五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治四十丁未歳日誌 (1907年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治40.9.5 浜辺にて涙
夢みてありし時代を思へば涙流る
 
 夢はなりかし。夢みてありし時代を思へば涙流る。然れども人生は明らかなる事実なり。八月の日に遮りもなく照らされたる無限の海なり。
 予は今夢を見ず。予が見る夢ば覚めたる夢なり。
 予は客観す。予自身をすらも時々客観する事あり。かくて予のために最も「興味ある事実」は人間たり。生存なり。
 人間は皆活けるなり。彼等皆恋す。その恋或は成り或は破る。破れたる恋も成りたる恋も等しく恋なり、人間の恋なり。恋に破れたる者は軈て第二の恋を得るなり。外目に恋を得たる人も時に恋を失へる人たる事あり。
 予は此日より夕方必ず海にゆく事とせり。
 
9月6日
 かはたれ時、砂浜に立ちて波を見る。磯に砕くるは波にあらず、仄白き声なり。仄白くして力ある、寂しくして偉いなる、海の声は絶間もたく打寄せて我が足下に砕け又砕けたり。我は我を忘れぬ。
 
9月7日
 この日の夜、吉野岩崎並木三君を会して徹夜す。三君は歌を作れり、予は横になりて「明らかなる事実」を思ひぬ。歌唯一首。「わがひける心の弓の弦緒きれ逆反りしたり君を忘るる。」
 いと忘れ難き夜なりき。予戯れに作りて岩崎君戯れに朗読したるもの次の如し。
「歌作り、歌の一束枕とし、
ひとり臥せりて、悲しみの極みに酔はむ、
あはれその甘きふるひよ。又ひとり
猛にもえなむ、伊太利亜のエトナの山の
燃ゆる如。」かくいふ人はさながらに
達磨の如く打黙し、いとも明るき
燈火をまともに浴びて、面沈む。
又足長く横はる反逆の児は
太股を蚤に喰はれて、がりがりと
逞まし爪にかきはだけ、さて歌ふらく、
「空のもの、あらず近くに君あれど
たゞ手つかねてせむ術もえず。」
かく歌ひ、あはれ其昔、山寺の
娘――蔭野にうつむけるよろよろの百合――
恋ひにけむ日を思出て、からからと
ほ手ふち笑ふ。又一人、恋なし男、
江戸生れ気早の性の若人は
しきりに歌を生まむとて汗をこそかけ。――
世に何処唯一人にて予を孕む
女あるべき。恋なくて歌やは生る。
この理屈知らぬさまなるもどかしさ。――
かくて、ひと時咳もせず過ぎにげらしな。
この時に反逆の児はつと立ちて
便所にゆきぬ。壁による達磨人 猶
物いはず。恋なし男あくびしぬ。
かくて又ひと時すぎぬ。やがて又
二時過ぎむ。夜はふけて夜廻りが曳く
金棒の響きさびしく、燈火は
?々と音に鳴き、眠たげに白くこそ照れ。
こゝにまた一人の男、この様を
そしらぬ様に寝そべりて、灯に面そむけ、
百人の恋の数々、また昨日
新らしく得し半熟の恋を楽しみ、
空寝入、狸つかひて、腹の中
くすぐる思ひ、ほと息し、涎流しぬ。
天井の鼠この時ちちとこそ
笑ひにけりな。あはれげに此世の中は
どこまでもあるが儘にて
面白き世の中なれや。
 この戯作成りて後、並木君は其いと淡くして趣きある小説の如き恋を語りぬ。名も知り顔も知れと、相語りたる事なき十八の少女ありき。火事のために家を失はれて母と妹と三人、船して横浜にゆきぬ。並木君は郵船会社員なり。乃ちひそかに小樽丸にゆき、事務長に頼みてこの三人を一等客としぬ。女はこの好意を永しへに知らざるべし。かくて小蒸汽にのりて帰りくる時わが心いふ許りなく満足を覚えき、と。蓋し東廻の汽船には何れも一二等なく三等のみなるなり。
 
 

 
明治40年9月5日
浜辺にて涙
 
 「浜辺にて涙…」などというキャプションを見ると、反射的に、ホームページ『微照庵』の文学紀行に出ていた小樽オヤジの「啄木は負け犬さ」というセリフを思い出す。
 
 「かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ」
 旭展望台から見た小樽の町
 小樽商大行きのバスに乗って、途中で下車。坂道を15分くらい上ると、この展望台に到着。木が少し邪魔だが、良い眺めだ。のんびりとフェリーの出航を眺めることができた。
 観光ビデオを撮っているというおじさんと、しばし歓談。彼は「啄木は負け犬さ」「蟹とたわむれてなんていられるかよ」だって。でも、「北海道の人は、たいていは啄木が好きだね」とも。
 
 いるんだよな、こんなオヤジ…「東京」から来た娘さんに媚びるオヤジ。おどける奴。
 「北海道の人は、たいていは啄木が好きだね」なんてフォーローもダサい。当人は(これでキマったな…)とか思っているのだろうけれど、ただの無学な田舎者だ。小樽の恥ね。
 啄木のことを「孤高」だの「病苦」だのと言う手合いも好きじゃないが、こういう「蟹とたわむれてなんかいられるかよ」っていう連中も御免被りたい。どっちも当の啄木の歌を読んでないことじゃ、同じ穴の狢。以前、『Love Letter』を観たこともない連中が「さあ、ここが映画『ラブレター』にもとりあげられた小樽です」って韓国の学生相手に演説している光景に出会ったことがあるけれど、あれと同じくらいの赤面。
 
 『微照庵』の「一葉日記」、愛読しています。『にごりえ』『たけくらべ』を読んだり観たりした程度の素人ですが、そんな人間にも面白く読める。明治の東京の街が活き活きと眼前に現れてきます。(以前NHKドラマで「一葉」役をやっていた大原麗子の姿形で動きまわるところがミーハーだが…)
 この時代の東京がいちばん好きですね、個人的には。漱石の「三四郎」や「こころ」の先生が歩いていた街。啄木たちが歩いていた時代とはほんの10年くらいのちがいでしかないのですけれど、何故か、もう啄木たちの時代の明治だと「煩い(うるさい)」という感じがする。大正のデモクラシー民衆の喧噪が、もうそこまでやって来ている…というか。
 
 9月7日の啄木の詩(?)、もの凄くくだらない詩じゃないでしょうか。
 
次回は「9月8日」

 
 
九月、啄木は小樽の街へ…
 
カレンダー価値の減却により、9月からの「啄木カレンダー」は
400円の定価になります。さっさとカレンダー部分を取り外して
単純な「啄木絵葉書」で売れば…というご意見もあるのですが、
スワン社独立の「2003年」を心に刻んで生きていたい想いが
まだ残っているのです。9月一月間、よく考えてみます。<新谷>
 
五月から始まる啄木カレンダー 短歌篇 日記篇
表/カレンダー,裏/ハガキ仕様 各12枚組 プラスチック・ケース入り
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