五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
明治四十丁未歳日誌 (1907年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
明治40.7.7 青柳町の新居へ
節子と京子は玄海丸にのりて来れり
七月七日節子と京子は玄海丸にのりて来れり、此日青柳町十八番地石館借家のラノ四号に新居を構へ、友人八名の助力によりて兎も角も家らしく取片づけたり、予は復一家の主人となれり、
明治40.7.8 函館より 宮崎大四郎宛書簡
昨日の御礼申上候。
お蔭にて人間の住む家らしくなり候ふ此処、自分の家のやうでもあり他人の家のやうでもあり自分が他人の家へ来てるのか、他人の家へ自分が来てるのか、何が何やら今朝もまだ余程感覚が混雑して居り候、ヘラがない、あゝさうだつた、といふので今朝は杓子にて飯を盛り候、必要で、足らぬものまだある様に候、否、数へても見ぬがあるらしく候、兎に角一本立になつて懐中の淋しきは心も淋しくなる所以に御座候、申上かね候へど、実は妻も可哀相だし、○少し当分御貸し下され度奉懇願候、少しにてよろしく御座候、早々
八日朝
青柳町十八、ラノ四号 石川啄木
宮崎大四郎様
明治40年7月7日
啄木、青柳町の新居へ
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花
七夕の頃になって、ようやく私たちがイメージする函館時代の啄木の生活が始まります。弥生小学校の代用教員の方も一応順調。妻子も函館に呼びよせて、この幸せが続けばどんなにいいだろうか…という啄木です。
宮崎郁雨に引っ越し手伝ってもらったのでしょうか。翌日の礼状。朝ご飯のヘラがない…というさりげない逸話から始まって、そこから流れるように借金の依頼にたたみ込む(「実は妻も可哀相だし…」というフレーズの挿入がじつに利いている!)語り口があまりにも「啄木」なので、面白くて引用しました。
潮かをる北の浜辺の
砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ
今年も咲けるや
季節は夏。「潮かをる北の浜辺の」青空の下でこんな手紙を読んでいると、なんか、あまり憎めなかったのでしょうね。しょうがないなぁ、石川くんは…とでもいったところか。同じ手紙でも、これを暮れ近い11月の雪の小樽で読んでいたら、受ける印象はずいぶんちがったものになるでしょうね、きっと。
次回は「7月16日」
五月から始まる啄木カレンダー
短歌篇 日記篇
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