小樽マジカル・ミステリ−・ツア−@
《小樽の街を歩こう 第18回/短大図書館だより 2002年12月号》
 
 
 数年前、もうすぐ20世紀も終わろうか…という頃、テレビ各局が「今世紀の○○」といった特別番組をよく組んでいました。その中でも、NHKで放映された番組が今でも強く印象に残っています。
 この企画は、広く民間に埋もれている8ミリ・フィルムなどの映像記録をNHKが集め、都道府県単位で編集・保存したものなのですが、やはり昔の映像故、ほとんど全ての映像資料が「白黒」でした。毎回、当時の白黒写真やニュース・フィルムなどが流れるのですが、これの、「北海道」の回の時だけは本当にびっくりしましたね。
 当時の札幌の街の様子、函館の市民生活…というように画面は進んで行くのですが、突如、「小樽」の場面になると、画面が急に「カラー」になったのです! 目が白黒画面に慣れていますから、「小樽」の部分だけカラーに切り替わると本当にショックが大きい。軽く一世紀くらいの時間を飛び越えてしまったかのような気がしてきます。
 
 金持ちだったんだなぁ…とつくづく思います。当時の小樽って。ヨーロッパで、世界で初めて売り出されたカラー・フィルム。それを、発売と同時に即発注して、パッと使ってしまう。
 
 とてつもない金持ちなんじゃないですか。映像は、ある民間人一家の結婚式に集まった親戚たちを自分の家の庭かなにかで撮っている…といったスナップ映像でした。これがおじいちゃん、これが結婚する嫁で、これが孫の誰々だよ…といった、多愛もない家族ムービーです。
 当時の東京の放送局だって、こんなことにカラーフィルムを使ったら上司から厳重注意でしょうね。そんな時代に、北の小樽にはこんな人たちがいっぱいいた…ということが、とても面白い。啄木が「声の荒さよ」と詠った、当時の小樽の街の活気が目に見えるようです。
 
 
 かように、小樽の街に残された写真資料・映像資料は豊富です。そういう資料を、今の私たちにやさしく、そして、わかりやすく教えてくれる本が出版されています。北海道新聞社が編集・発行した『小樽街並み今・昔』。解説の文章は前博物館長の大石章氏。
 
 
 『今・昔』と書いて、「いま・むかし」と読みますが、この本の凄いところは、じつは「今」の部分なのです。
 「昔」の写真のラインナップが、他のこの手の本と比べてはるかに水準以上であることは誰もが認めるところです。膨大な写真資料の中から選抜されてきた優秀選手ばっかりですからね。見ているだけでもうっとりします。
 
 でも、「今」の部も、全然負けてはいないのですよ。本の一部分を紹介します。
 
 
どうです。凄いでしょう! 「今」の写真が、「昔」の写真とまったく同じ位置、ぴたっと同じアングルから撮り直されているのです!全編を!
 こういうアイデア、思いつくだけだったら誰でもできます。でも、実際にそれを実行するとなったら、誰もができるわけじゃない。やはり頭が良くないと…(「時代考証」って思ってるほど簡単なことではありません) さらに、その上で、フィールド・ワークの体力も必要…と、いろいろな能力の総動員体制なのです。
 で、さらに、最終的には、一冊の本として読んでいて面白くなければならない。この、ことごとくの難関をクリアして出てきた本が『小樽街並み今・昔』といっていいでしょう。大石氏の回想文は、小樽に育った人たちが何故かみんな持っている満足感(郷土愛)のようなものに溢れていて、本を読んでいるこちら側もそういう安心感が伝わってきます。私たちはいい本にめぐりあった。
 
 
 昔の「小樽」の映像を見ると、他の町にはない特徴にいくつか気づきます。
 
 まず、市内の電柱の「碍子(がいし)」が異常に多いこと。「碍子」というのは、電柱に電話線を受ける時に使う、陶器などでできたポッチのような部品ですが、一本の電柱にものすごい数の碍子が付いている。それだけ、市内での通話量が多かった、賑わっていた…ということを物語っているのではないでしょうか。張り巡らされた電話線と4階建て、5階建てといった石造建築群が続く街の光景を見ると、小樽って、当時の日本の中でも珍しい「未来都市」「電脳都市」だったのではないかと感じます。
 
 
 もうひとつ。それは、海上での「船」の多さです。この「明治36年・小樽港」なんか凄いですね。(私は、この写真を見ていると、いつも遠近感がわからなくなって目がクラクラしてくるのですが…) 写真の構図が壊れるくらい、小さな港いっぱいに「船」がひっきりなしに出入りしている…というのが「小樽」写真の大きな特徴です。
 
(→1月号Aへ続く)
 

 
 
                           
 
しばし、小樽マジカル・ミステリー・ツアーをお楽しみください…