五月から始まる啄木カレンダー
デジタル篇
 
 

 
明治四十丁未歳日誌 (1907年)
(「啄木勉強ノート」HPより引用)
 
明治40.5.11
函館の夏 (9月6日記)
 
5月31日
 五月三一日予は会議所を罷めたりこれより数日予は健康を害し、枕上にありて友と詩を談じ歌を作れり、
 

 
明治40年5月31日
啄木、商業会議所を罷める
 
 また、やってしまった… いつもの啄木。
 心機一転、舞台を北海道に移して、函館の地で初めて得た仕事だったのに…
 
 5月の11日から31日までの二十日間あまり。この時間が長いか、短いのか…まあ、啄木にとっては、何も面白味もない「無能君」たちと毎日選挙人名簿を書き写すような仕事は本当に厭だったのでしょうね。でも、誰だって、この砂を噛むような思いに耐えて生活の部分を形作っているのであって、「詩を談じ歌を作り」に集まってくる時の顔とは別の顔を持っているんだということを知らない啄木ではあるまい…と普通は思いますよね。(だから一大決心して北に渡って来たんだろうと道民なら誰だって解釈します) でも、啄木って、もしかしたら、こういう基本的な感情部分のタガが外れているのではないだろうか。底に大きな穴が開いたバケツなのではないか…ということを最近思うのです。そういう視点で「詩を談じ歌を作」る函館の仲間たちを描いた歌をみると、なかなか興味深い。
 
若くして
数人の父となりし友
子なきがごとく酔へばうたひき   (→吉野白村)
 
とるに足らぬ男と思へと言ふごとく
山に入りにき
神のごとき友            (→大島経男)
 
おそらくは生涯妻をむかへじと
わらひし友よ
今もめとらず            (→岩崎白鯨)
 
 うーん、なんか… 「辛辣」とか「観察眼」とかいうよりは、なにか人間関係の境界線ルールが壊れているような気がする。他人(ひと)にはあまり見せたくない、それぞれの生業(なりわい)の部分に、ものを知らない子どもが平気でズカズカと入り込んで来たような感じです。
 
次回は「6月11日」
 

 
 
五月から始まる啄木カレンダー
短歌篇 日記篇
 
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