつだけ。「啄木」関連の話題です。
 
 
【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その八】

219 名前: 牛鍋蝸牛 投稿日: 2003/05/12(月) 21:33 ID:.Zt8DjkY [ N046004.ppp.dion.ne.jp ]
実はちょいと気になって、しょうがないことがあります。
>>29の西創成さんのレス、
「▼牛鍋氏に連絡
南4の石川書店1階入り口すぐの札幌文庫のある棚に、『いく代の70年・割烹いく代』という冊子が売っていました。(今日確認)1200円だそうです」
の件。
買いに行きたいのですが、なんともおっくう…。
車で移動のワシにとってはススキノあたりは、「あ〜、イラツク…」ってなもんでね。
どなたか替わりに買って、「らーめん あび」に預けてくれる奇特な方はおられないだろうねぇ。
実費はお支払いしますけどね。(本代とラーメン代くらい。ただし、ラーメン代は700円まで)
あ、それはさて置き…。
>>216で出てきました、「大友亀太郎」は本スレではお馴染み。
「高木長蔵(ちょうぞう)」に関して、「さっぽろ文庫66 札幌人名事典」から要約しましょうや。
「東区元町開発の先駆者。新潟県の旧家出身、分家して土木請負いを業とし、三十三歳で単身北海道へ渡る。箱館で大友亀太郎と出会い、元村へ入植し、大友掘の開削等に土木経験を生かす。
本陣(現中央区南2東1)に出仕後、8年元村に戻り、外国人ボーマーの指導でリンゴ園を経営し、本道リンゴ栽培の草分けとなった。かつてこの地は広大なリンゴ園が広がり、啄木の歌にも歌われた」

220 名前: 18丁目 投稿日: 2003/05/12(月) 21:50 ID: [ p14242-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
ふーむ、苗穂・元村といえば、知りすぎちゃってますので、発言は控えましょう。
ちなみに、以前も書きましたが、高木長蔵さんの子孫とは飲み友達です。
っかー!りんご園のこともとうとう出てきましたね。
「石狩の都の外の君が家 林檎の花の散りてやあらむ」
石川啄木の有名すぎる処女歌集「一握の砂」で詠まれたのは、元村の橘智恵子を慕ってのものです。
啄木は当時元村まで訪ねて来たんですよね。

221 名前: なまら名無し 投稿日: 2003/05/13(火) 06:50 ID:Oq7EP16Q [ n137010.ap.plala.or.jp ]
「石狩の都の外の君が家 林檎の花の散りてやあらむ」
この歌碑、たしか天神山国際ハウスにあったような・・・

 
 
【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その十】

95 名前: 18丁目@本村 投稿日: 2003/08/17(日) 02:12:10 ID:[ sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
東区在住様
以前、牛鍋さんがいかれたここのことでしょうか?
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=600
その8の↓からのレスの流れをご一読ください。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/8_log.html#220
あすこは、高名な石川啄木が一目惚れした女性の実家なんですね。
それで、啄木が函館大火をきかっけに、札幌に出てきた際にこの女性の実家を訪ねたんです。
しかしこのとき既に“女性”は北村の牧場主のところに嫁いでいったあとだったんですよ。
啄木の札幌滞在のエピソードは、北大の近くで居候していたということぐらいしか語られないので、
この元村訪問の件はかなりマイナーエピソードです。

 
 そうなんです。歌集『一握の砂』の中で橘智恵子を詠った歌は、この歌の他にも全部で22首にものぼります。さらに啄木は北海道一年間の流浪を終えて東京での暮らしに入っても、それでも日記に「人の妻にならぬ前に、たつた一度でいゝから会いたい!」なんてもの凄いことも書いているのです。
 
 まあ、そのような啄木のあつい想いは叶うべくもなく(当たり前…)、東京の啄木の元には、智恵子の礼状と、嫁ぎ先の北村の牧場でとれたバターが届けられたわけでした。
 
 石狩の空知郡(そらちごほり)の
 牧場のお嫁さんより送り来し
 バタかな。              (悲しき玩具)
 
 バターを手に持った啄木って、かなりミスマッチだ…
 
 
 「啄木」関連としては、やはり【その八】の後半部分が圧巻でしょう。啄木が札幌〜小樽にやってくる9月14日を前にして、このサイトを発見したおかげで、いやー、ずいぶんと面白いことになってきたなぁ!と独りで喜んでいます。
 
次回は「9月13日」

 
九月、啄木は小樽の街へ…
 
カレンダー価値の減却により、9月からの「啄木カレンダー」は
400円の定価になります。さっさとカレンダー部分を取り外して
単純な「啄木絵葉書」で売れば…というご意見もあるのですが、
スワン社独立の「2003年」を心に刻んで生きていたい想いが
まだ残っているのです。9月一月間、よく考えてみます。<新谷>
 
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