手宮線
《小樽の町を歩こう@/短大図書館だより No.36》
新入生の人は、新しい環境にもう慣れたでしょうか? 春の花も、夏の花も、一斉に咲き乱れる北海道の五月。小樽の街を歩くには最高の季節です。ぶ厚い冬のコートを脱いで、小樽の街を歩いてみましょう!
というわけで、スタートは「手宮線」。昭和60年の貨物営業が終了するまで、南小樽と手宮を結んでいた、わずか2.8qのかわいい路線です。駅もわずかに「南小樽」〜「色内」〜「手宮」の3つだけ。でも、この手宮線、新橋〜横浜間の開通から始まった日本の鉄道史の中でも、「新橋〜横浜」「京都〜神戸」に続いて日本で3番目に敷かれた鉄道だってこと、知っていました? 私はそんなに由緒あるものが小樽短大の身近にあるなんて思ってもみなかったです。
冬は「雪明りの路」として観光スポットに使ったり、夏場には、ここで路上写真展やフリ−・マ−ケットが開かれたり、最近では、マイカルと市街の商店街を結ぶ市電をここに走らせよう!というアイデアが出たりして、跡地になった今でも「手宮線」は大忙しです。それだけ、廃線になった後も、小樽市民の生活の中で息づいている珍しいケースなのではないでしょうか。北海道の過疎地ならいざしらず、都市の中心部にこれだけの保存状態で鉄道廃線跡が残っている例は本当に少ないと思います。
学校の帰り道、南小樽の駅で時間があったなら、ちょっと跨線橋に出て、南小樽駅よりのホ−ムを眺めてください。土手のようになって草地が整えられているところが見えると思いますが、そこが手宮線の南小樽駅ホームだったところです。函館本線の線路からスーッと離れてゆく形で手宮線の線路跡も辿れるはずです。こんな感じで「色内駅」(現在の「小樽市文学館」があるあたり)の方へ線路が延びていました。
現在、手宮線の起点にあたる「南小樽駅」の一部が立入禁止区域になっていますが、その外の「色内駅」〜「手宮駅」(現在の「鉄道記念館」)のほとんどを歩いて辿ることができます。この道を通って、私たちの北海道の開拓が始まったのですよ。海を渡ってきた私たちの先祖は、この線路を通って札幌へ、そして、さらに北海道の奥へ奥へと流れて行き、遠く幌内や夕張で掘り出された石炭は手宮線でここの港に集められ内地へ運ばれて行ったのか…と思うと、なんとなく、夕暮れの手宮の商店街を行き交うおじさんやおばさんたちにも懐かしく親しいものを感じます。
『鉄道廃線跡を歩く・3』宮脇俊三・編著(JTB)