啄木のいた季節
《小樽の街を歩こう・インターネット編 第17回/短大図書館だより 2002年11月号》
 
 
 現在、「小樽啄木会」ホームページでたいへん面白い企画が進行中です。まだ見ていない人は、今すぐ行ってみよう! それは、石川啄木が小樽に暮らしていた明治40年9月27日から翌年1月18日の毎日を再現してみようという試みです。
 ベースになっているのは、小樽啄木会会長の水口忠先生が三年前に市立小樽図書館の文化講演会で行った『明治40年・啄木と小樽』の発表資料。
 
 ホームページの方では、その資料に加えて、ふんだんに画像データを折込んでいます。例えば啄木日記に、
 
 9月27日  午後4時10分発小樽着
    雨    姉の家に入れば母あり妻子あり妹あり、京子の顔を見て…
 
という記述があれば、その行の前後には「当時の小樽中央駅」「山本駅長夫妻と妹・光子」の写真を配置してある…という親切さ。
 
 例えば、
 
 11月6日  この頃藤田南洋、高田紅果が訪問し、その後も交流が続いた。
   快晴
 
という記述があれば、「藤田南洋」 「高田紅果」の写真があるのはもちろんですけれど、面白いのは「高田紅果」の名のところをクリックすると、自動的に高田紅果の歴史的文章『在りし日の啄木』にジャンプする…といった楽しい工夫もこらされています。
 そして、今日が例えば「11月6日」だとしたら、そこの部分はバックの色を違えてありますから「11月6日/今日の石川啄木」が何をやっていたのか…ということが手にとるようにわかります。小樽日報社の帰りに同僚の野口雨情と豚汁を食べた…とか、出社一週目(!)にして、もう得意技の「借金」を始めているとか、等身大の石川啄木・小樽の日々を窺うことができます。
 
 
 この「図書館だより」が発行される11月中旬あたりの石川啄木というのは、いわば「嵐の前の静けさ」とでもいえましょうか。
 「嵐」とはあの有名な12月12日の事件のことですが、まだ、この11月の時点では、そんな気配は現れてはいません。表面的には少年ファンが家に訪ねてきたり、社内でも啄木の言い分が通って、気に入らない主筆を排斥したり、自分の友人を新編集長に迎え入れたりとか、やりたい放題です。
 この有頂天の影では、追い出された主筆たちのようなぶすぶすした恨みの感情がしだいに溜まってきているのですが、啄木は全然気づいていません。この無防備さ加減がとても啄木らしいといえば啄木らしいのですが。
 
 ちなみに、啄木日記では、この時期はちょうど空白の時期にあたります。全然書かれていません。仕事が忙しかったのでしょうか。順風満帆のように見えても、啄木なりに感ずるところがあったのでしょうか。(日記が再開されるのは、ちょうどこれから一か月後の、あの「12月12日」以降です。)
 
 
 啄木が北海道を流浪していたのは明治40年の5月から翌41年の4月までの一年間ですから、この「小樽啄木会」方式を適用すると、ちょうど一年分の「啄木・北海道の日々カレンダー」が作れます。函館〜札幌〜小樽〜釧路の美しい風景写真と組合わさった「何月何日/今日の啄木」カレンダーなんてものがもしも書店で販売されていたなら、私なんかは衝動買いしそうですね。(「北海道みやげ」としても、かなり人気になるのではないだろうか?)
 
 あるいは、今年の9月に「札幌啄木会」が発足しましたから、これで函館〜札幌〜小樽〜釧路の各啄木会が揃いぶみ状態になりました。ですから、この「啄木の毎日」企画を各ホームページの持ち回りにするのも面白いかもしれません。例えば、啄木が釧路に移った1月21日からは、小樽啄木会の『明治40年・啄木と小樽』は終了して、今度は釧路啄木会ホームページの方で『明治41年・啄木と釧路』企画がスタートするとか…(うん、これも面白そうですね。)
 
 
 
今から96年前…
啄木も見上げていた秋の空
歩いていた小樽の街