模倣犯も来た街
《小樽の街を歩こう 第14回/短大図書館だより 2002年6月号》
 
 
 角田真弓という二十歳の専門学校生だった。小樽に住んでおり、一昨年の夏、彼女が危うく拉致されそうになったのも小樽市内で、しかも当時の彼女の自宅から徒歩で五分ほどの距離しか離れていない場所だった。
 「角田さんは、実は東京の人なの。お父さんの仕事の関係で高校一年生のときに小樽に引っ越したんだけどね。ホラ、小樽ってガラス工芸が盛んでしょう? 彼女、すっかりそちらに興味を持ってしまって、今通っているのもガラス工芸の学校なのよ。ご家族は、去年お父さんがまた東京へ異動になって、みんな戻っちゃったんだけど、そういうわけで彼女ひとり小樽に残ってるんだって」
「一昨年というと、その娘さんは高校生か」
「うん。夏休みだったそうよ。………
(宮部みゆき著『模倣犯』より)
 
 物語の後半までなかなかその正体さえつかめなかった連続猟奇殺人犯に対して、警察側の反撃の狼煙第一弾を与えたものこそ「小樽の角田さん」のインターネット・メールなのではありました。小樽、すごいじゃないですか。日本サッカー史の流れを変えた、鈴木選手、執念のシュート…といったところです。
 
 「国道五号線から車で五分くらい入った新興住宅地…」。小樽でいうと望洋台とか新光といった町の設定になるのでしょうか。何でまた宮部みゆきはこんなすばらしい舞台設定を作ってくれただろう? よくわからないのですが、でも、単純にうれしいものですね。テレビの試合ビデオで、「あっ!今、画面の観客席のここに立っているの俺だよ」とか、そんな感じです。
 事件は関東エリアでだいたい進行する物語なのですが、模倣犯への逆襲開始ということもあって、少し景気良く物語を盛り上げたかったのでしょうか。一発張り込んで、ここは「小樽」で勝負だ!となったのかな。
 映画『模倣犯』はこれから観に行くつもりですが、最近「小樽」で映画ロケを行ったという話は聞いていませんから、映画の方は設定を変えているのかもしれません。
 
 
 この『模倣犯』に関しては、映画を観る前に、本を読んでしまうことをお薦めします。宮部みゆきは、久しぶりに出てきた大型の作家です。将来、山本周五郎や松本清張のような国民的大衆作家になりうる風格を今から醸し出している。
 
 私の場合は、きっかけは、やはり『模倣犯』でした。人が言うほど『理由』ではピンと来なくて(面白かったことは面白かったけれど)次に続かなかった。書き込みがちょっとくどすぎて…
 『模倣犯』も『火車』もくどいことはくどいのだけど、なにか、『理由』とはちがう洗練があるような気がする。まあ、ほんのちょっとした素材の好みのちがいなんだろうけれど。
 『模倣犯』に登場したふたりの刑事の線から『クロスファイア』と『R.P.G.』へ。(たぶん、この辺で完全にハマった…)
 『クロスファイア』の「超能力」つながりで『蒲生邸事件』〜『竜は眠る』へと大通りをまっしぐら。
 『蒲生邸事件』の「二二六事件」つながりで『人質カノン』へ。
 ここで『火車』をちょっと経由して『R.P.G.』と合流、そのまま「下町庶民」物語へ。ただし、時代は『蒲生邸事件』の帝都を越えて『ぼんくら』の江戸までGO!
 還ってきては准デビュー作の『パーフェクト・ブルー』、若々しくてよござんした。そして、希代の名作『うそつき喇叭』を含む、古本屋探偵登場!『淋しき狩人』。
 
 と、まあ、ここまでタイトルを挙げてきて、まったくハズレがない!読んで損した…時間の無駄だった…ということが一冊もない!なんてこと、信じられるでしょうか。凄いことです。それで、まだ『魔術はささやく』や『レベル7』や『スナーク狩り』といった高名な作品が残っているというのですから、本当に凄いものだ。ほとんど、女「イチロー」といったたたずまいです。
 
