石川くん
《小樽の街を歩こう 第11回/短大図書館だより 2002年1・2月合併号》
 
 
  子を負いて
  雪の吹き入る停車場に
  われ見送りし妻の眉かな
 
 明治40年12月の小樽日報社でのトラブルを契機に、啄木はすぐさま退社を決意します。新しい就職口を「釧路新聞」に見つけ、家族を小樽に置いたまま釧路へ単身赴任に旅立ちます。小樽駅の停車場に立ったのは明治41年の1月19日。
 歌集『一握の砂』の中でも、この「小樽」時代はもっとも啄木らしさが盛り上がるところなのですが、特に、そのラストシーンが「小樽停車場」であることによって、まるで歌舞伎やオペラの名場面みたいな盛り上がりかたです。
 
 そのせいなのでしょうか、毎年、この時期になると(小樽・札幌のローカル話題なのかもしれないが…)妙に、新聞・雑誌のあちこちで「啄木」特集を見かけます。
 今年も、まず、北海道新聞1月18日朝刊の小樽後志版に、「小樽啄木会」ホームページ開設の紹介記事が載りました。
 続いて、同日の夕刊全道版で、歌人の枡野浩一の『石川くん』出版を主な題材に、紙面2面に渡る「啄木」特集を組んでいます。
 

『石川くん』 枡野浩一著 (朝日出版社)
 
 「啄木はダメ人間だった!?」という、ちょっと衝撃的なタイトルが付けられた特集。
 「女好き・借金ばかりで・家族捨て・揚げ句の果てに・蟹とたわむる」という短歌もどきの(ちょっとダサい…)サブタイトルも横に付けられているけれど、こういう「啄木」像はそれほど画期的な「啄木」像というわけではありません。
 昔の、石川啄木と同時代だった人たちも、そう証言している。ただ、評価のベクトルが、新聞の論調とはちょっとちがうのです。たしかに「一般社会人」として見れば、啄木はどこか壊れたところのあるおかしな人だったのかもしれない…でも彼はすばらしい歌をこの世に残したんだよ!というのが友人たちや文学仲間の論点ですからね。(別に「犯罪者」というわけでもなし)そんな啄木に社会常識を求めてもしょうがないのでは…といったところしょうか。
 
 新聞の論調とは別に、今までに流布されてきた「啄木」像には、なぜか「孤高の天才」とか「漂泊の詩人」といったイメージが多かった。私は、それは結局、実際の啄木の作品を読まないで、観光パンフレットに書いてあるような「啄木」像を鵜呑みにした人たちがまき散らした誤ったイメージだと思っています。
 あと、あの「写真」が問題だ!とも思いますね。石川啄木というと、必ず使われるあの写真。羽織袴姿でこちらをじっと見ている…あの写真ですが、なにかしら「孤独」「流離」といった誤解しやすいイメージを与えやすいのではないでしょうか。
 そういう意味では、枡野浩一の『石川くん』、まず表紙で、啄木のあの写真に見事な(?)落書きを施していますね。挨拶代わりの先制パンチなのかな? 図書館でもさっそく『石川くん』を発注に出しました。届いたら、読んでみてください。そして、他の人が描いた「石川くん」とも読み比べてみてください。
 
 私が読んだ中で印象に残っている「石川啄木」は2冊です。
 ひとつは、井上ひさしの芝居『泣き虫なまいき石川啄木』に現れた「啄木」。ここでの「啄木」は、一言で言えば「短歌マシーン・石川啄木」という感じですね。目の前にある何もかもをみんな歌にしてしまう…うたってしまう啄木です。例えば、今、啄木が妻と夫婦喧嘩しているとすれば、そういう喧嘩をする我がかなしい…とか、つい、口をついて歌が飛び出してくる、うたってしまうという「啄木」です。
 また、関川夏央原作・谷口ジロー画のマンガ『坊ちゃんの時代』に現れた「啄木」もユニークで画期的なものでした。ここでの「啄木」は、つまり「借金王・石川啄木」です。晩年の朝日新聞社・校正係時代の日々を描いていますけれど、この「啄木」像、個人的には、かなり実際の「啄木」に近いのではないかと思っています。まさに、ピンポイント爆撃という感じですね。