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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



北の沢クロニクルA/おとぎり草
 
 

 傾斜はいよいよきつく、熊笹もいたどりの葉もそよりともしなかった。振り返ると、目の下に北の沢の集落が見えた。竜川、寿橋、集会所、集乳所、神社、雑貨屋、学校、そして白くうねるのは村道だ。父があえぎあえぎ病院から戻って来た道であり、秋には修学旅行のバスが走って行く道である。車窓から手を振る友の顔が浮かんだ。
(峯崎ひさみ「おとぎり草」)

 母の死。母が眠る床の前に、どこかからか、うつ病の父が持ち出してきたおとぎり草の臭いが、四十年ほども遙か昔の北の沢の夏へと誘う。
 八重門岳のおとぎり草。一家の万能薬、おとぎり草刈りを、夏休みに入って、いつになく早く言い出したのも父だった。なぜ、忙しい夏の畑仕事をほっぽらかして家族を八重門岳に連れて行こうと思ったのかは今となってはよくわからない。でも、貧しくて、娘を修学旅行に出してやれない父の、せめてもの詫びの気持ちもあったのではなかろうか。

 両親に話さなければならないことがあった。今日こそ、明日こそと思いながら、とうとう言い出せずに来てしまった修学旅行の件だ。
 出発日・十月一日・集合場所・北の沢中学校校庭
 一日目・六時出発。洞爺湖にて昼食。登別温泉泊まり。
 二日目・登別温泉出発。札幌丸山動物園にて昼食。北海道新聞社見学。札幌泊まり。
 三日目・札幌市内自由見学。午後二時、札幌出発。中山峠経由夕方六時校庭着予定。
 何度となく広げては引き出しに戻した藁半紙の一字一句が目の裏に焼きついている。謄写版の墨の色も鮮やかなそれをもらったのは、一学期最後の日だった。下の方は申し込み欄になっており、参加、不参加のどちらかに丸をつけ、二学期の始業式に提出しなければならない。
(同書より)

 とうとう修学旅行には行けなかった。学校を卒業して、就職先を札幌に決めたのも、あの夏の切なく暗い心の穴を埋める気持ちがあったのかもしれない。修学旅行に行った級友たちへの思いもまた。
 二度と北の沢に戻ることのない札幌の暮らし。家族。二人して北の沢の土になるのだと声を震わせる両親を、無理矢理札幌に連れてきたこと。そして、父の発病。母の死。

 「母さん、死んじゃったのよ。だから、おとぎり草なんか飲ませたって仕方ないの」
 最後の方は言葉にならなかった。父は子供のように首を振り、ガス台を指して何かわめいた。
 「わかった。煎じて上げようね」
 臨終の時にさえ出なかった涙が、汗と混じって私の頬を流れた。
(同書より)

 初めての親の死は、悲しみなどとは全くちがう思いを子どもに残す。それが、母の死であったか、父の死であったかによっても大きくちがう。二度と辿り着けない、おとぎり草の夏が来た。
 
*****

 竜川、寿橋、集会所、集乳所、神社、雑貨屋、学校…

 私も北の沢へ行きたい! 春になってからというもの、ずっとそのことばかり考えています。北の沢はダムの底に沈んでしまっていることを知ってはいるけれど、でも、そこに辿りつけば、何かがそこに残っているのではないかという妄想が私にとり憑いています。(現在、さらに上流で巨大水力発電所の建設が進められているため、ダムへ向かう道は遙か手前で立ち入り禁止地域になってしまう)
 去年開通した国道三九三を使うと、この「おとぎり草」にも登場する八重門岳の裏側に出ることができるのですが、驚くべきことに、こんな山奥の場所にまで、小径がつけてあったり、祠があったりするのです。百年前に山梨県移住民団が入植した地域「甲斐」が、およそとんでもない八重門岳頂上といってもいいような地域だったことを思い起こします。ほんとに人間の生命力って、とてつもない。
 


 峯崎ひさみ氏の小説「穴はずれ」。収録作品は、「小豆」、「おとぎり草」、「種付けの集落」、「穴はずれ」、「バイキ!」、「ヤンチャ引き」の6作品。奥付の著者略歴には、「峯崎ひさみ (みねざき・ひさみ) 一九四七年、樺太豊原市生まれ。北海道育ち。美容師、健康飲料販売員、食品会社勤務などを経て、文芸同人誌『MIDORI』に、「針」「影踏み」「雨の牛宿」「約本」などを発表」と記されています。