 
 宮部みゆきの経歴で目を引くのは、都立隅田川高校を卒業した後「法律事務所に勤務」していたというところです。
 
 法律事務所には、当然、『判例時報』みたいな資料が山とある。これがくせ者なのです。小樽短大図書館も過去に二回ほど『判例時報』を扱った時期がありますけれど(現在は購読していない)、これはとても興味深い資料なのですよ。
 正確に言うと、20回に1回くらいの大爆発というか。本当に「事実は小説よりも奇なり…」で、へえーっ!世の中にはこんな事もあるんだ、こんな人もいるんだ…と驚いてしまうような事件に出くわすことが多かった。
 
 もう20年くらい前の事件ですけど、中部地方の地方都市で、小学生の兄が一歳か二歳の弟を殺してしまう…という事件を『判例時報』で読んだことがあります。
 その訴状を読むと、両親が5人の子どもたちを残したままアパートからある日蒸発してしまった。借金苦かなにかでの失踪だったのだろうけれど、死亡事故とかそういうものではなかったので、アパートの隣近所も親戚も学校の先生も気がつかなかった。残された5人の兄弟は、長男と長女の二人が父親・母親役の臨時リーダーとなってアパートで「外から見ただけでは何の変わりもない」普段の生活を演じていたっていうのです。数カ月もの長い間。
 でも、やがて、家に残っていた金も食料も底をつく。そして、やっぱり小学生に一歳か二歳の幼児の子育てなんか無理に決まっています。責任感の強い長男だったから、なおさら「親」役の無理は、いちばん下の弟への「虐待」の形となって現れて行った…というのが裁判のあらましでした。
 
 なぜ、この事件が私の注意を引いたかというと、この、5人の兄弟が置き去りにされるまでの設定が、まるで、イギリスの有名な児童文学作品、ジョン・タウンゼンドの『ぼくらのジャングル街』という作品にそっくりだったからです。こんなこと、現実の日本でもあるんだなぁ…と、とても驚いたことをよく憶えています。
 ただ、『ぼくらのジャングル街』ならば、「僕らは勝ったんだ!」という力強い結末になるのに対して、80年代バブルの日本で起こったこの事件は悲しい結末になってしまうのですが…
 
 かように、「法律事務所」は素材の宝庫です。宮部みゆきは、おそらく、この高校卒業の時点で作家になる!という強い意思があったのではないでしょうか。一般的な「大学進学」のような道を選んでいないところが、彼女の経歴の中では目を引きます。
 法律事務所で毎日これら宝の山を貪り読み、かたや速記士として速記術に磨きをかける。現在の大量生産型作家の下地はもうこの辺で完璧にできあがっているわけですが、そこにトドメとして「講談社フェーマススクール・エンタテイメント小説教室」を受講する。これで、「小説家」になるための必要条件が二十歳前で全部出揃ったわけだ。(余った時間は大好きなゲームに!)
 必要なものだけを最速で。かつ、無駄な逡巡がひとつもない。これ、誰でもできそうで、誰もがおいそれとはできない人生です。才能というものに加えて、なにか、いい仕事をする人がいつも持っている「度胸」といったものを感じます。
 
 
 最後に一冊だけ…
 
 古本屋のおやじを探偵役に持ってきた1993年の短編集、『淋しき狩人』。これは、小粒でキラッと光る、いい本ですよ。
 タイトルにも使われている『淋しき狩人』という短編はかなりの要注意。ここで初めて「物真似殺人」という言葉が提示されてくる。ここでポッと生まれた概念が、十年後の『模倣犯』になってくることを考えると、他の短編も徒や疎かにはできません。
 前述した『うそつき喇叭』は言わずもがな、『詫びない年月』、『歪んだ鏡』なんかも、いつか『蒲生邸事件』や『火車』クラスの大作となってバーンと世に出てくるのかもしれませんね。私は楽しみにしています。