海辺の建築
《小樽の町を歩こうA/短大図書館だより No.37》
 
 
 私は札幌で生まれ育ったのですが、四十代も後半に入った今でも、札幌に関係する夢を見た時など、その札幌の街の姿は、私がティーンエイジャーだった時の「札幌」なので自分でびっくりすることがあります。つまり、地下鉄のない「札幌」。夢の中に出てくる人間関係は今の人間関係なのですが、でも、その人たちとか私は、けして「地下鉄」を使わないし「地下街」にも入らない。大通り公園を歩いてそのままススキノに行ったりするんですね。札幌駅前を市電が走っていたりします。正確に言うと、この「札幌」の風景は「冬季オリンピック以前の札幌」です。どうやら、そのあたりで私の「札幌」は成長を止めたみたい。
 
 
 今、「北一硝子」がなかった頃の「小樽」の街をイメージの中で再現できる小樽人って、どれくらいいるのでしょう? 私は、かろうじて(昔小樽に遊びに来ていた頃の)5号線沿いに駅前店が1店しかなかった「小樽」を憶えていますけれど、それ以前になるともう無理ですね。なんとなく、観光客の流れが、今みたいに運河方面に集まるのではなく、手宮とか祝津(水族館)方面にすぐ流れて行ったような記憶がありますけれど、もう思い出せない。そんな感じで、いつのまにか、「北一硝子」は「小樽」の風景になくてはならないものとして定着してしまいました。
 
 なにかしら、「マイカル」もそういう経過を辿って「小樽」風景の一部になって行くのに、そんなに時間はかからないような気がします。JRの乗降率も、あっという間に「小樽駅」と「小樽築港駅」が逆転してしまいました。もう数年も経たない内に、誰も昔の石油ストーブのあった「築港駅」なんか思い出せなくなってしまうのではないかと思います。
 
 車の流れも変わりました。短大への通勤に、車の通りの少ない築港ヤードの道を使っていた私は、1998年後半の半年でメキメキと「マイカル」の建物が建ちはじめるに伴い、その渋滞ぶりにこの通勤路を使うことを諦めました。冬期間も(ちょっと怖いけれど)天神から毛無山に延びている国道393号の山道を使わなければならないかな…とか考えています。
 
 けれど、こちらのルートも気づかない内にけっこう変貌してきているのですね。冬季国体用の望洋シャンツェ建設や三菱地所の宅地造成などの影響もあって、潮見台〜望洋台〜朝里川の風景は一変しています。このあたり、子どもの頃、小学校の遠足などで遊びに行った人も多いと思います。今一度、改めて昔の道を歩いてみるのはどうでしょうか。宅地造成で切り開かれた新しい景観に、「ああ、この山道はここにつながっていたのか」などと新発見もたくさんあることと思います。
 
 『小樽の建築探訪』という本の良いところは、空間的な「小樽」の名所ガイドとして役立つ上に、さらに、「小樽」という街を時間的に遡る旅もできることなんですね。「失われた建物たち」の写真の一枚一枚に、かつて父母やおじいさんおばあさんが青春していた「小樽」の息吹を感じとることができるでしょう。この本が出版されてからも、「稲穂湯」が火事で焼け落ち、「小樽警察署」が移転でとり壊され…、そして片方では、「マイカル」が建ち、宅地造成が「新光」地区にまで広がり…と、「小樽」の変化も休むことを知りません。そういう「小樽」イメージの変遷を、建築物という目印を媒介にして辿ることができる優れた本です。
 
 
 最後に、私のオススメの一枚の写真を紹介します。それは139ページ、小樽市立博物館所蔵の「龍宮閣」。いやー、噂には聞いていたのですが、その姿をこうやって見るとブッとんでしまいますね。なにか、これ、異様な建物ではないだろうか。この写真を見てから、あえて、この建物があったオタモイ海岸の断崖に行ける人は勇気があると思いますね。私はちょっと怖い…
 
 
『小樽の建築探訪』小樽再生フォーラム・編(北海道新聞社)